東日本大震災の被災地、宮城県七ヶ浜町の支援ボランティアに参加しました。
8月27日(土)、同僚議員4名とともに朝6時東京発の新幹線で仙台駅で下車。レンタカーで約30分走り、七ヶ浜町のボランティアセンターに向かいました。
当初は品川区と災害時の相互援助協定を結んでいる岩手県宮古市を予定していましたが、宮古のほうではボランティアの仕事はあまりないとの事で、7月に一度訪問した縁で七ヶ浜町での参加となりました。
七ヶ浜町は、今回の震災による津波被害で100名近い方々がお亡くなりになり、沿岸部をはじめ多くの地域が浸水被害を受けたとの事で、7月に訪れた時には、海岸にコンテナなどの大きな瓦礫等が残っていました。コンテナの撤去はようやく8月23日から始まったようですが、未だに高台に山と積まれた瓦礫がそのまま残っており、田んぼには津波で流されてきた家屋や車が引き上げられずにそのままの姿で残っておりました。
ボランティアセンターでは土曜日ということもあり、150名を超える大勢の方が集い、中には企業やNPO団体など多人数のグループで参加している方もいたようです。
作業の割り振りの結果、私は同僚2名とともに約20名のグループで津波被害で倒れた家屋の床板はがしと敷地内の雑草の除去等の作業を行いました。
こまめに休憩をはさみながら、午前と午後あわせて4時間弱の時間でしたが、貴重な体験をさせて頂きました。休憩中に話を聞くと、関西や東京など各地から参加しており、中には京都からバスで24時間かけ、終了後また24時間バスに揺られて帰るとの女子大生の話を聞きながら、改めて若い力の素晴らしさと可能性を感じ、疲れも吹き飛び、さわやかな気持ちで帰路につきました。
被災地によって格差はあるようですが、まだまだ復旧には長い時間が必要と思います。私たちの出来ることは本当に限られていますが、また機会があればボランティアに参加したいと思います。
津波により多くの犠牲者を出した東日本大震災。その中で、99%の児童・生徒の命を守った防災教育について講演を伺いました。8月26日(金)五反田ゆうぽうとで行われた「命を守る自治体の役割」と題したセミナーに参加しました。この中で、報道等でも「釜石の奇跡」として取り上げられている群馬大学大学院教授の片田敏孝先生の講演を拝聴しました。
8年前から釜石市の小中学校で防災教育に携われた同教授は、津波ハザードマップなどの「想定にとらわれるな」、ここまでくればもう大丈夫ではなく「最善を尽くせ」、自らが率先避難することで多くの避難を促す「率先避難者たれ」の『避難3原則』を徹底して子どもたちに教え込み、今回の大震災では釜石市の児童・生徒のすべてがこの教えを実践する中で、小学生1,927人、中学生999人のうち99%を超える子どもたちの命が救われたとの事でした。
またそれだけでなく、日ごろから地域で頼りにされていた中学生が率先して避難する姿を見て、隣接する小学校の児童や保育園関係者、地域の高齢者なども後について避難し、助かったそうです。
さらに、避難した先の裏山のがけ崩れの危険性を感じた生徒の判断でさらに先の介護施設まで避難したことで結果的に被災を免れることとなり、『最善を尽くせ』との教えを素直に実践した子どもたちによって多くの命が救われることとなったそうです。
しかし、残念ながら、当時学校の管理下でなかった5名の児童・生徒をはじめ、釜石市内では約1、100名もの多くの貴重な命が失われたとの事で、大人の多くは、「過去の津波で大丈夫だった」、「ハザードマップの想定区域外だから安全」、「立派な防潮堤があるから大丈夫」などの想定にしばられ十分な避難をしなかった方が多くいたことがこうした結果につながってしまったようです。
講演を拝聴し、改めて自助・共助・公助のあり方についてや自助を促す防災意識を高める取り組みの必要性を痛感しました。
首都直下地震の高い確率での発生が数年前から危惧される中、品川区内の耐震改修や家具転倒防止器具設置などの対策を本気になって訴えていくことが政治と行政の責務と改めて感じる講習となり、決意新たに会場を後にしました。
7月31日(日)13:30から開かれた「第47回東京都原爆犠牲者慰霊祭・追悼のつどい」に出席しました。東京都原爆被害者団体協議会社団法人東友会の主催で毎年この時期に開催され今年で47回目を迎える同つどいは、例年、原爆犠牲者慰霊碑のある品川区内のお寺で行われますが、今回は諸事情により四ツ谷駅前の主婦会館プラザエフにて開かれました。
主催者あいさつに続き、参加者から平和と核兵器廃絶への願いを込めて「折り鶴」の献呈が行われました。
追悼のことばの後、来賓・参列者代表からの挨拶の中で、高木美智代衆議院議員、竹谷とし子参議院議員、伊藤こういち都議会議員含め7名の議員が紹介を受け、山口那津男代表より、党を代表してのあいさつがありました。
都内在住の被爆者健康手帳所持者は7、003人、平均年齢は76歳を超え、昨年は246人の方が亡くなられたとの事でした。
今年もまもなく広島の8月6日、長崎の9日をむかえようとしています。折しも3・11大震災による福島原発事故で放射線の影響が懸念される中、むかえるこの日を「永遠の平和を誓う日」として心に刻んでまいりたいと決意しました。
7月29日、東日本大震災の被災地、宮城県多賀城市と七ヶ浜町を議員団7名で訪問しました。
前日、仙台市内で行われた都本部総会に出席し、本日午前中には各議員それぞれが、懇意にしている企業等を訪問した後、仙台から比較的近い距離にある多賀城市と七ヶ浜町を訪問しました。
海岸沿いに向かって車で移動していくと、学校等のグラウンドに山積みになっている瓦礫の山を数か所で発見しました。また、さらに海沿いに近ずくと民家や店舗、工場等が津波の被害で1階部分が全て壊滅し使用不能な状態で残されていました。
また、七ヶ浜では海に面しているため、建物すべてが津波により壊滅し、一面に跡形もなく基礎部分のみが残されている状況がひろがっていました。砂浜を見ると、へこんで曲がったコンテナが未だに手つかずで残されており、報道等を通じて見ていた状況をはるかに超える実像が浮かび上がり、改めて今回の被害が過去に類を見ないくらい大変な状況であったことに気づかされました。
一日も早い復興のため、また被災地の方々がもとの平穏な生活を取り戻せるように、祈るとともに微力ながらお役にたちたいと決意して帰路につきました。