「敵の出方」論を否定できない共産党
だが、なぜ「表現を廃棄」という回りくどい言い方をしなければならないのか。
本当に「敵の出方」論“そのもの”を廃棄する気があるのなら、あえて「表現」という文言を付け加える必要はないはずだ。
14日付の小欄でも簡単に触れたが、共産党が直接的に「敵の出方」論を否定できないのは、それが、同党が「理論的な基礎」(党規約)とする科学的社会主義=マルクス・レーニン主義と切っても切り離せないからであろう。
志位氏は8日の党会合で「敵の出方」論について、「どんな場合でも、平和的・合法的に、社会変革の事業を進めるという日本共産党の一貫した立場を説明したものにほかなりません」と強調してみせたが、口から出任せも甚だしい。
そのことは、同党が革命戦略として「敵の出方」論を確立した淵源をたどれば、容易に分かる。
「敵の出方」論は、志位氏自身が8月の講演で「現綱領の基礎」と言及した1961年綱領を採択する過程において、後に同党の最高権力者となる宮本顕治氏が打ち出したものだ。
58年の第7回党大会で「綱領問題についての中央委員会の報告」を行った宮本氏は、同党が暴力主義的破壊活動を展開する基となった51年綱領について、「暴力革命不可避論によってみずからの手をしばる態度」を「あやまり」と退ける一方、「平和革命必然論の立場」も「とるべきではない」と切り捨て、革命が「平和的となるか非平和的となるかは結局敵の出方による」と表明した。
そして、この「敵の出方」論を「マルクス・レーニン主義の革命論の重要原則」と意義付けた。
こうした経緯は宮本氏の著「日本革命の展望」に詳細に記されており、これに照らせば、「どんな場合でも、平和的」などという志位氏の発言が“真っ赤なウソ”であることは明らかだ。
共産党がマルクス・レーニン主義や61年綱領を「基礎」として奉ずる限り、「敵の出方」論を否定することはできないのではないか。(仁)