大津市議会議員 佐藤弘

一人のひとを どこまでも大切に 心豊かな まちづくりを目指します

いじめを告げる勇気

教育 未分類 / 2012年12月1日

「いじめをストップさせる方法は『逃げる勇気』と『告げる勇気』をもつこと」(全国中学生人権作文コンテスト、稲田さんの作品)

「いじめに」には勇気をもって立ち向かうことであると子どもたちも考えている。

中2年生の彼女は「告げる勇気」をもつことがいじめをなくすことにつながる、と訴える。

「いじめ」を見て「見ぬふり」「無関心」「何もしない」のは、いじめに荷担してることと同じである。

何もしないことは、悪いことをしていることと同じである。

行動こそが解決への道であり、正しい行動である。

121130_人権作文コンテスト_勇気を持って

政局より政策-坂じいの言葉

未分類 / 2012年11月23日

本日の読売新聞に引退議員の後進への言葉が掲載されていた。
坂じいこと、坂口力公明党副代表からは次のとおり。
政局より政策…坂口力 元厚労相 78(公明)
厚生労働相のとき、医療保険改革、年金改革で「坂口試案」を作り、それを踏まえて厚労省が法案を提出する手順を作り上げた。民主党政権は「政治主導」と言いながら、最終的には役人の言うままになってしまったが、試案をみんなに問いかけるという今までにない手法をとることができたことが一番印象深い。
社会保障・税一体改革では、公明党は消費税率引き上げに反対する意見が多かったが、私は「社会保障の充実を主張する者が財源について十分な説得力を持たないのでは、その名に値しない」と激しく主張した。社会保障の将来を考えたとき、一体改革を壊してしまっては禍根が残る。
33年間の議員生活で強く思うのは、政治が政局で動きすぎることだ。野党のときの民主党も自民党もそうだった。政局に傾きすぎると時間を浪費し、物事を決められなくなる。それは国民にはマイナスだ。日本の政治の方向性を決めるのに手間がかかり、他国に後れをとっていることにも結びついている。これから先、政策的に賛成であれば、与党であれ野党であれ賛成する姿勢が大事だ。政治の動きが激しいからこそ、余計に注意をする必要がある。
政界きっての政策通、坂口力副代表の言葉を大切に受けとめていきたい。



企業訪問~現場視察

未分類 / 2012年11月17日

16日は、4社の企業訪問、美化センターの視察そして途中で災害復旧工事の現場を訪問した。

美化センターの一段下にある温水プールは幾度か子どもを連れて来たことはあるが、美化センターの訪問するのは初めてだ。

市民の方もこういう施設は余程関心のある方でないと見学には来ないだろう。

各企業訪問途中で土砂崩壊の災害復旧現場を覗いた。

家の裏山の法面整形と擁壁土留め工事のようだが、作業スペースがなく少しづつ小型のバックホウとキャリーダンプで土砂を運搬搬出していて、大変に手間のかかる作業だ。

住民の方も、この工事が無事完成すれば、安心して眠れることだろう。

企業の方からは、景気対策の要望あり。

学区の文化祭に参加

未分類 / 2012年11月4日

3、4日は地元瀬田学区恒例の文化祭が開催された。

開会式には来賓としてご挨拶をさせて頂いた。

今年は自治会で文化委員に任命されているので、終日場内をうろうろ(3日だけ)。

最後は、テントやテーブルなどの片付けをした。

家内も、うどんやバザーに2日間かかりきりだった。

地域の皆さんの協力がなければ出来ないことだと改めて感じた。

皆さんお疲れ様でした。

開会式のファンファーレと風船飛ばしの様子

立札看板がぼろぼろに

未分類 / 2012年10月13日

9月30日の台風17号来襲のあと「看板が倒れている」と連絡があった。

すっかり忘れていたが、先日倒れた看板を見に行った。

看板は、根元のところから折れて倒れていた。

原因は、看板の杭が虫に食われたためのようだ。

杭だけではない、看板の枠も食べられているではないか。

恐るべし「何?虫」、シロアリか?

最新の道具を使いこなせ

未分類 / 2012年10月9日

スーパーコンピューター「京」の性能については、様々な分野で革命的な力が発揮されようとしている。

コンピュータの得意とするところはシュミレーションだと思う。

気象や医療、物理学などこれまでもテレビ等でも「京」を利用した世界が紹介されていた。

今後、あらゆる分野の専門家や関係者がこの「京」という「道具」を使いこなして欲しい。

医療でもレントゲンに映し出された影を判断することなど、経験豊かな医師とそうでない医師では大きな違いがあるだろう。

だが、CTやMRでの測定データをコンピューターで解析して、画像に変換すると医師でも気づかなかったものが見えてくる。

これまでもそうであったように、これからも一層、専門家とコンピューターや専門機器とは切り離せない時代になってくる。

これからは、専門家がコンピューターといった「道具」を活用できるようにするために橋渡しできる人、また両方駆使できる人材が求められる。

そうした能力を身に付けた人材を教育していくことがこれからの課題だろう。

34台目の車椅子贈呈

未分類 / 2012年10月7日

8月(アップするの忘れていました)に一里山の介護施設に車椅子を贈呈した。

公明党員と支援者のほか多くの協力者からなる「すばるグループ」。

これまでも、皆さんの手によって集められたアルミ缶の回収資金で支所や福祉施設に車椅子を贈呈してきた。

今回の贈呈で34台になる。

この施設の理事さんは以前、党の介護施設の一斉点検の時に訪問した時から存じ上げている方だ。

その時は古い民間の賃貸住宅を改修した施設であったが、2年(?)ほど前に今の場所に移転新築された。

今回の贈呈は、近くの県議の奥さんが当施設でボランティア活動をしていることがきっかけとなった。

「悠悠」の管理者、利用者の皆さんと「すばるグループ」のメンバーで記念撮影

電子行政のオープンデータ戦略

未分類 行政 電子情報 / 2012年10月5日

2012年7月4日、IT戦略本部は「電子行政オープンデータ戦略」を決定した。戦略の目的は、国民共有財産である公共データの活用を促進し、我が国の社会経済全体の発展に寄与することである。

そこで、当戦略策定に携わった佐賀県特別顧問の川島宏一氏と、諸外国のオープンデータ動向に詳しいNTTデータ企画調整室の高木聡一郎氏との、オープンデータの電子行政推進における意義と今後の展望についての概要を紹介する。

以下は、「オープンデータが実現する新しい社会」からの抜き書きである。

行政における情報は、経営資源である人、モノ、カネ、情報の4つのうち、ただ一つ残された自由度の高い資源として、その価値が期待されている。

行政情報をオープンにすることで、行政内部の合意形成にも効果があると言われている。

なぜかというと、特に自治体の場合、全体の作業時間量の7~8割ぐらいが、プランの内容を組織内でオーソライズすることに使われており、それらのコストを下げることができれば、住民をはじめとする受益者に対する実サービスの提供時間を増やすことができる。

さらに、公務員のモチベーションを維持し、向上させることができる。
そもそも人の役に立ちたい、という思いで公務員を選んだ人たちが、日々の業務に忙殺される中で、モチベーションを維持することが難しい状況になっている。そこで、自治体職員が公共サービスに携わることの喜びや誇りを取り戻すためには、オープンデータをフルに使うことだ。
自らが携わる仕事、日々生み出している情報を外部に広く公開することによって、あなたはこんな良い仕事をしている、こういう価値を生んでいる、ここで人助けをしている、ということが意識できるようになれば、これは本当に意味のあることではないでしょうか。
それまで全体の歯車の一つとして機械的にこなしていた仕事が、具体的に誰かに喜んでもらえている様子がわかれば、ボーナスや表彰とは違う形での価値や手ごたえが感じられるようになるでしょう。
人事部局の方だけではなく、各部門の管理者の方も、オープンデータ戦略をぜひそういう観点で捉えて欲しいと思う。
オープンデータの実現は、住民の利益を生むだけではなく、一緒に働く職員のやる気を生み出すことにつながります。ぜひ多くの自治体の方に、取り組んで頂きたいと願っている。

学区自主防災訓練

未分類 / 2012年9月23日

23日、大津市総合防災訓練がおこなわれた。私の地元学区でも瀬田学区自主防犯防災会の主催で防災訓練が行われた。

今回のメイン訓練は避難所運営ゲーム(HAG訓練)だ。

約200名が参加した。

今日のために自治会役員が、今月9日にHAG訓練を受けており、そのメンバーがリーダー役で5~6名が一組となって進められた。

私もリーダー役となって、以前受けた訓練を思い出しながら、無事進めることができた。

原発事故の避難留学生を受け入れ

未分類 / 2012年9月10日

大変な時には、人の優しさが身にしみる。

優しい話を聞くと、優しい人に会うと、人にもっと優しくしてあげたい。

優しさは、人と人とのつながりを感じさせてくれる。

第三文明10月号に掲載されている記事を紹介する。

これは、政治評論家の森田実氏、東日本国際大学前学長の石井英朗、東北大学大学院教授の安田喜憲氏ら3人のてい談「福島の再生、日本の未来」から、石井氏の談話の箇所だ



日本には九百近い大学がありますが、今春まで私が学長を務めていた東日本国際大学(福島県いわき市)は、その中でいちばん福島第一原発に近い大学です。直線距離にして四十二キロメートルのところに位置しています。

東日本国際大学には、発災当時約二百人の留学生がいました。私は学長として、学生たちの安全を確保することが最大の責務であったわけですが、残念ながら原発事故に関する情報はまったく入ってきませんでした。

ところが、留学生たちの携帯やパソコンには、彼らの母国から「大変な原発事故だ。メルトダウンが起きている」という情報がいち早く入っていたのです。留学生たちは皆、一刻も早く福島を離れたいと、学長の私のところに「成田空港まで運んでくれ」と言ってきました。
どうしたものかと途方に暮れていたとき、東京・八王子にある創価大学から、「一週間くらいなら、うちの寮の空いている部屋で留学生の皆さんを受け入れますよ」という申し出をいただいたのです。ありがたくお受けしました。
バスを連ねて創価大学まで行ったら、夜の八時過ぎの寒い中、大学の学長、理事長、教職員の皆さんが待っていて出迎えてくださいました。そして、温かい食事も用意していただき、留学生たちには国際電話を自由に使わせてくれたのです。
どれほどありがたかったか。涙が出ましたよ。生涯忘れられない出来事ですね。やはり、創立者である池田名誉会長の「いちばん苦しんでいる人の側に立つ」姿勢が、創価大学にも流れ通っているのだと思いました。