
■(欧州やアジアで施行)民主主義の基盤維持へ やむを得ず
――各国での規制に関する法律の施行をどう見るか。
宇野重規教授 民主主義は「言論の自由」が保障されて成り立つ。しかし、昨今のようにフェイクニュースが人々に誤解や混乱をもたらし、各国の選挙戦の行方にまで影響を及ぼすとされる事態は深刻だ。フェイクニュースが、インターネットなどの媒体を通じて大量に拡散する現状を踏まえると、一定の規制は、やむを得ないのではないか。
言論の自由は、あくまで客観的な事実を大前提にしたものであるべきで、情報の正確性・妥当性を個々に検証する役割をジャーナリズムが担ってもらいたい。フェイクニュースを野放しにしていたら民主主義の基盤は崩れ、国の秩序を根本から覆しかねない。
――政府批判が全てフェイクニュースとして削除を命じられる懸念はないか。
宇野 そもそも、一つ一つの情報の真偽を一国の政府が全て判断できるかは、大いに疑問がある。事実上の検閲にあたるのではないかという批判は重要な指摘だと思う。
問題は、どうすれば政府の不当な介入を阻止した上で、フェイクニュースが広がらないようにコントロールできるかにある。その担い手が国家であるべきか、あくまで民間機関であるべきかも含め、実効性ある議論をすべき段階にきている。
――ドイツやフランスでも同様の法律が成立した。
宇野 戦後、民主主義のモデル国家として長く認められてきた両国がフェイクニュース規制に踏み切った背景には、この問題に何らかの形で一定の歯止めを設けなければならないという現状が端的に示されている。
特に、ドイツは最先端の事例だと思う。最大の特徴は、個人を規制の対象にせず、あくまでSNS(会員制交流サイト)事業者が自らの責任においてチェック機能を果たすよう義務を課したことである。国家の直接介入を抑制している意味では優れている。ただ、SNS事業者がどこまでチェックできるか未知数であり、実験段階にある。
いずれにしても、国際社会は、フェイクニュースに対してどういう形の規制が適切か、模索している状況にある。日本は、その結果を見極めてから自分たちも考えようという姿勢に見える。
■(ネット空間)異論への寛容さ奪い、世論を分断
――フェイクニュースはインターネットの普及がもたらした。
宇野 インターネットは当初、民主主義を補完するとか、選挙以外で政治意思を表明する機会になるとか、楽観的な考え方が圧倒的に強かった。かつて情報はマスメディアから一方的に伝達されていたが、インターネットが普及すれば一人一人が発信の当事者となり、情報の双方向性が確保され、言論空間が大きく広がるので、民主主義の前進に役立つともいわれた。中東の「アラブの春」や、台湾の「ひまわり学生運動」、香港の「雨傘運動」といった動きは、明らかにSNSがなければあり得なかったわけで、まさにSNSが民主主義を後押しするという印象を持った人は多かった。
しかし、2010年代に入ってくると、インターネットによるコミュニケーションが機能すればするほど、世論の分断状況が激しくなる「サイバーカスケード現象」を懸念する声の方が強まってきたように思う。
――具体的には。
宇野 民主主義は多様な意見はもちろん重要だが、それが互いを否定するのではなく、他者の意見に耳を傾け、議論していく中で一定の方向性や結論に至ることが重要だ。ただ、他者の意見に寛容たれと言うのは容易だが、ある程度、時間や心の余裕のある社会でないとそのような立場を貫こうとは思えない。
しかし、インターネットは、大手IT(情報技術)企業・アマゾンのリコメンデーション機能に代表されるように、自分が共感したり、聞きたい意見・考えが知らず知らずのうちに繰り返し流れてきて、考える視点や視野が狭くなっていく傾向は避けられない。自分の物の見方を相対化したり、相反する考え方を受け入れるための情報が流れてこなくなる危険性をはらんでいる。これをどうやったら打開できるか。今後の課題だ。
――インターネットは民主主義の弊害になるのか。
宇野 インターネットが、民主主義に有益かどうか一義的には言えない。インターネットは基本的には技術にすぎない。
当初は多くの人に情報の回路を開き、従来とは異なる意見の表出や、動員の回路を作るという形で民主主義に貢献した側面が強く出た。だが、今はむしろ分断の側面が強く出ている。ただ、現在はネット空間で分断された人々を改めてつなぐ回路をどう作ったらよいか試行錯誤している過程にあるかもしれない。
■(デマの根絶)メディア・識者の信頼回復が重要
――フェイクニュースが広がる要因は。
宇野 全ての情報にどれだけ根拠や裏付けがあるか、自分一人でチェックするのは無理だ。ある程度、メディアなり知識人なりが下した判断を信頼するしか手がない。かつては、メディアや知識人がかなり社会的信用を持っていたため、その情報や考えを信頼しても大丈夫だった。しかし、インターネットの普及により、それが民主化してしまった。
情報の民主化によって、多くの人が全て自分の頭で考えたいと思うようになった一方、先ほど述べた通り自分だけではチェックできず、誰かを信用するしかない現実もある。その結果、自分にとってのみ込みやすく、分かりやすいストーリーを展開する特定の個人や、ポピュリズム(大衆迎合主義)政治家の発言や提供する情報を信じてしまう。
しかし、この先については楽観的に捉えたい。現在はメディアや知識人が、それぞれの業界内で品質を高め合う取り組みに一段と努力し、かつての信用を取り戻そうとしている段階だ。これによって、さまざまな情報を冷静に分析して受け入れられるようになると期待している。
ただ、まだメディアや知識人が十分な信用を回復するには至ってないので、デマゴーグやポピュリストがネット空間を席巻している。
――メディアや知識人が信用を回復するためには。
宇野 “情報の目利き”としての信用を取り戻すことが重要だ。さまざまな情報を集めて吟味し、その価値や重要性をランク付けして一覧で示すという能力を高い次元で強化してほしい。
新聞を例に挙げれば、1、2、3面など各紙面にどの情報をどの程度の大きさで扱っているかで、一つの世界観なり、物の見方を提示してくれる。インターネットは個別の情報やニュースなどの速報性が高い半面、一覧性は望めない。
また、新聞をめくっていると自分が興味を持たないテーマや関心のない情報にも接することができる。だからと言って、紙媒体が全盛期の状態に戻るとは思えないわけで、インターネットであっても技術的に一覧性を確保するすべを考えなければならない。
ともすれば、あらゆる階層、世代の人々が個別の情報をさまざまな思惑で流すだけになってしまいがちなのが、インターネット時代だ。その中で、一つのニュースについて必要な知識を得られるとともに、多様な意見を適切なバランスで提示する新聞などメディアの必要性は、いつの時代も変わらないと思う。
うの・しげき 1967年、東京都生まれ。96年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。99年、東京大学社会科学研究所助教授を経て、2011年より現職。専門は政治思想史、政治学史。著書に『保守主義とは何か』など。
