バックナンバー 2012年 3月

 祭日です。春分の日です。今日はのんびりと部屋のおかたずけでもして過そうかと思っていたが春のお彼岸なので、朝から彼岸法要に出かけ、私と一緒に暮らした父母と祖父に回向をし、さらに今回の大震災でお亡くなりになった皆さんや御先祖様にも回向申し上げた。私がこうして人間として生かされているのは偶然ではなく、きっとこの世に生まれてこなくてはいけない使命があったからなんだろう。私のこの世で果たさねばならない使命が何かは60を超えてもまだわからないが、きっと、生きて生きて生き抜く事が一番の使命ではないだろうか。人間ではなく、ゲンゴロウやカブトムシやカモシカやスズメに生まれていても何の不思議でもないが、しかしなにも使命感は感じないで、ただただ毎日の食事と子孫を残すだけを目標にその生を終えただろう。人間として生まれたからこそ、使命を感じているのだ。生きぬく事は大変厳しいが、逆に感謝しなければならない。ゴルディロックスゾーンにある地球に人間として生まれてきたことが奇跡。
 とにかく、ご先祖様に今生きる事に感謝しつつ、あと30~40年もしたら息子や娘が孫やひ孫とともに、私や家内に回向を送りながら、同じことを考えてくれるだろうかと思っている。アカンやろな。この私でさえ、法要が終わったら帰りにどこでなに喰おかと思っていたぐらいだから、私のDNAを受け継ぐ子孫達もおんなじ事を考えるに違いない。そんなんで私は成仏できるか。

 語る会を開催。いつもお世話になっている支持者3名と地域のご友人2名の女性5名とそれに私の6人で「大津市政を語る会」をご友人のお宅で開催させていただいた。またもやコーヒーとロールケーキ付。私なんぞはコーヒーのお代わりまで所望した次第。話は私が一方的にお話するのではなく、和気あいあいと雑談形式。話の中心は「介護保険」に集中。なぜなら参加者は私を除いて全員65歳以上。必然的にそうなる。私から介護保険料がなぜ上がるかを説明し、皆さんからは介護施設に入れない現状と保険料を払っているのに、介護を受けずに元気に過ごしているのだから、介護保険を使わなかった御褒美があってもいいのではないか、という話となった。65歳以上のお方であれば御褒美をいただいてもいいのではないかと私も思え、皆さんも一遍議会で新市長にカマシたってと激励を受けた。検討しましょう。2時間も話がはずみ、まさに語る会となったが、最後に「広報おおつ」は大変重要な事が一杯書いてあるので是非隅々までお読みくださいとお話してお開きとなった。とても充実したひと時だった。
 今日は肌寒かったが、天気もよく、まさに大津晴れの一日。琵琶湖も比叡の山々もすっきり。 O dolce otsu!

 今日は日曜日。なんかスッキリしない空模様と体調。それでも朝から約束通り殿方たちへの政治学習に出かけ、昨今の民主党政治のいいかげんさについてお話をさせていただいた。皆さんからは公明党の姿がなかなか見えてこない、などのご批判もあったが、概ね了解していただき、来るべき大きな戦いへの理論武装をしていただいた。
 午後は我が家の和子様を作っていただいた先生が市内の施設に”レースドール”を寄贈したいなんて言われるので、寄贈先に先生と御一緒に赴いた。先様からは大変喜んでいただき、先生も「こんなに感謝されるのなら、もっと作ろうかしら」なんておっしゃるので「そうしなはれ」とお応えした。寄贈先を探すのも大変なんですぞ。でも家内も尊敬している先生なので丁寧に丁寧に対応させていただいた次第。人形ばかりでなく、和子様のお洋服も一緒に作ったってや。家内が喜んでる間は波風も立たず至福の時。

 本日雨の中、小学校の卒業式が挙行され、私も来賓としてお招きいただいた。ご父兄の盛装も雨では気の毒に思えた。ここ最近の卒業式は歌がうたわれ、まるで合唱会のようである。粋な歌も結構であるが、私のように高齢者はやはり「仰げば尊し」とか「蛍の光」も懐かしい。一遍歌ってくれないかな。それとも、こんな歌は古臭くて子ども達が嫌うのかしら。それとも師の恩は尊いと感じられる教師がいなくなったんだろうか。今日の体育館はそんなに寒くはなく、春が少しづつ近づいている。
 そのあと、志賀葬祭場の竣工式へと急行。志賀の地も雨模様であったが、琵琶湖が霧の中から見え隠れし、それはそれはきれいであった。私の最後は大津聖苑で迎えることになると思うが、個人的に大津聖苑を訪れる時は黒い車で棺に入れられて訪問するのだ。喪服姿の家内が「ええ人やった」と話しているのが、空の上から見えるだろうか。それとも「私はもっとずーとあとで」と家内が話しているのが聞こえるのか。

 2月市議会定例会が終了。新市長を迎えてのはじめての定例会であったが、市長が具体的なビジョンを出さなかったので、大きな政策論争もなく、前市長を支援した各会派も「前市長からの引き継きばっかじゃん」となって、それなら「別に反対することおまへん」としてH24年度予算案も含めて全議案”了”として、いわばすんなり通うちゃった。何度もいうが、市長のマニフェスト(これとて別に突拍子もない中身ではないが)がにじみ出てくる6月からが本格的な論争となるのだろう。現に各会派も予算については、今回は引き継ぎ予算であるから賛成するが、次は知りません。との討論であったし、我が会派もその旨、討論した。
 議会終了後、本年をもって退職される職員さんのご挨拶があった。今回の退職者は家内と同学年であるし、家内と高校が同じ部長さんも三人おられた。高校時代の三人さんの人となりは家内から伺っていたが、定年退職するこの年になっても、家内に議会での対応ぶりを報告すると「ぜんぜん変わっていない」との返事である。いくつ何十になっても見かけは激変するが、その中身は変わらないという事だろう。

 今晩、地域の人が集まって、私のため「語る会」を開いて下さった。皆さんの関心は新市長のこの1カ月半の行動について集まった。私は正直に①まだまだ素人の行きを出ていない事②行財政改革と言いながら新ポストを作って総務省キャリアを呼び寄せるなど自己相違を起こしている事③目片市政を変えようと、遅らす必要のない予算まで延期するなど、意固辞になっている事、等々話させていただいた。私は話しながら、これって政権交代をした時の民主党とおんなじじゃんと思った。要は自分の考えではなく市民の考え・思いはどうなのかを政治の真ん中に据えないといけないということだ。前にも指摘したが、大津市は新市長が育つ間待つだけの余裕がない。それほど大津市は厳しく判断が問われる事案が山積している。市長は一刻も早く市民のために一皮も二皮も剝けなくてはいけない。そうでないなら市民からバイバイとなる。
 「子ども手当」は「子どものための手当」ではなくやっぱり「児童手当」。今回の改正も「児童手当」の改正案だ。民主党は結局できもしない子ども手当で国民をだましただけだった。高速道路無料化やガソリン税の廃止など約束したマニフェストをことごとく沈没させておいて、おてんとさんの下を大きな顔して歩けるなと思う。厚顔無恥にもほどがある。民主党はマニフェストとともに沈没。これ民の声。
 ”ねね嬢”に「癒し手当」は出ないのか?

 今日、防災対策特別委員会が開かれ、私も委員の一人として出席。今回の東日本大震災で発生した原発事故について、原発銀座である福井県に隣接し関西の水がめ琵琶湖を預かる滋賀県・大津市として今後の対応を県とどのように連携して対応していくのか等を所管部から説明を受けた。原発立地は福井でも、発災時には同様に大津市でも被害を受ける可能性があるからには当然にその対策はしておくべきだ。マニュアルの見直しは当然だ。また24年度からの大津市の防災対策についても説明を伺った。基本は自助であるが、共助・公助の部分を確認しておく事も大切である。実は、いざという時にもっとも初動すべき自主防災会が心もとない。我が自治会も自主防災会を結成しているが、夜は人がいるのだが、昼間だと高齢者ばかりだ。高齢者に消火・誘導・避難指示など出来るのだろうか。組織づくりにも頭を悩ませている。近々自治会総会が開かれる。この点について少し聞いてみようかと思う。また、学区自主防災会には補助金があるが、単体自治会までなかなか行き渡らない。単体の自主防災会の資機材調達は大変だ。今後は大津市としても、その点に配慮されるらしいので期待している。
 我が家では水・食料を少しため込んでいるし、ベッドの下には笛・サランラップ・運動靴なども置いてある。万全だ。しかしながら私にタンスの置いてある方に寝るように指示し、しかも私のベッドの周りに、人形のケース・CDラジカセ・時計・置物などが集まっているのはなぜか。

 今年も中学校の卒業式に招かれ参加した。つい何年か前には特攻服や金髪の子ども達もいたが、今年はそんな子はほとんどいず、みんな神妙な表情で卒業証書を受け取っていた。中学生と言えば、大人と子供の端境期でカレンダーとしての年齢ではなく、ある子どもは大人の心、ある子どもはまだまだ甘えん坊の子どもの心を持っている。また、その心が日々変わる子どももいる。自分自身がコントロールするのも難しく、教師、家庭がコントロールするのももっと大変だ。一番上の孫はこの4月に中学生になるが、甘えたのまだまだ子どもだと思っているが、女性ながら背はおじいちゃんよりも高く、足のサイズも大きい。彼女は本当はもう大人の心をもっているかもしれない。判断は実に難しい。
 越市長も本日の卒業式に参加し、「いじめ」の体験を話されたそうだ。もちろん「いじめ」は100%いじめた方が悪い。市長が、この大津市からいじめをなくす責任がある、と話された事はまったく正しい。しかし、いじめが原因で自殺をしたのではないかと言われている生徒の出身中学校でこのお話をされたという事は、この生徒の自殺の原因は「いじめ」であると市長が認めているという事になる。亡くなった生徒のご両親はこの点について相手側保護者と大津市を提訴されているのだから、市長がそう認めているのなら、裁判などせずに大津市はさっさと認めればいい。そうすることが亡くなった生徒への追悼となると思うし、市民もきっと支持するはずだ。しかし、市長は大津市の顧問弁護士や教育委員会と相談した上での発言・御挨拶だったのだろうか。チョット気になる。
 家内が今晩、いとことパルコに映画を観に行った。生田なんとかという二枚目俳優の青春映画だったそうだ。家内は題名も忘れている。いとこが映画の割引券をもらったので誘ってくれたそうだ。それで私の夕食は買い置きのボンカレーとなったが、家内はいとこと10時半になったら半額になる「ザ・めしや」でたらふく食べてきたそうだ。いとこは主婦。いとこの御主人はOKだったのか。家内も主婦。私はOKだったのか。家内一族の女どもに主人を慮る心は皆無。

 今朝からとんでも寒かった。朝早く眼をさましてしまい、新聞配達を待っていたが、とんでも寒かった。新聞配達の人は大変御苦労さま。朝早いのと寒いのとで大変です。我が家ではこの仕事は絶対できない。確信をもっと言える。
 3月の初めはポカポカ陽気が少し続いたので、家内が「もう灯油は買わなくていいね。3月なんだから」なんてのたまわく。バカモン!あんたは外で働いていないからそう思えるんだ。卒業式時分はとっても寒いんだぞ。灯油はまだまだ必要だ。買っておくべきだ!と主張した。案の定、寒い日がここ2・3日続いているじゃないか。家内は「寒いわねえ。灯油がなくなってきたので買ってきて」と命令。結局、私が灯油を買ってくる事になった。そんなんなら「あんたに任す」と最初から言えばいいではないか。小雪が舞っている。セルフスタンドにも人が一杯だ。リットル89円もする。震えながら順番を待つ私は何者?
 先日からの市民相談のため知り合いのN弁護士に相談。状況は悪いそうだ。藤井クン得意の「気合い」では解決できそうもない。どうしよう。生きていくことは難しい。

 1年前の3月11日に東日本大震災が発災。あれから丁度1年。昨年の今頃、私は立候補予定者として御支援をお願いに走り回っていたころだった。当日の丁度その時間、私は家内とホームセンターで買い物をしていた。私は揺れを感じなかったが、家内が積み上げてあったトイレットペーパーの段ボールを見て「揺れている。メニエールかしら」と言っていた。その後何軒かお願いに行き、午後6時に家内の友人と待ち合わせをしてご一緒に次のお宅に行くことになっていた。その時間になって友人が「東北が大変な事になっている。私は仙台の出身。実家の電話がつながらない。今日の訪問は中止して」と言ってきた。待ち合わせの場所でテレビを見せていただいたら、地震と津波でもう街が無茶苦茶になっていて、原発も止まったとの報道。私たちも確認のため、あわてて家に帰った。それから何週間も選挙活動どころでなく準備不足で選挙に臨んだものだった。
 私も家内も東北に何の手助けもできず、ただ涙するだけだったが、私が腹立たしいのは、その後の対策だ。今思えば枝野クンは国民に原発の深刻な事故をひたすら隠していたし、菅クンは首相の座のしがみついて、復旧・復興の対応を遅らせた。そのため大震災は天災から人災となった。関東大震災時には時の政府は素早くかつ大胆な予算配分で復旧・復興を進めた。それがなぜ平成の民主党政府はできないのだ。そういえば阪神淡路大震災の時も社民党の村山首相はスイスの応援隊より現地に来るのが遅かったと言われたものだ。社民も民主も「民」という文字を党名から消すべきだ。これらの党に民衆・大衆の涙は見えていない。叫ぶ声が聞こえていない。同苦する心がない。真の民衆側にたった政府が今必要とされている。

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