瀬田丘陵の地理と遺跡
源内峠遺跡復元に取り組んでこられた委員会の皆さんの主催で、瀬田丘陵の歴史・文化とまちづくりについて懇談会が開かれ参加した。
始めに滋賀県文化財保護協会の神保さんから、瀬田丘陵の遺跡群について講演があった。
今の地図では分かりにくいが、瀬田丘陵の地形は、ちょうど手を広げておいたようになっている。
つまり、手の甲が丘陵の高台で、そこから伸びた指が尾根の部分で、指と指の間の落ち込んだところが沢になっている。
この様な形状が東南から西北に向かって連続した状態の地形が瀬田丘陵だ。
古代このような地形は農業生産には不適な場所であったようだ。
丘陵の裾には東海道、東山道という交通路があったことや、瀬田川の東側で防御しやすかったこと、また国威を示すためなどの理由で、尾根にあたる高台に国庁のほか多くの遺跡群にみられる建造物がつくられたのではないかという。
当時、瀬田の唐橋を渡りながら正面にみえる、高台の大きな建造物は見る人に驚きを与えたのだろうかと想像してみた。
瀬田丘陵と遺跡群を糸口に、歴史と文化のまちづくりを進めることに知恵を出していかねばと、皆さん元気に活動されています。
