Archive for 2015年 11月

2014-11-28 14.31.03
本日午後1時45分より、28年度予算要望を行いました。

地方創生・ローカルアベノミクスに呼応した施策の展開を望とともに、まち、ひと、しごと創生総合戦略推進への提案や「活気あるあたたかな地域づくりを目指して」と題して市民生活全般にわたり予算を行いました。

予算要望書はこちら
28年度予算要望書 

 

まち、ひと、しごと創生総合戦略推進への提案

◎  生産効率の高い活力ある地域経済の創設を目指して

・柏崎版DMO構築やローカルブランディング支援による地域産業の活性化

・雇用の維持拡大事業として産・官・学・金総合連携で産業活性化を推進、若者起業家支援


若い人たちが安心して結婚・出産・子育てができる地域を目指して

・子育て支援として多世代同居の支援施策 多世代同居・隣居住替え支援や保育料の分離世帯化の創設

・出産子育て支援のトップランナーを目指した施策の充実と施策の見える化

・母子保健と子育て支援の包括支援体制「柏崎版ネウボラ」の確立

 

 交流人口・定住者人口の増加を目指しえて

・定住促進施策として柏崎版CRCC構想の策定、空き家バンク等を活用してのIターン、Uターン者への住宅支援事業の創設

・友好姉妹都市や災害連携都市など関係市町村との連携による交流人口の促進

・公共施設や観光スポットへのWiFiの整備

 

 ◎ 地域生活圏の持続可能な仕組みの構築を目指して

・住み慣れた地域で住まい・医療・介護・予防・生活支援など一体的に提供できる柏崎版地域包括ケアシステムの構築

・安心して住み続けられる交通機関の確保
     
                                                                                 

 


 

議会一般質問の動画をご覧になれます。
http://www.kashiwazaki-city.stream.jfit.co.jp/?tpl=speaker_result&speaker_id=118

委員会の動画を配信しています。http://www.city.kashiwazaki.lg.jp/gikaigiji/shigikai/kaigiroku/net/chuke.html

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11月6日 19時より、北条コミニュティセンターで議会報告会を開催しました。
6名の議員で構成する4グループで、市内12中学校区全て開催します。
初日の今日は、私の出席した北条コミニュティセンターを含め3会場で同時開催です。
開会の挨拶をさせていただきましたが、これまで議会改革で「より市民に開かれた議会  市民の信託に応えられる議会」を目指した議論を行ってきた経過の中で、議会報告会を行うことを議会基本条例で定めたこと、そして議会としての役割・責務を果たすためにも議会報告会は必要不可欠なことを申し上げ、建設的な議会報告会に市民の皆さんの協力・理解を得ながら作り上げていきたいと述べさせていただきました。
議会報告会の式次第は、9月議会の報告・26年度決算報告そして人口減少問題について意見交換を行いました。
決算報告では、道路維持管理費と道路維持の在り方や婚活事業の成果などについてご質問や意見がありました。
人口減少問題では、市内中心部だけでなく北条地域のような郊外地域に対する定住政策の在り方。コミュニティ維持へ予算を付けてもらっているが地域振興に対する専門知識を持った行政職員がいない。
2大学の学生や若者が働ける雇用の場の確保など、建設的なご意見をいただきました。

ご参加いただきました皆さんに、心より御礼申し上げます。

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「番神の梅」藤原緋沙子著

20151103_073318018_iOS     番神は、新潟県柏崎市の番神岬の事です。
    番神岬の高台には、番神堂があります。   

   番神堂は、文永11年(1274年)、日蓮大聖 人が佐渡から赦免になり最初に番神の地につかれました。日蓮上人が三十番神の霊を請じ迎えて祀ったものと伝えられています。
現在は、梅ノ木ではなく桜の名所にもなっています。柏崎で一番に咲くのが番神堂の桜です。

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今日、番神堂に行き掃除をしている方に、梅の木の話を伺いました。
昔は梅の木があったとのことですが、現在はないので住職が、「番神の梅」が出版されたので一本植えましたとのことです。

「番神の梅」 江戸時代、柏崎に桑名藩の飛び地がありました。「番神の梅」は、桑名藩から越後の柏崎陣屋へ! 夫の渡部鉄之助を支え、子供を産み、育て、貧しい暮らしを強いられた、下級武士の妻の紀久。おんな盛りにもかかわらず、古着一枚の着物も買えず生活に困窮する紀久を支えたのは一本の梅の苗木だった。「この梅が花をつける頃、桑名に戻れる」・・・。

 

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桑名日記、柏崎日記

桑名藩の下級武士の親子が桑名と柏崎の間で交わした日記です。桑名藩御米蔵算用係の渡部平太夫政通とその養子で桑名藩領柏崎(現新潟県柏崎市)へ赴任した勝之助が執筆者です。
 
 時期は江戸時代の終わり頃の天保10年(1839)、藩の一役人であった勝之助は突然桑名藩の飛び地領である柏崎へ陣屋の年貢高をはじく勘定人として「お役替え」を命じられます。身重の妻と幼い長男をかかえた勝之助は突然の転勤命令に狼狽しますが、とりあえず単身柏崎へ赴きます。平太夫54歳、勝之助36歳の正月です。
 
 この時、二人はお互いに日記を書いて交換することを約束します。のち妻と生まれたばかりの長女を柏崎へ呼び寄せますが、長男は武士として育てるために平太夫の許に残しました。日記の内容は両方とも日常の出来事や、子供の育って行く様子が中心ですが、ほとんどが平仮名でありふれた話し言葉で書かれています。それだけに今読んでも当時の生活の様子がありありと目に浮かび、渡辺一家の家族に対する情愛が160年の年月を超えて伝わってきます。
 交換の方法は1ヶ月くらい書きとどめ、それを桑名藩江戸下屋敷を経由した飛脚に託されました。遅いときは3ヶ月もかかって届きましたが、10年間ほとんど毎日書かれています。特に「桑名日記」は勝之助一家だけでなく、柏崎陣屋の同僚の人たちにも桑名の出来事を知らせる情報源として楽しみにされていたようです。
 しかしこの交換日記は平太夫の死によって終わります。「桑名日記」の最後の日付から3日後の嘉永元年(1848)3月7日平太夫は急死しました。しかし義父の死去も知らず「柏崎日記は」その後16日間書かれています。桑名と柏崎が如何に遠かったかを物語っています。
 日記は楮紙に細字の毛筆で書かれており、桑名日記が4分冊、柏崎日記が3分冊になっています。現在の400字詰め原稿用紙に換算すると両方で5,300枚にも達する膨大なものです。
 この日記は数奇な運命をたどりながら地元の旧家に保存されて来ましたが、戦後、一部が郷土史家によって、全文が高校教師親子によって活字化されました。またNHKによって「幕末転勤録」として映像化もされました。今では当時の桑名城下や、柏崎陣屋における生活状況を教えてくれる貴重な資料として、三重県指定文化財になっています。
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