6月27日の 党外交安保調査会・憲法調査会合同会議をうけての記者懇談会で北側副代表は、武力行使の「新3要件」の1項目目の「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」の点について、「明白な危険がある」ことは「明白な危険が切迫している」に比べ「極めて限定された事態」であると評価した。
自衛隊法(防衛出動)第七十六条には「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃(以下「武力攻撃」という。)が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる」とある。
また、「明白な危険が切迫していると認められる事態」について、小野寺防衛大臣は「ある国が我が国に対して、武力攻撃を行うとの意図を明示し、攻撃のための多数の艦船、あるいは航空機を集結させているということなどから見て、我が国に対する武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると客観的に認められる場合」と答弁している。
自衛隊法の法文や防衛大臣の答弁で使われている「明白な危険が切迫している」より新要件に記された「明白な危険がある」事態は、危険が起こりうる状態よりも、正に危険が存在していることになり「危険」の判断基準が高くなり、強い歯止めとなる。
山口代表は「憲法9条だけを見ると、政府は武力の行使を一切否定しているようにみえる。しかし、『平和的生存権』を前文に書いていたり、13条では生命・自由・幸福追求という国民の権利は、政府が守っていかなければならないものだと書いてある。憲法全体をとしては、国民の権利が根底から覆されようとしているときには、政府が何もしないのは許されないはずだと。国民の権利を守るための最低限の武力行使は許されるはずという考え方は、公明党が容認してきた考え方だ」として「国民の権利を守るため、個別的自衛権に匹敵するような集団的自衛権であれば、一部限定的に容認して、国民の権利を守り、国の存立を全うするということは許される余地があるのではないか」と発言されている。
「我が国と密接な関係にある他国」に対する武力攻撃があった場合であっても「個別的自衛権に匹敵する事態」であれば、自衛の措置としての最小限の武力行使と認められ、これまでの政府見解の憲法9条の基本論理に違わないと考えても無理はないと思う。すなわち、「個別的自衛権に匹敵する事態での自衛措置」は集団的自衛権行使の憲法解釈の変更にはあたらないと考えられるだろう。
47年の参議院議員決算委員会の政府見解では「憲法は、(略)自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからだといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右に言う自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、(略)その措置は(略)必要最小限度にとどまるべきものである」としており、この見解の文脈からも整合がとれると考える。
今後、公明党は「個別的自衛権に匹敵する事態に対する自衛の措置」は「集団的自衛権の行使」ではなく「個別的自衛権の範疇での措置」であるとして、党員・国民に理解してもらえるようにして頂きたい。そして、最後は「平和の党:公明党」が平和憲法を守ったと言ってもらいたいものだ。