新植してから10年以上が経過した我家のビニールハウスのアスパラガス。今年は猛暑の影響もあったが株が高齢化しているため収穫量が極端に少なくなった。来年から1ハウスずつアスパラガスの改植を計画。
新しい技術を取り入れて省力・多収穫そして太収穫(太モノ)栽培の追求へ。8年前に先進的な技術を取り入れた栽培を実施している農場について、県農業改良普及センターに伺ったことがあった。その後の成果や改善点を伺うため(有)グリーンファーム(田上町)を訪れた。農場主から最適な土壌環境や品種選定など長年の栽培経験を踏まえたアドバイスをいただいた。ビニールハウス内の写真撮影はNGだったが参考となる技術内容ばかりだった。
田上町までの移動中の車内では国会中継を聞いていた。先日、公明党の石井幹事長が衆議院代表質問を行った。その一つに帯状疱疹ワクチンについて国の定期接種化の必要性を総理に質問した。私は新発田市議会6月定例会の一般質問で帯状疱疹の市民への周知とワクチン接種の補助を市長に提案してきた。
市民の声が市議会にそして国会へ届けられた。
中井保健センターでは「中井地区の歴史・文化を語る会」が開催。講師に新発田郷土研究会理事の板倉敏郎氏。
地域住人が60人以上参集し会場を埋めた。各集落ごとの地名の由来や歴史的な背景など講演。また集落に残る古文書、地図を説明する地域の方が郷土の魅力を語る。
中井地域は一面の沼地に島のような土地が点在。舟渡や中谷内、中曽根などは湿地の意味がある。島潟のように島の文字が入るのは川の中州。我が集落「西名柄」は加治川の流れの強いナガレの場所だった由来がある。向中条のように向かいが付く地名は川などに分断された後の地名とのこと。
最後に「郷土の歴史を次の世代に引継いで下さい、この地域に暮らす人たちや都会に出た若者たちも魅力を感じる地域にしましょう」と締めくくった。
会派正副会長会議では「議員定数・報酬に関する特別委員会」の設置について、その後の議会運営委員会では11月1日の臨時会の運営について、市議会だよりについて、地方議会議員の厚生年金の加入を求める意見書の取り扱いについて等々を協議。
「市議会だより」について意見を言わせて頂いた。「市議会だより」の発行は広報広聴委員会が特集記事の取材から写真撮影、原稿作成、議案の審議内容の編集や議員から提出の要約した討論原稿と一般質問原稿のチェック等々、膨大な仕事量がある。そして校正など全て任せている。
今日の議会運営委員会で初めて今号の初校校正原稿を見せていただいた。私の一般質問の要約原稿は締切前に提出していた。決められた文字数もかなり余していた。一般質問の3項目目のタイトルを入れ忘れたので入れて欲しいと、以前、広報広聴委員会で諮ってもらったが、結果は締切後の追加なんか受け入れられない。と・・・。忙しい広報広聴委員会の手を煩わせることになるので了解した。
しかし、今日の初校原稿で言い回しや間違いなど、それぞれ原稿を出した議員の原稿に変更する点があるかチェックして欲しい。と説明を受けたので、ダメだと裁定された私の一般質問のタイトル挿入は可能か?と伺った。(結局、締切を守って出した原稿でもその後、追加の文字は入れられない)
新発田市議会は一般質問や会派代表質問の通告書の提出は締切時間が1分でも過ぎると、一般質問や会派代表質問ができないほど締切には厳しい。しかし今回の「議会だより」について、締切日を過ぎて提出された他の議員の原稿は何故かそのまま載せている。広報広聴委員会の委員長は公明党の石山洋子議員。原稿締切の扱いに二重基準が無いようしっかりと委員会で取り決めと欲しい。
議会運営委員会の席上、議員の原稿提出締切の日がかなり短くなった。しかし広報広聴委員会の大変さを考えれば、原稿の締切はしっかり守るよう各議員に徹底した方が良いと発言した。
その後、今日の3つ目の会議は、昼食時間を過ぎて12時40分まで引っ張った、令和4年度一般会計決算審査特別委員会の振り返り会議。反省点を次の特別委員会につなげていくために大事な意見が多く出た。特別委員会で提言書をつくり議会の総意で市長へ提出することは見送られた。
議会活性化、議会改革の方向性に逆行しない方が良い。二重基準が無い方が良い。
飛行機の乗継ぎのクアラルンプールで日本の国旗を付けたインドネシアの青年達が出国ゲート前に待機していた。日本語ができますか?と話しかけると、少しだけ大丈夫です!と笑顔。私と同じ飛行機に搭乗予定。彼らはこれから埼玉県へ3年間技能実習生として働く。職種は製造業、建設業とのこと。私は26年間インドネシア人を含めアセアンからの農業の配属先だったと話すと意気投合。
技能実習制度は技能移転による国際貢献が目的。しかし草の根交流として人と人との国際間の理解が自然と広がることも大切。戦禍が各地で拡がる中、争いのない平和な世界が一日も早く来て欲しい。
自宅に到着しキンモクセイの香りの中、畑の晩秋トウモロコシの太り具合が気になり畑へ。日本の生活に復帰した。
フロントには朝5時にモーニングコールを頼んだ。5時前に枕元の電話が鳴りインドネシア最後の朝に荷造りの最終チェック。道路事情が日本と違うのでスラバヤ飛行場までは余裕を持ってホテルを出発したかった。案の定、大量の朝の出勤バイクを縫うように?縫われるように?バイクに追い越される。車中ではバドリ君のスマホに20年ほど前、我家で研修していたスプリャント君からWhatsApp (無料電話)がはいった。彼はスラベシ島の研修生だった。
「私の家にも来て欲しい・・」彼は42歳になり3人の子どもに恵まれ、養鶏業をしている。経営は順調なようで安心した。彼はインドネシアに帰国後も日本に農業青年を送り出す機関(農業訓練庁)で日本語の先生もしていた。日本語を教えた私のおかげと言っていたが、今も流暢な日本語であった。空港まで4時間が経過する中、漁港や市場、塩田などの説明をガイドの様にバドリ君が説明してくれた。彼も私と数日間、日本語を話していて言葉が甦ってきていた。
インドネシアの国は成長し続けている様に感じた。人口減少、高齢化の問題はない。生産年齢人口の比率が高く、国内消費がスマホ等の通信機器からバイク、車がインドネシア経済を押し上げている。生活水準の改善で国内消費がどんどん伸びている。
バドリ君いわく、世界第4位の人口、しかし就労の場が追いついていない。大学を卒業しても働く場のない人が多い。農村と都市部の格差はなくなりつつあるものの高学歴思考で学費の心配が出ている。
新婚バドリ君に子どもは何人つくりたいですか?と聞くと。直ぐに2人がちょうど良いと応えた。
今まで26人の研修生を受け入れてきて、彼らの文化、生活様式、この国の農業で何が必要なのか。現場を見て教えなければならない基本的な生産技術(土壌診断、施肥、灌水・・)やマネージメント(6次産業化や販路)について。彼らの悩みを聞くと反省する点がある。
現在、我家は新型コロナ発生後は受け入れは中止している。これからは若手の受け入れ農家に助言をしてゆきたい。
バドリ君の親族、新婦の親族、近隣住民の多くの方々に私が滞在中大歓迎をしていただいた。Terimakasih,sakarankon.
・・・自由に書いているブログが行政視察の復命書みたいになってきた・・・
インドネシアでは車やバイクのほとんどがトヨタ、スズキ、ミツビシ、ホンダ・・・が普及している。そしてもっと普及して使いこなしているのがスマートフォン。インターネットなど使用のギガ数に合わせたプリペイド方式。街の至る所に携帯会社のミニショップがある。子どもからお年寄りまでいつも手に持って離さない。食事中も料理の皿の横に置きながら着信などを確認している。
よく見かけるのがバイクを乗っている人も車の運転手もスマホの音声認識機能でハンドルを握りながらナビやネット検索も・・・使いこなしている。
私のホームページのブログも翻訳ソフトを使いインドネシア語で閲覧してくれていた。
これから日本へ研修に出る予定の東ジャワ州の青年達ともzoomでミーティング。ちょうど日本語講習を終え、車で移動中の彼らと「日本で学びたいこと」「なぜ日本を選んだのか」等バドリ君のスマートフォンを借りて質疑も・・・
バドリ君が婿に入った家は集落でも立派な家。奥さんになった女性は優秀な人で壁には学業の表彰状やトロフィーなどが並んでいた。バドリ君のモノが無かったので、優秀なバドリ君に私が賞状を書いて授与式。家族や友だちから拍手。
横書きの文化に縦書きの漢字やひらがなを自在に操り?書き上げる様子を不思議そうに見ていた。カレンダーの裏に達筆ではないが、心のこもった賞状を壁に貼ることになった。
夜の食事後にイスラエルとパレスチナ(ハマス)、ウクライナとロシアに関するインドネシアのニュースのスタンスやインドネシア人の考え方について、翻訳アプリをインストールしたタブレットを駆使して聞いてみた。なるほど・・・
日中は暑いから夜に仕事をすると言って、台所の燃料の薪割りを始めた。斧も使いこなしている。
「朝、6時45分にホテルのロビーで待っていてください。」とバドリ君から昨夜告げられた。迎えの車に乗り込み結婚式の会場へ着くと祝いの音楽。歌はアラビア語と伝統的な楽器の演奏。楽団の音は村中に響くほどの大音量。そして気温は34℃を越え灼熱の太陽が結婚式場を更にヒートアップさせる。
結婚式は妻となる人の家の前で盛大に行われた。300人を越える参列者の前で厳粛にイスラム式の結婚の儀式。式の中では「日本から新郎バドリのお祝いに来てくれたヨシオ・ワタナベ・ありがとうございます。」とインドネシア語で紹介された。初めて日本人を見る人ばかりとのこと。結婚式の服装はバテイックと下半身はサロンを巻くという民族衣装と帽子が正装。私もバテイックの服を持参して来たが、日本人らしく白いシャツにネクタイ・ジャケットに切り替えた。正解だった。
お祝いの席の食事が終わると新郎新婦の写真撮影。そこへ兄弟、親戚、友人等が次々と幸せの2人の横で一緒に写真に納まる。私も日本から持参したご祝儀とお祝いの品々を持って写真撮影。お色直しをしてからも撮影会が続いた。
結婚式場の入口には大型スピーカーが積まれ、その横におもちゃ屋の屋台が店開きをはじめた。親にねだって買ってもらったキャラクター風船に喜ぶ多くの子ども達が目に止まった。
結婚式が終わっても祝いの音楽は終わらない。
綺麗な花嫁を多くの女性達が羨望のまなざしで見ていた結婚式。
バドリ君は4人兄弟の末っ子。今日から奥さんの家に住むことになる。そして奥さんの家族と一緒に農業で生計を立てて行く。
末長く幸せになって下さい。
滞在のホテルから近い観光施設は少ないがViharaという仏教、ヒンドゥー教、イスラム教の建物がある場所を紹介された。日曜日だったが観光客はほとんどいなかった。しかし施設オーナーの1人と話すことができた。ダルマさんという何とも仏教に縁のある名前の若者。大阪にレーシング・エンジニアの勉強に2017年から3年間滞在していたとのこと。ここパメカサンには日本人が居ないので日本語は使う機会がなかった。今はこの施設のオーナーで初代の先祖から数えて13代目。両親や友達とお祈りに来ましたとの事。他にトラックなどのデイゼルエンジン関係の仕事を地元でしている。大阪に居た時はセブンイレブンでアルバイトも経験し接客とデータ管理に感心。様々な会話が弾み、日本で住んで一番良かった事は?、悪かった事は?
今は妻と生まれたばかりの子どもがいるので、子どもが大きくなったら日本に行きたい・・・。思わぬ日本通の青年に出会った。
バドリ君に身近な庶民の食堂へ入ってみたいとお願いして食堂へ。「ソト・アヤム」という鶏肉や卵、野菜の入ったスープとごはんのスパイシーな昼食。明日の結婚式の準備に昨日のお姉さんの家へ再び訪問。途中にバナナを購入。道がだんだん細くなり、子どもの頃テレビで見ていた「すばらしい世界旅行」の途上国編を思い出された。
気温は32℃と暑いJalan-Jalan(散歩)の一日。これからバドリ君の親戚の女性達は明日の結婚式の料理つくりに家は大きな笑い声で溢れていた。
お祝い事の前夜は賑やかに日が暮れてゆく・・・
















































