新発田青果市場には年末を迎えて多くの野菜が午前6時の鐘の響きとともに競られる。我家の長もやしも毎日競られて八百屋の店頭に並ぶ。
長もやし栽培は祖父の時代から始まった。現在は温暖化?暖冬の影響で雪は少ないが、当時は12月、1月、2月と大雪だった。県外から野菜のトラック輸送が無く、吹雪く真冬に野菜がない時代だったという、栄養豊富な大豆から作るモヤシは飛ぶ様に売れたそうだ。
近所では稲刈りが終わると出稼ぎに行く農家があった。我家では暖かいモヤシの栽培室で農作業が出来、お金を稼ぐことが出来た。
私が就農した時代には五十公野地域中心に10軒以上のモヤシ屋があった。しかしモヤシ栽培を手がける後継者、栽培技術の継承者が居なく、今では唯一我家だけになった。伝統芸能?伝統野菜?の様になってしまい止めるにやめられない。年末の小煮物や正月の雑煮の具に楽しみに長もやしを待ってくれている方々がいる。また、隣の聖籠町の学校給食にも使って頂いている。
時には夜鍋してモヤシの収穫に励んでしまう・・・青果市場から急かされながら・・・
新潟県国際農業交流協会の若手役員から電話。私が10月にインドネシアへ研修生の結婚式に出席してきたことについて、協会のフレソル(機関紙)に寄稿していただきたい。原稿は1,600字程にまとめ、〆切は1月末までにお願いしますとのこと。年明け早々忙しくなるがフレソルに載せていただく名誉に快く引き受けた。
私が20数年前に国際農業交流協会の事務局長時代には、同様に多くの先輩、後輩たちにフレソルの原稿依頼をしてきた。アメリカやヨーロッパに研修中の若手に、現況報告や帰国報告など写真も同封して下さい、とエアメールでお願いしたこともあった・・・パソコンやメール、LINEも無かった時代、原稿が送られてこなくて何度も催促の手紙を書いたこともあった。
フレソルの編集にこれといったフォーマットは無かった。原稿依頼や校正、印刷会社に行って打合せと発注、そして会員全員に郵送するなど、農業の合間、スキマ時間を使い何とかこなしていた。国際交流協会の仲間たちに時間を持て余している暇な人は誰もいない。使命感で頑張ってくれている。原稿依頼を断ることはできない。
公正の関係で〆切前に届いた原稿はとてもありがたかった。作成する側に居たことがあるので、議会関係の原稿は早めの提出に心がけている。
12月議会最終日は「ガザ地区における平和の実現を早期に求める決議」を行った。補正予算の追加議案などがあり途中で3常任委員会にて審議。午後から再開して委員長報告や討論、裁決へ。
本会議閉会後は委員会室で「議員定数及び議員報酬に関する特別委員会」。今後のスケジュールや論点整理。この特別委員会は予算がゼロのため講師料や視察などの研修活動は限られる。先ずは委員が身近な市民に意見聴取や専門的な学習など、この年末年始にやっておくべき。前回の委員会では感覚的な自論の展開などに終始していた。
急な大雪に早朝からの除雪作業や庁舎に向かう道路渋滞でヘキヘキしながら本会議に滑り込みの議員、ハイヤーを呼んで登庁してきた議員も・・・
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夕方の帰宅時は大雪注意報にかわった冬至の日。太陽からのエネルギー(日照量)が少なく抵抗力が落ち気味の体に、夜はカボチャと柚子の植物からのパワー?チカラ?を吸収する。
1棟だけ屋根ビニールを掛けていたハウスの片隅にはトマト、なす、シシトウ、ピーマンなどの野菜を植えていた。冬になっても枯れずに実を着け我家のビタミン補給として食卓に上がっていた。雪が降るまでと思いギリギリまで収穫。しかし今日から大雪の予報に急いで屋根に登りついた。穏やかな朝のほんのわずかな時間にビニールハウスの巻き上げを完了しホットした。
午後から市民相談が入っており「レストラン&カフェ萌芽」(障害者雇用を支援する就労継続A型のレストラン)へ。
事前に予約をしていた個室にてコーヒーとシフォンケーキを注文。若い2人の話を伺った。
窓の外は雪が舞い始め、落ち着いた音楽が店内をの空気をやわらげ雰囲気がとても良かった。
夜は本格的に湿った雪がズンズン積もり始め、明日の朝が怖い・・・































