第9次被災地支援ボランティア①
11/4(金)
宮城県東松島市の被災地支援ボランティアに行ってまいりました。
大田区民の一人として大田区被災地ボランティア調整センターで一般申し込みをして、
第9次現地支援ボランティア第2グループにて3泊4日の参加となりました。
早朝5:45に大田区役所に集合、第2グループへ応募された8名(男性:6、女性:2)全員集合。
6:00すぎ、観光バスにてメンバーの宿泊施設である宮城県宮城郡利府町の「ホテル浦嶋荘」へ向かいました。
11:30頃、約5時間半ほどで「ホテル浦嶋荘」に到着。
宿泊関係の荷物をおろしてマイクロバスに乗り換えてサテライト拠点のある東名へすぐに出発。
サテライト拠点の大田区役所のテントにて作業着に着替え、指定された支援活動場所へ徒歩で向かいます。
すでにボランティア調整センターにて参加人数からどのお宅でどのような支援活動が行えるか調整されているので、我々は作業指示書に従って支援活動を行います。
この日は徒歩10分ほどの東名地区の民家の庭の雑草の草むしりを行いました。
瓦礫や汚泥を撤去した後、何も無いところから雑草がボウボウと生えてきてしまうのです。
表面だけむしったり刈ったりしてもまた生えてきてしまうので、根っこから抜き取ります。
当たり前のことですが、これは大田区のボランティアで徹底されている方式です。
13:00頃から支援活動を開始。タイムキーパーを決め20分作業をしたら合図を出して10分休憩。
これを4セット行いますが、14:20で最後の作業を終了して後片付けに入ります。
初日は午後からの活動でしたが、通常中日は10:00~12:00、13:00~15:00が作業時間帯となります。
作業着姿からハードな作業をイメージされるかもしれませんが、決して無理な作業はさせません。
お迎えのマイクロバス到着までしばらく時間があったので、大きな津波被害を受けた野蒜小学校を見に行きました。
避難場所となった野蒜小学校の体育館、時計の針は15:46を指したまま。
壁にはバスケットのゴール下の高さに一本の泥の跡、津波がこの高さまで来たということです。
やはり映像などではなく、自分の眼で見なければ、本当の悲惨さはわからないと思いました。
涙が出てきました…。
サテライト拠点に戻り、スコップなどの作業道具を倉庫に片付け、汚れた長靴など履き替えてマイクロバスで宿泊施設に戻ります。
17:00頃、宿泊施設の「ホテル浦嶋荘」に到着。1Fの大広間を大田区が長期で貸し切っており、素泊まりとなります。
この宿泊ボランティアの費用ですが、交通費はタダで滞在諸費用として1泊あたり1000円となります。とても安いです!
19:30から反省会を行うので、それまでは各自で入浴、洗濯、食事などフリーな時間となります。
食事は基本自己調達ですが、非常食のアルファ米やカップラーメン、ボランティアメンバーが残していった食料などがあります。
徒歩40分ほどでスーパーや飲食店などがありますので、ベテランメンバーは外出して食事をされていましたが、
自分は宿に残り、アルファ米とカップラーメンをいただきました。
大広間のテーブルには「つぶやきノート」なるものが2冊おいてあり、ボランティア参加者の感想や改善点、次のメンバーへの引継ぎ情報、生活の知恵など、さまざまなことが綴られていました。
5月から約半年分すべて目を通しましたが、ボランティア参加者の「開拓者魂」が伝わってきました。
「自分は大田区に戻ってから何をすべきなのか?」さまざま考えさせられ、自分も綴らせていただきました。
2日目以降は東松島市赤井市民センターでの「赤井地区復興際」のお手伝いとなります。
続きはまた後日更新させていただきます。