〜 フォトクラブE-ne写真展 〜
〜 農業まつり 〜
〜 オレンジリボン街頭 〜
〜 災害ボランティア 輪島市へ⑤ 〜
11月15日、2箇所目の活動は、火災により消失した輪島朝市の焼け跡から、ご依頼のかたの大切なものを探す作業でした。私は、ふるいにかけられたあとの石や瓦礫を集め、土嚢に詰め運ぶ作業をいたしました。
家主の方から、ここには自分の部屋があり、ここは作業のためのリヤカーがあった場所とのお話に、今日までどんな思いで生活をされて来られたのかと思うと胸が熱くなりました。
今月中に朝市跡地が整備されるとのことで、一つでも大切な思い出のものを探し出すという被災者に寄り添う形のニーズも全て受け入れるとの、輪島市社協の思いもお聞ききました。
作業がひと段落した後は、千枚田の様子を見に行きました。きれいな棚は流れ崩れており、とても寂しい思いでした。
輪島の大きな観光が、震災と豪雨災害により大きな打撃を受け、人々の安心した生活もまだまだ途上です。今回のボランティア活動からの学びを生かし、我が地域の防災減災対策をしっかり行なっていきたいと思います。
これから寒い冬へ向かいます。改めて、被災された皆様の健康と一日も早い復興を心から願っています。
〜 災害ボランティア活動 輪島市へ④ 〜
11月15日、輪島市での災害ボランティア活動2日目。
この日はご自宅の井戸へ流れ込んだ土砂をかき出し、再び使えるようにするための作業をいたしました。
9月の豪雨によりご自宅の裏山が崩れ2メートレほどの高さまで土砂で埋まったそうです。その土砂は、きれいに取り除かれ裏山も削られていましたが、井戸の中にはまだ1メートルほど土砂が埋まったままでした。壁には、土砂で埋まったあとがくっきり残っていて、恐ろしさを感じました。
狭い井戸の中には一人しか入ることが出来ず、土嚢の準備や泥水の掃き出しなどお手伝いしました。
このご自宅の前にある小学校は、子どもたちの姿はなく、校門には、学校案外盤が倒れたままでした。
作業後の綺麗になった井戸を確認し作業終了となりました。
〜 災害ボランティア活動 輪島市へ③ 〜
11月14日の1日のボランティア活動を終えて、輪島市議会議長との面会のため輪島市役所へ伺いました。また、現在、尾張旭市役所から輪島市へ派遣されている職員の方にもお会いしました。市役所正面玄関の大きな歪みは、まだそのままの状態でした。
尾張旭市と輪島市は、災害協定を締結していることから、今年3月27日、柴田尾張旭市長が、輪島市長へ直接義援金をお届けいたしました。その時に、尾張旭市議会としても議員の総意で用意させていただいた義援金を一緒にお届けしていただきました。
当時、議長をしておりましたので、輪島市議会議長からのお礼のお電話をいただき、その話の中で、「ボランティアへ必ず伺います。その時、是非お会いしましょう」とお約束をいたしました。今回のボランティア活動で、その時のお約束を果たすことが出来ました。
議長副議長との懇談の中では、市内の復興状況や災害時の議会の対応など伺いました。現在、議長は仮設住宅に住み、議員の皆様も全員、大なり小なりはあるものの何らかの被害を受けた中で、被災された市民の皆様の声を聞きながら活動をされてみえるとのこと。災害時の市議会の対応のあり方の学びになりました。
〜 災害ボランティア活動 輪島市へ② 〜
〜 災害ボランティア活動 輪島市へ ① 〜
11月14、15日に、輪島市へ災害ボランティア活動に行ってまいりました。
1月1日の地震発災し10ヶ月が経過し、9月の豪雨災害も重なり、まちの中は、解体工事が行われているところもありましたが、災害直後のままで手付かずの家屋や道路もまだまだ多くありました。
14日は、輪島塗りの職人さんの全壊となっているご自宅へ。裏庭にある倉庫から荷物を運び出し、ご自宅のタンスを小屋へ入れ、輪島塗りの道具などを運び出す作業のお手伝いをいたしました。
大正時代から続く輪島塗りの職人さんのご自宅からは貴重な器がいくつも運び出され、時折、感慨深げに処分するか悩んでみえるご主人のご様子に熱いものが込み上げてきました。
全壊となっているご自宅は、電気も水道も通すことが出来ない状態でした。でも、また、輪島塗りを仕事を続けていきたいと話され、作業後には、作品を見て欲しいと言われ、精巧な輪島塗りの器とお箸を見せていただきました。
どうか、お身体を大切に。これからも輪島塗りのお仕事を続けて伝統を守ってくださいと心から想い、被災地の1日も早い復興を心から願っています。