ちょうど1年前の9月議会で、昨年7月1日の閣議決定を受け、婦人団体等から提出された「閣議決定を取り下げる意見書の提出を求める陳情」に対し、私も討論をいたしました。
その討論の内容を一年ぶりに掲載いたします。
私の本年の8月23日付、6月26日付のブログと併せてお読みいただけましたら幸いです。
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平和ほど人類が求めてやまないものはありません。平和こそ、すべての人間生活の存立の根本であります。
しかし、いま日本を取り巻く環境は、大きく変わりつつあります。
大量破壊兵器や弾道ミサイルなどの開発・拡散、周辺国との領土をめぐる問題、また国際テロの脅威などにより、様々な問題・緊張が生じていることは皆さんもご存知のとおりであります。
このような、かつてとは大きく変化している状況を踏まえ、どうしたらあらゆる危険な事態に対処することができるか、またどうしたら、いままでどうしても対処できなかった「隙間」を埋めることができるのかについて、今年5月から与党間で協議が行われました。そしてその結果、7月1日の閣議決定がなされたわけであります。
今回の閣議決定でありますが、ある一般紙では、「9条を崩す解釈改憲である」とか、「海外で武力行使容認」といったような論調で報道がなされました。
しかし、このような論調は、今回の閣議決定の中のどの文を読んで言っているのか。どのような解釈をしたらそのような結論が導き出されるのか、はなはだ疑問を抱かざるを得ません。
ここで確認しておかなければいけないことは、そもそも集団的自衛権とはどのような概念なのかということであります。
本来、集団的自衛権という言葉は、国際法の中に出てくる用語でありますが、実はその定義はしっかりと定まっているわけではないのです。したがって、集団的自衛権という言葉は、いまでも学者の間でも様々に解釈されてきているのが現状なのです。
いまの集団的自衛権反対論議を聞いていると集団的自衛権という言葉が一人歩きしている感さえあるのです。いまだ明確になっていない「集団的自衛権」という概念を攻撃しているのですから、これはあまりにも生産的でないように思われます。そもそも、今回の閣議決定には、いわゆる他国防衛を目的とする集団的自衛権を認めるような文言は一切入っていないのです。
つまり、大事な論点は、今回の閣議決定が、「集団的自衛権を認めたものであるかどうか」にあるのではなく、単純に、今回の閣議決定が「9条の精神に反しているのかどうか」にあるわけであります。
では9条の精神とは何か。それはあくまで「自国防衛」「専守防衛」に撤するという、そのことなのであります。このことに尽きるのです。
ではここで、閣議決定が本当に9条を守り抜いているのかどうか、様々な誤解を解く鍵となる、識者の声をご紹介いたします。
まず始めに「閣議決定の全文を虚心坦懐に読めば分かる」と単純明快に述べているのが、元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏であります。
また、まったく同じように、「まずは閣議決定の全文を読んでみてほしい」と言っているのが、首都大学東京准教授である木村草太氏であります。今最も注目される新進気鋭の若き法学者であります。
この二人の言われているように、閣議決定をしっかり読むと何が書いてあるのか。内容は非常に明快であります。この閣議決定の一番の核となるのが、いわゆる新3要件と言われるものであります。これは「自衛隊が出動できる為の三つの要件」のことであります。その中でも、一番目の要件が非常に重要です。
読んでみます。
「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」と明白に謳っております。
特にこの後半こそが非常に重要であります。すなわち、我が国の存立自体が脅かされ、国民の生命が脅かされる明白な危険がない限り、自衛隊は出動できないということになります。つまり、あくまで自国防衛の為にしか自衛隊は出動できないのです。これはどう解釈しようと他国防衛を認めるものになり得るはずがありません。
改憲論者として有名な、慶応大学名誉教授である小林節氏は、今回の閣議決定が行われる直前まで、「集団的自衛権」反対論を強烈に展開していたのですが、しかし、いざ閣議決定が行われ、その内容を読んだところ、「これは集団的自衛権とは呼ばない。むしろ個別的自衛権そのものである」とまで言っております。
まさにその通りであります。それは先ほどの3用件の一つ目を読めば一目瞭然であります。
また安倍首相は、自衛隊は、「湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」と明白に言い切っております。これは非常に重要な発言です。
行けるはずがないのです。自国防衛しかできないのですから。
繰り返しますが、さきほどの佐藤優氏、木村草太氏の言われるように、今回の閣議決定の全文をしっかり読んでいる人にとっては、どう意地悪な解釈をしても、他国防衛を認めるような、いわゆる集団的自衛権の行使ができる日本になったというような結論には、到底結びつくはずがないのです。
最後になりますが、ジャーナリストの田原総一朗氏は、今回の閣議決定について、「日本人の多くは平和について考えてはいるものの、平和を維持するための安全保障に関しては深く考えてこなかった。要するに米国頼みの安全保障できた。むしろ、安全保障を考えないのが平和だという意識すらあったと思う。
公明党が与党の一角を担う政党として、“平和の党”ならば、国の安全保障をどう守り、確保するかを真剣に考えることが大事になってくるだろう」と言われております。
今回の閣議決定により、9条の精神は断じて守られました。戦争のできる国になど断じてなっておりません。
そのことを心より訴え申し上げ、委員長報告どおり、陳情不採択に賛成するものであります。
皆様のご賛同をよろしくお願いいたします。
昨日、公明党長野県本部夏季議員研修会の折、「平和安全法制の論点」について説明させていただきました。
以下、その時の原稿です。
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平和安全法制の論点
◯なぜ必要か?
日本を取り巻く緊迫した安全保障環境の変化。
北朝鮮は弾道ミサイルの技術を飛躍的に向上させている。弾道ミサイルに搭載する核弾頭の開発も進められているという。
また中国の軍事力の増大、南シナ海における強行姿勢、尖閣諸島の問題等、事態は非常に緊迫している。
いまこそ「抑止力」として日米同盟の強化が求められている。そのための平和安全法制である。
◯集団的自衛権を認めるのか?
他国防衛としての集団的自衛権は認められない。しかし自国防衛のためには一部認めるべき集団的自衛権がある。今回の平和安全法制の論議の中で「一部、集団的自衛権を認める」と言っているのはそのことである。
◯その根拠は?
「自国防衛」は国の責任!!
政府は「国民の生命・自由・幸福追求の権利」を守りきる責任がある!!それは、「憲法の前文」、そして「13条」においてしっかりと定められている。
これこそが、政府が第一に果たすべき重大な使命である。
一部、集団的自衛権を認めるのも、あくまで「自国防衛」のためなのである!!
たとえば、日本近海の公海上で、警戒監視活動を行っているアメリカの艦船が、他国からミサイル攻撃を受け、それを放っておいたら、いよいよ日本の国民の生命・自由・幸福追求の権利が根底から覆されるような状況が明らかになった場合、黙って見ていればいいのか。それは、憲法の前文、そして13条が許さないはずである。この場合、一部、集団的自衛権を認めることになったとしても、「自国防衛」のためにはアメリカの艦船を自衛隊が守ることこそが最重要であり、それこそが憲法(国民の生命・自由・幸福追求の権利)を守ることになる!!
政府には現実に国民の生命を守りきる「責任」があるのである!!
これこそが今回の最大の論点だ!!
◯9条を侵しているのではないか?
9条は微塵も侵していない!!
繰り返しになるが、一部、集団的自衛権を認めたのは、あくまで「自国防衛」のためである!!
個別的自衛権とか集団的自衛権とかいうが、問題は憲法が政府に義務付けているように「国民の生命・自由・幸福追求の権利」を守るためには何をするべきかということだ!!
そもそも個別的自衛権と集団的自衛権という言葉は「憲法」にはない言葉である。この言葉に執着していては大事な論点を見誤ってしまう。
たとえ、一部、集団的自衛権を認めることになったとしても、国民の生命・自由・幸福追求の権利を守りきる「自国防衛」のためには、なすべきことをなすというのが今回の法案なのである。
昨日は終戦記念日。
二度と同じ轍を踏まぬことを誓い合う日。
「過去」から決して目をそらさず、そして平和な「未来」を築いていくことを決意し合う日。
昨日、8月15日、終戦記念日の意義を込めて街頭演説に立ちました。
我が党の「終戦記念日アピール」を行いながら、いま日本がなすべきことは何か、について訴えさせていただきました。
そして、本日は我が党の平和主義に賛同する、大町市議会の他会派である堀堅一議員にも駆けつけていただきました!!
強力な応援をいただき、勇気百倍でした!!
堀議員には、お父様の戦争体験のお話を通し、戦争の悲惨さ、平和の尊さ、そして今の日本を取り巻く緊迫した状況を鑑み、日本の安全を守るために何をすべきか、非常に的確なお話をしていただきました。
「平和とは座して待つだけでは訪れない」
「平和は絶えざる努力なしに持続できるものではない」
平和安全法制の正当性、重要性をさらに強く訴えていくことを決意いたしました。
昨日8月6日、東京都の日本都市センターにて、都市経営セミナー「人口減少時代のまちづくりと地域公共交通の再構築」がありました。
人口減少時代における公共交通のあり方について、富士宮市そして富山市の取り組み、また最前線の公共交通に詳しい研究者のお話しをお聞きしました。
今回、特に私がお聞きしたいと思っていたのが森雅志富山市長の講演でした。
富山市の「LRT(ライトレール)」は誰もが知るところですが、富山市をこれほどまでに魅力あるものとしてきたのは、何よりも、森市長の人並み外れた「まちづくり」に対する思い、情熱、哲学にあったのだと衝撃を受けました。
公共交通、コンパクトシティ、健康福祉政策・・・
すべてが少子高齢化、人口減少時代の「富山市のまちづくり」と有機的に結びついています。まちづくりの中心に「公共交通」があるということもポイントです。
私も6月議会で公共交通の充実を訴えたところですが、今回セミナーに参加したことで、その思いをさらに強くしたところです。
大町市の「文化芸術」によるまちづくりが本格的になってまいりました。
今後、ますます重要となる大町市の「観光」そして「定住促進」を支える重要な取り組みが、この「魅力あるまちづくり」です。
私は、昨年6月議会で、「文化芸術による」まちづくりについて質問いたしました。
その一部を以下に再掲いたします。(質問全文は、このホームページの「一般質問(平成26年)」をごらんください)
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戦後の日本は、経済の発展をひたすら追い求めてきました。
やがて、政治は福祉政策に取り組むことになりますが、かつては「福祉など政治がやることではない」とまで言われておりました。しかし今では、福祉を叫ばぬ政治家など一人もおりません。いまでは福祉政策は、政治の最も中心にある政策であります。そして今、日本は新たな時を迎えております。福祉の充実はもちろんとして、その上で、豊かな社会を築く上で、最も大事なもの、それは文化であり、心の豊かさであると人々は気づき始めております。
経済のみを優先する社会は、もはや発展は望めません。また福祉のみの充実では、心の充実は得ることができません。人は単に与えられるのみでは、幸福を感じることなどできないからです。今、人々が求めているのは、心の豊かさであり、心の充実です。そしてその核になるのが文化です。
この文化を愛する社会、自治体がこれからの時代に求められると思うのです。それが時代の流れであると私は感じずにはいられません。
いま、日本は大事な転換期を迎えております。いままで、どちらかと言えば、文化芸術は人間生活にとって単なる副次的なものとして捉えられてきましたが、いまそれが人間生活の中心に据えられようとしています。
大町市が、これから市の存続を賭け、もっとも力を入れて取り組むべきものが文化芸術の振興であると思うのです。
私は薄っぺらな文化ではなく、本物の文化を育てる土壌を作る時であると思っております。その為には、断じて、文化芸術の振興を支えるための、市としての基本方針を定めるべきであると思っております。またそれが、大町市が生き残っていく道、唯一の道であるとも思っております。
大町市にとって、まだまだ体力のある今が、文化芸術に力を注ぐことができるチャンスです!
文化芸術を大切にする社会とは、つまり人間を大事にする社会でもあります。人間とは敏感なもので、そのような「人間を大切にする社会」の雰囲気そのものを敏感に感じ取り、魅力を感じ、そしてそこに集い、集う人間自身が輝きを放ち、更に多くの人がその魅力に引かれ、結果的にそこが人の集まる場所になるのだと思います。
市の抱えている課題は非常に多い。しかし、その課題に取り組む中で、文化芸術の振興に対する取り組みは、つねに同時進行でやっていくべきであります。
なぜならば、それこそが市の魅力を常に発信し続けることになるからです。
「魅力」に引かれて人は集まります。
今は特にそういう時代になりました。若者、特に若い女性の心に訴える魅力ある市となることができるか。大町市は子育て支援、定住促進施策は、全市あげて職員の皆さんに全力で取り組んで頂いたお陰で、非常に充実しました。あとは、魅力あるまちづくりです。文化薫る豊かなまちづくりです。
本来、文化芸術の振興とは、決して市の中心施策として派手に据えるというものではないとも自分は思っております。それはあくまで、さりげなく、市の政策を奥深くから支える、基本方針として、着々と取り組んでいくべきものであると思うからであります。表に出しすぎると、返って軽くなってしまうからです。
その意味でも、恐らく市長も、文化芸術によるまちづくりというものを、声を大にして推進することに慎重にならざるをえないということも、よくよく理解できるところでもあります。
しかし、時代は明らかに変わりつつあります。
いよいよ文化の振興をもとに、観光やすべての産業の振興、そして雇用の創出を図っていく時代となりました。まちの輝きは、そこに住む人々の充実した心の輝きから生まれます。
市長、再度お聞きいたします。ぜひ文化芸術振興の為の条例の制定に向け、今からぜひ取り組みを始めて頂きたいと思いますがいかがでしょうか?
こんなにも明るい7:20PM過ぎの夕焼け。
本日の夕方、市民の方より相談をいただき、大町市の八坂地区に伺いました。
その帰り道、あまりにも綺麗な夕焼けが空を染めていたので、つい立ち止まってしまいました。
大町市には、ここ数年、I(アイ)ターンで移住される方が増えてきました。
特に、ここ八坂地区は市内でもっとも移住者が多い地区です。
田舎暮らしを求めて移住される方にとって、「八坂」は理想的な場所なのかもしれません。
夕焼けに染まった八坂を眺めながら「なるほど」と思いました。
写真は、
①山の奥にさらに山が続く風景。
②情報コミュニティセンターアキツ。
③夕暮れの大町市八坂支所(旧八坂村役場)。
④稜線がくっきり浮かぶ北アルプス。

大町市の「地方創生」に向けた取り組みが、いよいよ始まりました!
昨年の夏、内閣官房に「まち・ひと・しごと創生本部」設立のための準備室が設置されてから、国主導による「人口減少対策」「少子高齢化対策」が加速化しました。
実は、大町市では、すでに早い時期から「定住促進施策」「子育て支援策」の充実に向けた取り組みが行われてきました。第4次総合計画においても、「定住促進施策」「雇用促進・産業振興策」を最重要施策と位置づけています。
今後は、大町市の「地方創生」の羅針盤となる「総合戦略」を策定することになりますが、今までの「総合計画」の視点を引き継ぎつつも、もっと根本的に、「大町市の魅力とは何か」また「課題は何か」について、より客観的な視点で見極めていくことから始めなければなりません。すなわち「大町市とは何か」という問いそのものが問われているのです。その意味において、新たな視点で大町市の魅力と課題をより客観的に見ることのできる人材の登用も望まれるところです。また市の魅力を100%引き出すための「文化芸術」によるまちづくりという視点も重要になってきます。そして大町市の農業の振興も大事になってきます。産業としての農業の重要性はもちろん、「農村風景」という文化資源を守っていくことも、非常に大事な視点になってきます。他の自治体にはない大町市の「魅力」が必ずあるのです。すなわち、大町市の「アイデンティティ」そのものを自覚し、磨き上げていくことです。いままでの硬直した古き観念を捨てて、もっと自由な発想で、もっともっと多くの市民の皆さんと大町市の未来を語りながら、まさに「協働」で大町市を築きあげていく作業が重要になっていくでしょう。今後は、民間企業の活力をもっと生かした「官民連携」によるまちづくりも、さらに進むことでしょう。大町市の未来、私たちの未来は、私たち自身で描き、創り上げていくものなのです。
6月25日の大町市議会6月定例会最終日における本会議において、「九条の会」「新日本婦人の会」より提出された「戦争法案廃案を求める意見書の提出を求める陳情」に対する討論が行われました。私は、採択反対の立場から討論いたしました。
「戦争法案」とは決めつけも甚だしい!
以下、私の発言内容です。
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昨年の7月1日の閣議決定以来、多くの方が、「集団的自衛権」という言葉を何度も何度もお聞きになり、いったい日本はこれからどうなってしまうのだろうかと、不安に思われた方も多いのではないでしょうか?
また、日本はこれから、軍国主義に逆戻りし、再び「いつか来た道」を歩み始めることになるのでは、と思われた方も多いことと思います。
イメージの力というものは本当に恐ろしいものです。
イメージというのは、どこまでも拡大しゆくものであり、限りがありません。
一旦、染み付いたイメージは、なかなか拭い去ることが容易ではないのです。
では、ここで皆さんにお聞きします。
この中で、「個別的自衛権」と「集団的自衛権」という言葉の意味を、的確に答えられる方は、どれくらいおられるでしょうか?
案外、あやふやなものだったりするのです。
個別的自衛権とか集団的自衛権という言葉は、国際法の概念であり、日本国憲法の概念とピッタリと当てはまるような概念ではないのです。
この個別的自衛権ですが、これは、自国防衛という言葉と同じであると思っておられる方も多いのですが、実は正確には同じ意味ではないのです。
では、この度、政府が従来の政府見解を元に、閣議決定で認めた、いわゆる「自国防衛」についての考え方とはどういうものか。
それは、日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に限って武力行使を認めるというものであります。
ただし、このような、「国民の生命等が危険にさらされるような状況」というものが、この憲法ができた当時と今ではまったく違うのです。
いま日本を取り巻く状況はどうか。日本のすぐ近隣では核兵器や弾道ミサイルの開発が行われ、また軍事技術がひと昔前とは比較にならない程に高度化しているのです。また国際テロにより、日本人も犠牲になりました。いまや脅威は容易に国境を越えてやってきます。
そのような中、日本が直接攻撃を受けてから、いよいよ防衛出動をするといったことで、本当に国民の生命、財産を守ることができるのか。
憲法が作られた当時と、状況はまったく変わってしまったのです。
そこで今回、政府が認めたのが、日本が直接、他国から攻撃を受けていなくても、例えば日本の防衛のために日本近海の公海上で、警戒監視活動を行っているアメリカの艦船等への武力攻撃があり、それを放っておけば、いよいよ日本の国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆されるような明白な危険が明らかな場合には、自衛隊はこれを排除することができる、としたわけであります。
あくまで、これは自国防衛のためであります。他国を守ることが目的では決してありません。
ただし、これは、アメリカの艦船を守るという意味においては、集団的自衛権を「ほんの一部」認めることになるのですが、これとて、あくまで自国を守るためなのであります。
これさえも、集団的自衛権だからといって認めなかったならば、現実に日本を守ることができるのでしょうか。
硬直した机上の空論をかざし、これは「集団的自衛権」ではないかと、さも他国防衛さえも認めたかのように誤った情報を書き立てるマスコミもありますが、これこそ現実を無視した「観念論」と言わざるを得ません。
政府は、どこまでいっても、憲法の前文、そして13条にあるように「国民の生命」を守る責任があるのです! たとえそれが、一部、集団的自衛権を認めることになったとしても、それはあくまで「国民の生命」を隙間なく守りきるためではないですか!
自国防衛のためなんです!
それ以外にはないんです!
国民のためなんです!
政治とは、どこまでも現実主義なのです! 現実に国民の命を守ることができなければ、失格なんです!
衆議院の憲法審査会における3人の憲法学者の見解は、何度読んでも、「真剣に国民の生命を守りきる」という、覚悟が感じられませんでした。
首都大学東京准教授の木村草太氏は、「憲法のよりよい運用をめぐって、活発に議論を戦わせることが『憲法を作る』ことになる」と言っております。
「憲法を作る」といっても、それは「条文そのもの」を変えてしまうという意味ではありません。
「日本国憲法は、その解釈によって、いろいろな運用の仕方をする余地がある、弾力性に富む憲法」であると木村草太氏は言っているのです。
木村草太氏は、あの憲法審査会で発言した長谷部恭男氏の教え子であります。
いま、あらゆる場面で日本に求められているのは、古き観念による呪縛から自らを解き放つ、新たな発想、創造力です。
この度の、憲法の解釈も、決して、従来の解釈の基本的な枠組みを超え出るものではないのです。あくまで「9条の魂」は堅持しつつ、しかも緊迫した時代の状況を鑑み、「国民の生命を守りきる」にはどうすればよいかの、ギリギリの判断だったのです。
9条は断じて守られました!
日本は、戦争のできる国になど、断じてなっておりません!
どうか、これからまだ国会では、平和安全法制の論戦が続く模様であります。
本日、私がお話ししたことが本当なのかどうか、ぜひ皆さんの耳で、頭でご確認いただけますことを心より願っております。
そのことをお願い申し上げまして、委員長報告通り、陳情不採択に賛成するものであります。
皆様のご賛同をよろしくお願い申し上げます。







