本日(8日)開催された平成31年度の予算説明会。
前年比で0.4%(4,600万円)減の一般会計予算。
人口の減少により予算規模も縮小していくことはやむを得ないことだ。
限られた予算の中で、いかに効果的な事業を行っていくか。
AI時代の今日、私たちの価値観も大きく変化していく。
そのような中で、今後、社会のあらゆる場面で要求される能力、それが「創造性」である。
限られた資源と予算の中で、より効果的にそれらを使っていく知恵が求められることになる。
「モノを増やす時代」から、いま「あるモノを生かす時代」へ・・・
そのためにはあらゆる世代の人材が必要となる。
特に「若い世代」の「若い発想」が求められることになる!
人生経験豊かな「いぶし銀」の光る大先輩たちの知恵、そして若い世代の「柔らかな発想」。
あらゆる世代の人材が結集することで、我が大町市の豊かな未来を切り開くことができる・・・
「最も上手に人をおさめる女性とは、最も上手に人を愛する女性である」
(F・ナイチンゲール『ナイチンゲール 心に効く言葉』サンマーク出版)
「おさめる」とは、政治。
「愛する」とは、哲学。
優れた政治には確たる哲学がある。
ハードパワーでなく、ソフトパワーによる統治。
政治の核に、イデオロギーではなく、「心」「愛」があるかどうかということだ。
大町市議会では現在、大町総合病院(以下、大町病院)の経営について議論されている。
今、大町病院に最も必要とされているのが、強固な「ガバナンス」だ。
ガバナンス(統治)に必要なものこそが、理念であり、そしてその理念には確たる「ヒューマニズム」が絶対に欠かすことができない。
大町病院には「理念」と「基本方針」が、次のように掲げられている。
【理 念】
私たちは、地域に密着した温かく誠実な医療を実践します。
【基本方針】
1、患者さん中心の安全で質の高い医療を提供します。
2、医療・福祉・保健の連携による、地域と一体となった医療を進めます。
3、公共性を確保し、合理的で健全な病院経営を行います。
このように、ヒューマニズムに裏付けられた理念と基本方針が大町病院には存在するのだ!
そして、患者さんの権利として、次のように書かれている。
【患者さんの権利】
市立大町総合病院は、当院を受診される患者さんの以下の権利が尊重されるよう努めます。
①人間としての尊厳をもって医療を受ける権利
②公平公正で、よりよい医療を受ける権利
③ご自身の治療に関するすべての情報を得る権利
④十分な説明を受け、治療法について自ら決定できる権利
⑤プライバシーが尊重され、個人情報が保護される権利
このように、非の打ち所のない素晴らしい理念と基本方針を掲げる大町病院。
この精神をこそ、医療・看護の世界に初めて吹き込んだ人物がナイチンゲールである。
「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者のことだ」
あまりにも有名なこのナイチンゲールの言葉。
看護、そして医療に携わる人たちの使命の、なんと尊く深いことか。
病院経営というものについて、いま侃々諤々(かんかんがくがく)と議論されているが、「経営」とは、決して単なる「数字」の話ではないのだ!
看護、そして医療の精神とは、どこまでも「患者中心」でなければならないのであり、その精神に則った医療が、結果として「経営」を根底から支えることになるのだ!
まさに人の命を預かる究極のサービスが医療であり(serve : 仕える、給仕する、奉仕する等)、その使命を果たしてこそ、その対価としての利益も生まれるのである。
自治体病院が求められる経営とは、最も厳しいものであるということは、誰もが認めるところである。
しかし、であるからこそ、基本理念に、今こそ立ち返るべきではないだろうか。
そして、さらに大事なことは、厳しい医療現場に携わる「現場の人」たちにこそ光を当て、「現場の声」に真摯(しんし)に耳を傾け、そしてこの方々を「正当に評価」し、讃(たた)えていくことではないだろうか。
病院経営を支えている「苦悩する者のために戦う」人たちを、どこまでも大切にしていくことが、結局は「患者を大切にする」ことに繋がり、その結果として、大町病院が、さらに地域から愛される病院となることができるのではないだろうか。
大町市議会社会文教委員会と大町市教育委員会との懇談会を開催。
現在の市内小中学校の状況をお聞きしました。
これからの未来ある子どもたち。
一人残らず、一人ももれなく、みんな幸福に、と祈らずにはいられません。
教育の目的は、他でもない「子どもたちの幸福」以外にありません!
間違っても、教育とは、国家のためでも社会のためでもない!
私たちの子どもの頃とは比較にならないほど陰湿となっているいじめ。
いじめを一つずつ一つずつ解決していく先生たちの尊い行動には本当に心から頭が下がります。
しかし、単に子どもだけを責めているだけでは何の解決にもならない。
子どもの社会は大人社会の反映である、この事実を忘れて、対処療法をいくら行っても、いじめは何十年、何百年経っても根絶することはありません。
私たち大人が、本当に人を大切にしているか。
人の痛みを分かっているか。分かろうと努力しているか。
どんなに見た目が違っても、どんなに思想信条が違っても、
人を馬鹿にしない!!
教育者の高い人間性、人格が求められることなど当然の話。
しかし、教師だけではなく、地域の全ての大人たちの行動が、子どもたちが生きていく上での手本となっていることを忘れてはならない。
くだらない、醜い大人の争いは、間違いなく子どもたちの心に焼き付いている。
陰で人を小馬鹿にし人の悪口を言う親の子は、人を小馬鹿にし平気で人をいじめる子どもへと育ってしまう。
大人が変わることがなければ、子どもが変わるはずがない。
いじめの根絶は、大人が変わることでしか実現できない!
世界中の全ての子どもたちが優しい心で幸せに生きていくことができる日が来ることを、そしていじめがこの世からなくなる日が来ることを・・・
三日間にわたり行われた、大町市議会12月定例会の一般質問が終わりました。
今回の質問で、最も取り上げられたテーマは大町総合病院の再建策を問うもの。
どの地方の自治体病院もが直面している「医師不足」という大きな課題。
医師が不足する地域においては、その地域で働く「医師の負担」も自ずと大きくなるという悪循環。
この悪循環を断ち切るためには、もはや地方の自治体単独の努力では、到底太刀打ちできるものではありません。
しかし、国にはもはやそのための特効薬はありません。
では、そのために地方の病院は何をするべきなのか。
それは、地域の病院は地域の皆で守る・・・
地域に愛され、地域に信頼される病院になるには、地域に開かれた病院とならなければいけないのではないでしょうか。
その意味においても、先日開かれた「大町総合病院 地域懇談会」は非常に重要なものでした。
市民の皆さんが病院に何を望んでいるのか、またどんな不満や不安を感じているのか、直接市民の皆さんから本音をお聞きする中で、病院の信頼を勝ち得ていく・・・
これが市民から愛される病院となるための第一歩であると強く感じます。
そして、地域に愛される病院、そして地域から医師が大事にされる病院となることが何よりも「医師不足」を解決するための第一歩ではないでしょうか。どんなに高度な医療を提供する病院であっても、どんなに有名な医師がいたとしても、地域から大事にされない病院であったならば、どんな医師であってもそこに根付いてくれるはずもありません。
医師不足を嘆き、手をこまねいているだけでは、また外野からただ批判しているだけでは、なんの解決にもなりません。
市民とともに、具体的な市民の要望を一つずつ解決していく、地道で積極的な取り組みが大事であると感じた今回の一般質問でした。
何より、大町総合病院がなくなってしまったならば、一番困るのは市民の皆さんなのですから。
温故知新という言葉がある。
古き良きものをたずね(温ね)次代へ伝えていく。
とともに、その時代に即して新しいものを取り入れ生かしていくということ。
目まぐるしい変化変化の「現代」という時代。
新しいものが次から次へと現れては消えていく。
その中で、絶対に忘れてはならないものがある。
温故・・・
私たちはどのようにしてそれを見極めていくべきなのか。
それは、人間と人間の交流の中で受け継がれるもの・・・
それは、単に言葉で受け継がれるものではない!
その継承は、峻厳な精神と精神の交流から生じるもの!
「人間としての道」を徹底して求め抜くことのなかった青年時代を過ごすことが、いかに不幸なことであるか。
正しき者を妬み陥れようと、激しい憎悪の心で胸を焼き尽くす者たち。
人間としての鍛錬の機会を逸した年老いた者たちのなんと無様(ぶざま)な姿よ!
いや、若くしてすでに狡猾な醜態を見せる輩のなんと多いことか!
若き時代の鍛錬こそが、一生を決めるのだ!
だからこそ、青年こそ正しき道を求め抜くべきなのだ!
姑息になるな!
苦労を避けるな!
むしろ自ら苦労を求めるのだ!
長いものに巻かれるな!
正しいと信じたものを断じて手放すな!
そして人を欺くな!!
自らの信念に生きる者には、人を陥れるという発想がない!!
どんな組織においても、後継を、若者を育てることを怠った時、その組織は衰退の一途をたどるしかない。
若者を育てる中で自らも鍛えられるのだ!
そして若者からも学ぶのだ !
行き詰まる組織は、若者の意見を吸い上げ、そして若い力を存分に発揮させる度量が求められていることに気付くべきだ !
そして若い発想と若い力を育む環境づくりに真剣に全力で取り組むのだ!
私は、自らが範を示すことのできない無責任な、無様な人間にだけはなりたくない!
そして、断じて忘れてはならない「古き良きもの」を継承した若者たちは、次から次へと現れる「新しきもの」を生かす智慧を無限に発揮してくれるはずだ!
我が地域を、わが町を、そして私たちの住む日本、そして世界を、どう次の世代に継承していくべきか、今そのことが試されているのではないか。
どうしたら子どもたちの人権感覚を育むことができるのか・・・
本日、市内小学校にて「学校人権教育公開授業・研究懇談会」に出席しました。
英語の授業を通して人権を学ぶ子どもたち。
道徳も人権も、本や教科書だけで学べるものではありません。
どんなに見た目が違っても、どんな国に生まれても、自分と同じ人間である・・・
この感覚は、その人と話し、同じものを見て笑い、悲しんだり、驚きを感じる、つまり「共感」するという体験から生まれてくるものではないでしょうか。
自分の経験からも、自分と同じものを見て自分と同じ表情をする外国人の友人の姿を見ることで「心が通じている」という感覚を感じたものです。もちろん、言葉が通じるという喜びが共感につながることも間違いありません。
しかしもっと大事なことは、そもそも自分自身がこの世でたった一つのかけがえのない命であるという「自尊心」と「自分自身を愛する」ということが、人権感覚の基底になければならないことは言うまでもありません。
自分を愛せない人が他者を愛することなどできないからです。
人権教育の第一歩は、子どもたちの自尊心を育む教育、全ての子どもたちが平等に尊いという心で子どもたちに接する普段からの態度。どんな見た目であっても、どれほど信条が違っても、どんな肩書きであっても、人を馬鹿にしない態度。
これなくして人権教育などありません。
「教師自身が人権教育の環境」であるということを、ぜひ教育の根幹に!
大町から病院がなくなったら・・・
それぞれの思いを抱きながら、多くの市民が、本日夕方、大町総合病院(以下、大町病院)に集いました。
大町病院が開催した地域懇談会。
経営難が続く病院の今後のあり方について市民の皆さんからご意見をお聞きし、市民の皆さんの願う理想の病院へ変革していこうとする今回の企画は非常に重要です。
牛越徹市長のご挨拶の後、井上善博院長兼病院事業管理者の講演「大町病院の現状と今後のあり方について」、そして太田久彦副院長の講演「健康診断の勧め ~転ばぬ先の杖~」と続き、最後に市民の皆さんとの意見交換が行われました。
先の9月議会で、意見が真っ二つに別れ議論が白熱したのが大町病院の経営難についてでした。
今回の地域懇談会、市民の皆さんの反応は、トップを厳しく批判する人、病院への感謝の思いを語る人、職員のモチベーションを高める努力をと願う人等、様々でした。
しかし、それぞれの思いを語る皆さんの結論は一つ・・・大町病院がなくなっては困る、ということ。
どんなに批判をしても、どんなに他の病院と比較しても、結局はほとんどの市民が大町病院の存続を心から願っているということを強く感じた地域懇談会でした。
白馬村内にて「未来のための教育を考えるシンポジウム ~AIの進化から考える~」が、昨日開催されました。
パネリストは、山本崇雄氏(武蔵高等学校附属中学校指導教諭)、竹村詠美氏(Mistletoe株式会社フェロー)、前川浩一氏(美麻小中学校支援コーディネーター)、浅井勝巳氏(白馬高等学校教諭)。
そしてモデレーターは、草本朋子氏(白馬インターナショナルスクール設立準備財団代表理事)。
シンポジウムに先立ち、AI時代の教育についてアメリカで取材製作されたドキュメンタリー映画『Most Likely to Succeed』を上映。いわゆる「知識詰め込み型」の教育では、これからの予測不可能な時代を、子どもたちが自立して生きていくことはできないという危機意識に立ち、子どもたちの自発的・内発的な力を育む教育、創造性を伸ばす教育、また協調性を育む教育の実践の事例を取材し作成した作品でした。
シンポジウムでは、教育の現場、教育やマルチメディアに関する経営コンサルティング等の第一線で活躍されている方々による最新の取り組みや情報について意見が交わされました。
山本氏は、「引きこもりは79万人、不登校も小中学校では14万人、高校では5万人と言われる。この異常事態を真剣に考えるべきである。そのためには、学校と社会をいかにシームレス化(境界線を取り除く)していくかが重要である」、また「子どもたちに最も必要な能力は『タイムマネジメントと複数のタスクを同時に行う能力』であり、これは特別な学校でなくとも、また特別な先生でなくとも教えることができるものである」と指摘されました。そして「1月か2月に出版する新しい自分の著作の中で訴えたのが『もう学校に頼るのはやめませんか』ということ。子どもを侮ってはいけない。子どもと大人がパートナーとなり、フィフティ・フィフティの関係で対等であることが大事である。国の学校改革の重要な会議にも子どもは一切出席できないのはおかしい」と非常に厳しいご指摘をされました。
竹村氏は、豊富な海外でのご経験をもとに「対話」の機会の創出に取り組まれている方であり、「教育とは与えられるものであるという『消費者マインド』からいかに脱するかが大事である。アラン・ケイは『未来を予想する最善の方法は、それを創り出してしまうことである』と言われた」「この映画(Most Likely to Succeed)でも指摘されているように、『完成すること』が子どもにとって非常に大事なことであり、子どもが内発的な動機をもって、ワクワクしながら課題に取り組むのを『待ってあげる』ことが大事である。ケン・ロビンソン氏が言われている通り、『教育とはガーデニング』のようなもの」であると指摘されました。
前川氏は、「先程観させていただいた映画で訴えようとしていたこと、それは美麻小中学校で実践していることそのものである。教育とは、まさに『教える』ことではなくファシリテーションである。そして子どもたちの個性を大事にし、自立した学びを提供すること」であると指摘され、「価値観が大きく変化している中で、色々な価値観を知り多様性を受け入れるような教育が必要である」「また、子どもたちが自分の住む地域を愛するような取り組みをこれまで行ってきた」「学校のことがよく分からないと言う保護者のみなさんに対して、私は『学校へ行ってみてください』と言う。それは皆さんに『当事者意識』を持っていただきたいから」とお話しされました。
浅井氏は、高校教諭としての体験から、「飯田の高校にいた時に、地域連携を訴えて『地域人教育』という取り組みが始まった。今も自分は地域連携で学力向上を目指し努めている」「長野県は、リアルな社会を学習することができるところ。ぜひ地域で子どもたちを育てるというマインドを大事にしてほしい」と言われ、またこれまでの画一的な教育を指摘され「自分の調査によると高校の卒業生の45%が初めに就いた仕事をやめてフリーターなどになっている。これからは一度仕事をやめても、また新しい仕事につくことができるよう、変化に対応できるような教育が大事になる」と指摘されました。また、日本の教育について「どんな生徒でも基礎力が満遍なくあるという長所がある。あまりやる気がないような子どもでも、ある程度の力をつけさせてあげられる日本の教育はすごい」と指摘されました。
モデレーターの草本氏は、上映された映画の最後の方で、先生が失敗した生徒に対して「君にはビジョナリーがある」とその生徒の良い点を伝え励ます感動的なシーンに心を打たれたと話され、温かく子どもたちを見守りながら子どもの自らの成長を阻害しない教育の重要性を、ケン・ロビンソン氏の「教育とはガーデニングのようなもの」との言葉を借りながら訴えられました。
最後に指摘したいのは、このシンポジウムで発言された全ての方が共通して持っておられた教育観、それは、「教育の目的とは何か。それは子どもたちが将来社会に出てから、自立して幸せに生きていくことができるように、自発的な成長を阻害しないように支えていくこと」であるということ。
日本の教育の未来に大きな希望を感じることができた素晴らしいシンポジウムでした。
日に日に秋が深まる10月。
10月の第3日曜日の本日も、市内各地で様々な行事が行われました。
秋は、音楽、美術、読書などに浸る、ゆったりとした時間を楽しむことができる季節です。
夏の疲れを癒す時でもありますね。
これまで日本の経済成長を支えてくださった先輩たちのお陰で、今の私たちの平和で幸福な生活があります。その先輩方に、いかに第2の人生、第3の人生を幸福に過ごしていただくか。
そのキーワードの一つが「文化」ではないでしょうか。
この「文化的」ということは、私たちにとっても重要な要素となるのが、これからの時代です。
人生100年時代の今日、堅実に経済成長を目指す勤勉さだけでなく、心豊かに暮らすための「精神的価値」を重視した生活様式へとシフトしていかなければなりません。
「文化的」であるということは、「創造的」な人生へとつながる重要な条件となります。
これからの予測不可能な時代においては、「創造的」であることが、「生き残れるかどうか」の重要な要素となります。
経済成長という「物質的価値」重視の時代では、勤勉さや忍耐力が求められますが、これからは、それらに加え「創造力」が求められる時代です。
「物を増やす」時代から、「あるものを生かす」時代へと変わっているのです。
すなわち、国や自治体の予算配分も、住みよいまちにするために「福祉や教育や子育て支援の予算をもっと増やせばいいではないか」といった短絡的な思考では、もはや持続可能な自治体運営は不可能であるということです。
人口はどんどん減ります。税収も減ります。
つまり限られた予算を「有効に」生かす発想、「創造力」が求められるのです。
また「文化的」ということは、「物質主義」「拝金主義」「個人主義」といったあり方とは「正反対」の概念です。
それは、豊かな精神性、気風(エートス)を育む人間のあり方、社会のあり方であり、これからの時代を乗り切るために、もっとも必要な要素であることは間違いありません。
ある意味で、これまでのような、自分、自分の家族、自分の地域、自分の国が栄えることだけに関心を集中していた時代から、「誰一人不幸な人がいない」世の中を目指す、例えば、SDGs(持続可能な開発目標)の実現に向けた、より高い精神性が求められる時代へと、いま急速に変わりつつあることを実感します。
「どこかに不幸な人がいる」よりも「不幸な人がいない」ことが、結局、「私」も含めた自分の地域、国にとって、もっとも健全で幸福な社会を実現するための近道であることを、近い将来、心から実感する時が来るのではないでしょうか。
今月5日、松本市、塩尻市、安曇野市、そして大町市の市議会議員が集う、中信四市議会議員研修会が松本市内において開催されました。
今回の研修会には、講師として早稲田大学名誉教授の北川正恭氏にお越しいただき、「地方創生時代の議会の役割 ~議員活動と議会活動~」と題しご講演いただきました。
北川氏は、三重県議会議員、衆議院議員、そして三重県知事をご経験されております。このように議会と行政の現場に身を置いた豊富なご経験の上から、北川氏は、大きな説得力を持って、非常に鋭いご指摘をされました。
これまで日本が進んできた経済第一主義の政策は、確かに大きな実を結び、また国民あげて「中央集権的」「東京一極集中的」に取り組んできたことは、ある意味でやむを得なかった、また、そうでなければ、日本はこれほどの経済大国にはなることができなかったと。
しかし、時代は変わり、今やその「東京一極集中」が、大きな弊害となって日本の地方を衰退させる原因となっている。
早くも25年前には、国においてはこのことが意識され、1995年に衆参両院の全会一致で地方分権推進法が可決し成立。そして2000年には地方分権一括法が成立。
そして2015年の地方創生法(正式には「まち・ひと・しごと創生法」)の成立を受けて、地方の活性化に向け、各地方自治体の取り組みが進められ現在に至っている。
その中で、どのようにすれば地方は人口減少を乗り切り、活性化を促すことができるのか。
国の交付金に依存する地方の行政は、体質的に国に逆らうことは難しい。
では地方議会はどうか。
議会の最大の使命とは「民意の反映」である!
地方の議会こそが、地方創生を担う使命と責任があると。
そしてこれからは、議員個々の仕事も重要だが、もっと重要になるのが議会全体としての仕事だ。すなわち「チーム」としての議会の活動が求められる!
大要、以上のようなお話をいただきました。
議会の役割、とりわけ地方議会の役割が、これからいかに重要になるか。
身の引き締まる研修会となりました。










