子どものいじめ問題の解決など、教師には学校教育と合わせて心理臨床といった子どもの内面を深く理解する力が求められている。
京都新聞23日付に掲載された、講演「学校教育と心理臨床」、シンポジウムの内容から。
記念講演「学校教育と心理臨床」
倉光 修氏 東京大学 学生相談ネットワーク本部学生相談所教授
今日の日本における教育は、心身とも健康な子どもだけを対象にしでいるのではない。心に深い傷を負った子どもや問題行動に苦しむ子どもたちとも、日々接しているというのが現実だ。教師の中には、スクールカウンセラーなど心理臨床の知識や技簡を持つ専門家との交流によって、子どもの心がより深く理解できるようになったり、トラブルを適切に解決できるようになった。さらに親とのコミュニケーシヨンがスムーズになったという人が少なくない。
不登校やいじめ、非行や自傷行為などの問題を理解するには、心理臨床の視点から見るとより納得がいくというケースもある。多くの教師にとって、心理臨床の知識をある程度身につけて、臨床心理士と連携すれば教育の質をより高くする基盤がつくりやすくなる。この基盤は、教育の「育(はぐくみ)」の部分に相当し、この基盤を教師へがしっかりもつことによって、子どもたちはより学ぶ楽しさを体験できる。
臨床心理士にとっても、教師との交流は現場の声を聞くのに不可欠だ。両者が互いの専門性を認識して有機的な連携を深めれば、子どもたちのより豊かな内的成長に貢献できる可能性が高まる。
学校教育とは知識や技能の向上を目指して集団に物事を教えるもの。心理臨床は心理的問題の克服を目指して一人一人の悩みを受け止めるもの。カウンセラーは子ど恥と苦しみを共有し、この子は深いレベルでは何を願っているのかを考えて話を聴き、その子の進むべき道を見出そうとするものと私は考える。その過程では、誰にとっても正しい答えはなく、子どもや親と一緒にその子どもにふさわしい答えを探してゆく。そして接し方としては、不安や不満をできるだけ共感的に理解しようと努め、物理的にそばにいられなくとも心理的にはそばにいて、心の中で対話できるイメージになればいい。こうしたアプローチがあれば問題行動があってもそれを理解し、より良い方向へ子どもを導むこどができる。
学校教育と心理臨床は、ともに心の深みから湧き出るエネルギーを得て、心の高みを目指すベクトルとしで捉えることができる。両者の真摯な相互作用は、教育の現場に豊かな実りをもたらすだろうと私は考える。
シンポジウム「子どもの内面にふれる新しい教師像の創造」
香川 子どもたちはどんなことで悩み、苦しみながら、一生懸命生きているのか。どのようなサポートが求められているのか。今日は、先生方の豊富な経験から話し合っていただきます。
山本千 大勢の親子に出会ってきましたが、母親一人で子育てをしている家庭がありました。お母さんは忙しくて子どもに楽しい経験をさせてやっていないからと、大型スーパーへ行ったのです。小学生の末っ子は、家族で出かけたのがとてもうれしかったらしく、「家族みんなで○○へ行…き、○○と○○と○○を買いました」と作文に書きました。ところが教師が書きこんだ感想は「あまり無駄遣いしたらだめよ」でした。これを読んで、その子のお姉ちゃんは「だから教師はきらいなぜんや。子どもの気持ちがわかつてない」と怒ったということがありました。 香川 「家族みんなで買い物に行けたのがうれしい」が肝心なことなのに、教師は無駄遣いにとらわれた。子どもの感じていた喜びとすれちがってしまったのですね。学校への訴えが多い母親についても、気付くことはありますでしょうか?
山本千 「子どもがいじめられている」と訴え、いつも授業を見に来る母親がいました。学校に意見もするのですが、実はその家庭は転勤で京都へ来ていて、母親は慣れない環境で不安といらだちが募っていたのです。そこで「お母さん、不慣れな土地でたいへんじゃないですか?」と対話を続けてゆくと、険しい表情がふっとほぐれて「よろしくお願いします」と委ねられました。自身の困惑が、学校への訴えにつながっていたんですね。親も子も、問題行動の背景には必ず何かあるというふうに思える先生が学校にたくさんいてほいです。
香川 教師と臨床心理士は、重なり合う面があってもそれぞれ中心とするところが微妙に異なります。教師生活31年、このうち教育相談機関に15年おられて両方の立場が分かる山本岳先生は、どのようにお考えでしょうか?
山本岳 心理臨床と学校教育は似て非なるものであり、学校教育に心理臨床の知恵をどう生かしていくかは大きなテーマです。私のこれまでの経験から、十二分に愛情を持って対応されていない、イメージで言うならば、抱えられていない子どもたちが、最近増えてきているように思います。そのため、学校は子どもが抱えられていると実感できる器としての機能が必要です。その実現に向けて、教師は心理臨床と学校教育の両方の専門住を高めるとともに、それらを別々のこととしてではなく、ベクトルを幅広く柔軟に変えて子どもとの関わりに生かしていくことが求められています。また、保護者、地域の方々など様々な立場の人と連携し、器として子どもたちを抱えていけるよう協働することが大切と考えています。
香川 外村さんのチャイルドラインは、電話で予どもたちの悩み相談を受けておられるので、切実な声がたくさん寄せられるのではないでしょうか?
外村 子どもの憩いの場になっていると感じます。子どもは、悩み’があっても「親や先生には話せない」と言います。誰にも言えないから、電話で吐露するんです。教師に一度「こういう子だ」とレッテルを貼られたら、そこから抜け出せない。親子関係においても、子どもをよく見ず、理解していない親御さんもいます。だから子どもの気持ちを受け止めてくれる先生、子どもの声をよく聞く大人が増えてゆくようにと願いながら活動しています。
香川 「親や先生には言えない」というのは重い言葉ですね。
香川 学校へ行かずぶらぶらしている中学生くらいの子どもたちの中に、家にも学校にも居場所がなく、やるせなく街をさまよっている子どもたちがいるように思います。文部科学省の分類では、このような子どもたちは「遊び非行型の不登校」と呼ばれてしまうかもしれません。ですが「遊び」という言葉から連想してしまうような「楽しき」を感じているわけではない場合がほとんどではないかと思います。背景には居場所のなさと深く傷ついた心があります。こういった現状に気付く大人が必要でしょうし、とにかく気付いた大人が本気になって子どもと関わらねばならない時代だと痛感します。
山本千 子どもが置かれている環境は様々で、せつないと思いながらどうしたらいいか分からずに悩む教師もいます。どう頑張れば良い先生になれるのかと苦闘している教師もいます。京都文教大学ではそんな苦闘を乗り越える力を持った教員を育てて欲しい。
山本岳 心理臨床と学校教育の関係について述べましたが、学校教育機能の中心となるものが教科等の指導です。体験を言葉にしてそれを人に伝えることができる「ことばの力」も含め、学力をしっかりとつけることが学校教育の果たすべき大きな役割です。特に小学校では基礎や基本を習得させることが求められています。心理臨床にも教科指導にも素養のある教師の養成が急務です。