2日目は、宮古市から陸中海岸を南に下るコースで、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市と南下して、夕方、内陸部の遠野市に北上します。

宮古市内のホテルから出発して、すぐに宮古市役所が見えますが1階から2階は未だ改修できない現状で、庁舎のすぐ横には海があり昨年の黒色の津波が防波堤を乗り越え市役所に迫るテレビ映像を思い出しました。
≪山田町≫
バスで30分ほどで、山田町に到着、この地域は津波後に、プロパンガスの爆発で火災が発生、断水のため消化活動が出来ず猛火に包まれ灰燼に帰した町の中心部を視察。
その後、船越地区では海の景色が人気な高齢者介護施設があった場所に、この船越地区は小さな半島の付け根であり、津波が北からも南からも2方向から押し寄せてきた場所であり海面から15m以上の高台に建つ高齢者介護施設は津波により被害を受けた。
≪大槌町≫

次に、大槌町に向かう、国道横に建つ大槌町役場に到着。発災当日、地震の揺れが続き危険なため、町庁舎まえで災害対策本部の会議を開催中に津波が到達。加藤町長(当時)をはじめ幹部職員約40名が津波の被害者となった。大槌町役場前で加藤町長はじめお亡くなりになった方々のご冥福を祈り全員で黙とうをしました。
午前10時、大槌町仮庁舎のある大槌小学校校庭に到着。現大槌町長碇川(いかりがわ)豊町長、阿部六平町議会議長などの出席の会議室にて、支援金の贈呈を行いました。
宝塚市議会から30万円、清荒神清澄寺よりお預かりした100万円の復興支援金を碇川町長に贈呈しました。その後、碇川町長から大槌町の被害状況や出来上がった復興計画の説明を受け、質疑応答を行った。
碇川町長は、職員130名のうち約40名を失い復旧・復興作業を続けてきたが、全国の自治体から合計42名の職員を派遣していただいて現在執務をしている。宝塚市からも職員西脇氏が4月より赴任していただいている、大変ありがたく感謝しています。町の復興を一歩一歩進めていくと決意を述べられていました。
この仮庁舎はプレハブで、7月には火災で被害を受けた大槌小学校の校舎の改修工事が終了後そちらに移り、本格的に復興事業に取り掛かるとの話でした。
≪釜石市≫
大槌町を出発して釜石市に向かう。市街地に入る手前で国道から根浜海岸に降りる。坂の途中にある高齢者介護施設、ここが避難所となっていたが、ここまで津波が押し寄せたので先程の国道まで小中学校の児童生徒は避難したと、ガイドから説明を受けた。
『釜石の奇跡』という話を聞いたことがありますか、この下の学校の児童生徒は、津波警報を聞いてすぐ避難を開始、避難所である介護施設まで来たが、津波が迫ってきたため、高齢者の手を引いて、また車椅子を押して高齢者と共に国道まで避難して全員無事でありました。釜石市での防災教育の大きな成果であると説明があった。
坂をさらに下った所に鵜住居小学校と釜石東中学校が並んで建っていた。その校庭は10mほどの高さのガレキの山でいっぱいである。校舎の4階の窓には自動車の姿が見えた。
実はこの場所には、私は昨年10月に一度訪問していたが、6か月経っているがガレキは全く処理されておらず、学校の再建の目途は全く立っていないようである。
根浜海岸は、夏は海水浴で賑わう場所で民宿も50軒ほど建っていたが、津波で一軒残らず流されている。コンクリート造りのレストハウスは現在も傾いたままの姿であった。