本日(11/3)、4年ぶりに開催された「昼間の渡し・火祭り」に行ってきました。
「昼間ノ渡シ場跡」は、西区飯田新田にある、荒川(現・びん沼川)の渡し場跡の一つ。地域に伝わる伝説で、徳川家康が関東入国直後の1591年に、川越から岩槻に向かう途中、北条氏の残党に追われ、夜中に荒川を渡る「渡し場」にたどり着いたとき、付近の村人たちが総出でかがり火をたいてこれを迎えた。まるで昼間のように明るかったことから、家康が渡し守に「昼間」の名字と土地を与えたといわれています。
2007(平成19)年に地域住民の手により渡し場跡が整備されたことをきっかけに、毎年11月3日に「昼間ノ渡シ火まつり」を開催しています。
以下に「昼間の渡しと徳川家康伝説」を掲載します。
昼間の渡しと徳川家康伝説
大宮と河越方面を結ぶ道が荒川を越えるには、かつては渡し船に頼っていました。大宮では宝来のの「老袋の渡し、遊馬(西遊馬)の「千手堂の渡し」と、当地に伝わる「昼間の渡し」がありました。
伝説によると天正(16世紀後半)の頃、徳川家康が川越から岩槻へ向かった時、この渡し場へさしかかった頃には日がトップリと暮れてしまいました。これを知った村人はかがり火をたき、手に手に松明をかざして家康の一行をお迎えしました。その明るさがあたかも昼間のようだったので感激した家康は、渡し守に川岸あたりの土地を与え、姓を「昼間」と名乗らせたというものです。
江戸〜大正期には飯田河岸として使われ、川岸には船頭小屋・筏宿・茶屋などがあり賑わいを見せたようです。なお、県道が新設された明治末には、現在の船渡橋付近に渡し場も移動したようです。現在は河川改修により新河岸川放水路がびん沼川に合流、旧荒川の面影は湯来町から飯田新田の一部で見られるだけとなりました。
薬師堂(100メートル南)の境内にある石造の馬頭観音には「右 世野町 大ミヤ 岩つき道」「左 飯田渡船 川こえ道」と彫られ、古い道が東西を結んでいたことを伝えています。
さいたま市教育委員会










