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宝塚市 江原和明
kazuaki5ebara@gmail.com

岩手県宮古市に本社を置く三陸鉄道株式会社の企画した三陸・被災地フロントライン研修について問い合わせをしたのが2月末でした。東日本大震災から1年がたち、津波による被害の現状把握および復興の課題、また後方支援の在り方についての研修ですが、復興元年は経済の復興であり、産業の活性化のためには被災地に行くことで少しでも被災地の皆さんを元気にしたいと宝塚市議会の全議員に案内をして、研修主旨に賛同して参加申込した議員は26名中全会派からの16名でした。

私を団長とした視察団は、30日午前10時前に「いわて花巻空港」に到着。三陸鉄道の手配した貸切バスに乗車していよいよ3日間の視察研修の始まりです。

宮古市街地にある昼食場所の魚元は、津波被害を受けたがいち早く再建をした老舗料理店である。その後、浄土が浜に向かい津波当日、沖合に避難して唯一被害を免れた観光船に乗船して海から沿岸部の被害状況を視察した。ゴールデンウィークでもありお客さんは多いように思われた。しかし、観光船乗車券売り場や休憩所のある事務所棟は地震の被害で使用できないままでの再開となっている。

次に向かったのは、田老地区である。田老は「津波太郎(田老)の異名をつけられるほど古来より津波被害が多く、江戸時代初期の慶長大津波で村がほとんど全滅した」との記録がある地区である。さらに明治29年の三陸津波では田老村の345戸が一軒残らず流された。

昭和9年から昭和33年までの第一期工事、さらに昭和41年には最終的な巨大な防潮堤が完成した。総延長2433m、地上高7.7m、海面高10m、上空から見ると英字の

x字型の巨大な防潮堤が城壁のように市街地を取り囲むまちが田老地区である。

三陸鉄道の田老駅からも防潮堤が見えた。その後、高さ10mの防潮堤に上がり約500mほど歩くと、津波で破壊された2期工事分の防潮堤の無残な姿がそこに現れた。

3・11の大津波は、約16mの高さがあったと言われ、巨大な防潮堤を飲み込み、破壊して市街地を押し流したのだった。

田老漁港の製氷貯水施設棟の横に、津波の歴史がわかる場所があるというので行ってみると、『明治29年の津波15m』『昭和8年の津波10m』というプレートが山肌に実際の高さに掲げられていたが、今回の津波はそれをはるかに超えたと云う。

その後、車で約10分ほどの所にある、グリーンピアたろうに向かう。

そこに田老地区の仮設住宅

400戸が建設されており、仮設の商店街もそこで営業を再開していた。

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