今日の分科会は、津田診療所特別会計、健康福祉部所管の決算について審査しました。
今日の記事
「大衆とともに」60年に寄せて
「『大衆とともに』から60年」――これが、標語、スローガンにとどまっていてはならない。私は今、そう強く感じている。
党創立者がどんな思いで公明党を結成したのか。所属議員はどうあるべきなのか。60年前の9月13日、公政連の第1回全国大会で示された指針には、その全てが込められており、私はいわば“立党宣言”であると捉えている。
当時、世界は激動し、東西冷戦の中で核戦争の脅威が日増しに高まっていた。講演翌月の10月には、米国とソ連が核使用のボタンを押すか押さないか、一触即発のところまで至った「キューバ危機」があった。一方、日本の政界は、自民党と社会党(当時)がそれぞれ派閥争いに明け暮れ、大企業や労働組合の利益を最優先する政治が横行。庶民、大衆が置き去りにされていた。
そうした状況にあって、民衆を守り、民衆の幸福のための政治を誰が担うのか――と、創立者は9月13日に公政連の議員に対し「民衆とともに歩め」と叫ばれた。ここに、公明党への全ての思いが凝縮されている。
すなわち「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のために戦い、大衆の中に入りきって、大衆の中に死んでいっていただきたい」との言葉だ。
創立者は政治家のあるべき姿として「団結第一」「大衆直結」「たゆまざる自己研さん(勉強)」の3点を示された。冒頭に「団結」と言われている。それは「庶民をどこまでも守り抜く」道を歩む。その「志」を同じくして前に進むことが団結の要諦だと思う。
現場回り課題を直接肌で感じよ
二つ目に「大衆直結」。生活も災害も、問題は現場で起きている。庶民の生活現場に身を置くことだ。私は「現場には空気があり、匂いがあり、優先順位が分かる」と思っている。2011年の東日本大震災の後、宮城県気仙沼市の漁協に足を運んだ。たくさん要望があると想像していたが、ただ一つ、「気仙沼はカツオさえ水揚げできれば元気になる」と。現場で直接、肌で感じなければ分からない急所だった。
政治は徹底したリアリズム(現実主義)、刻々と変化する状況に対する臨機応変の自在の知恵だ。空中戦ではなく、現場の力であり、現場で直接、肌で課題を感じていくことが非常に大事だ。そこに「大衆とともに」のセンサーが起動する。さらに政治家は、情報氾濫の中、ポピュリズム(大衆迎合主義)への誘惑と権力の魔性にどう耐え得るかが試される。
そのためにも現場に足場を置くことが大切だと実感してきた。「現場はこうなっています」という説得力だ。私は季節とともに現場を歩き、正月になれば新年会に300回、桜が咲けば人が集まる所に顔を出した。夏は祭りや盆踊り、秋は文化祭、冬には餅つき100回以上……。回って回って、あいさつして話を聞くことを一年中やってきた。地域の評価はマメということ。政治家はとにかくマメが一番だ。
3番目は「自己研さん」。目の前にある課題に目をそらさない。それには、物価高やロシアのウクライナ侵略、経済、社会保障など、今ある課題を勉強する。公明新聞の解説も貴重だと思う。今は情報があふれ、民意が大きく揺れ、問題が整理されないことが多い。
中道とは「道に中る」ということ。問題を整理して本質を突き詰める、全体を俯瞰的・調和的に観る、対立する意見を超えて新たな解決の道を探る、という姿勢が大切だ。それには自身を鍛え、学び続けることだと思う。また学び続ける人には魅力が生じる。
仕事をして周囲から信頼される存在へ
それぞれの地域にいる公明党の議員は、ただ一人だ。仕事をすることで「地域の柱」として信頼される。そうして存在感を発揮していく以外に、党勢拡大の前進はない。
公明党は「太陽の党」だ。どんな人にも平等に光と熱を注ぐ太陽のように、困っている人、悩んでいる人に寄り添い、励まし、希望を持ってもらえるような存在となっていきたい。私自身、昨年議員を勇退したが、本当に数えきれない多くの方々にお世話になってきた。これからも「大衆の中に死んでいく」との指針のままに、報恩感謝の闘いをしたい。
