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午後、長野県地方自治政策課題研修会に出席。
本日の講演内容は、次期「長野県総合5か年計画」策定に向けての県議会の取り組みについて、そしていよいよ来年度開学する「長野県立大学」について。

 

大学が生き残りをかけた競争が激化する中、新たな大学を設立するという、その理念、ヴィジョン、そして意気込みはいかに・・・。

県立大学の学長予定者を始め3名の方が登壇されました。(金田一真澄長野県立大学学長予定者、森本博行グローバルマネジメント学部長予定者、田村秀グローバルマネジメント学科公共経営コース長予定者)

結論として、本日の講演には大きな衝撃を受けました。
これからの大学に求められる「大学像」をしっかりと反映されていることに驚きを禁じ得ませんでした。語学の重視、1年次の全寮制、そして2年次の海外留学。
ケンブリッジ、オックスフォードなど、世界の名門大学の多くは全寮制であり、それが人間形成に大きな影響を及ぼし、各界に多くのリーダーを輩出しています。寮生活という共同生活によって培われる社会性やコミュニケーション能力。県立大学の学生たちにとって、人生の基礎を築く貴重な機会となることは間違いありません。
また海外留学を必須としていることも、決して単に語学の習得ということに限らず、「視野を広げる」上で大きな意味があります。
また長野県立大学では、ほぼ全学で必修となっている独自のユニークなカリキュラムがあります。それは「象山学」というもので(もちろんこれは佐久間象山にちなんで命名)、これは県内の企業や各界で活躍されている方々をゲストとして迎えお話をお聞きするものです。机上の学問のみならず、現実に社会の中で成功されている方々の「体験」をお聞きすることは、学生のモチベーションや人生哲学に多大な影響を与えてくれることでしょう。

 

そしてなによりも、学長となられることが予定されている金田一真澄氏のお話には心から感動いたしました。この方が学長となられる長野県立大学にこれから入学される学生たちは本当に幸せではないか、そう強く感じると共に、そしてこの大学から将来必ず、日本そして世界で活躍する多くの人材が輩出されるだろう・・・そんな予感がしました。

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11月7日、パシフィコ横浜で開催中の「図書館総合展」へ。
午後から図書館流通センター主催フォーラム「岐路に立つ図書館」に参加。
講師は、茂木健一郎氏(脳科学者)、宮脇淳氏(北海道大院教授)、そして湯浅俊彦氏(立命館大院教授)。
茂木氏からは、最新の世界の「知」の動向について、AIからビットコインの話題まで。そして、今図書館に求められているのはインキュベーターとしてのコミュニティの機能であるということ。特に感化されたのが「今は『啓蒙』ではなく『共感』の時代」であるとの言葉。
宮脇氏からは、行政学がご専門のお立場から、これからの行政に求められる「経営感覚」と公共サービスへの「投資」について、また、リスクマネージメントにおける民と官の役割分担の重要性について。そして図書館に求められるのが情報と人をつなぐ「ハブ」としての機能であるということ。
湯浅氏からは、 図書館情報学、特に電子出版研究の第一人者として、これまで湯浅氏が取り組んでこられた電子書籍についての研究、図書館のデジタル化などについて貴重なお話を。そしてこれからの図書館のあり方を表わすキーワードとして、①検索の時代、②所蔵から利用へ、そして③人口減少時代の知識集約型図書館、を挙げられました。

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本日11月3日は文化の日。

今、市内では大町市文化祭が開催されています。
今日も大町市文化会館や周辺の施設において、舞踊、歌などのステージ、また市内の文化団体による、お花、書、絵画、陶芸、クラフト、菊花展、また小・中学生の作品などの展示が行われました。
私も毎年この文化祭が楽しみで、皆さんの作品を鑑賞させていただいておりますが、どの作品も輝いて見えるのです。仕事を終えて急いで教室に駆けつけ、時には徹夜で作品の制作に当たられた方もいるかもしれません。また、納得がいくまで何度も何度も作り直した方もおられることでしょう。

習い事、また芸術というものが、どうして人を引きつけ、また「自分も作ってみたい」という衝動にかられるのでしょうか。

「文化」という言葉は英語で「カルチャー(culture)」ですが、この言葉と同じ語源を持つ「カルティベイト(cultivate)」は日本語で「耕す」と訳します。
つまり、文化とは、私たちの生活を豊かに「耕し」、そして私たち自身の「心」を「耕す」ものでもあるはずです。耕すという言葉は、まさに「農業(agriculture)」の言葉であるということにも大きな意味を感じずにはいられません。

また、「芸術」は英語で「アート(art)」。この言葉の語源はラテン語の「アルス(ars)」、これは「技術」「才能」などの意味があります。すなわち「アート」とは、豊かな生活を築くために生活の中から生まれた「技術」であり、生活のために自然を「お借り」し「手を加える」こと。
自然そのものではなく、あえてそこに手を加える・・・。つまり、あえて手を加えることで「自然が生きてくる」、さらに言うならば、手を加えることで「新たな生命(価値)が吹き込まれる」・・・。

農業も「大地」をそのまま利用するのではなく、大地に「手を加え」「耕し」、人間生活を豊かにするために土地を生かすもの。

また「景観」という言葉があります。広辞苑によれば「景観」とは、
①風景外観。けしき。ながめ。また、その美しさ。
②自然と人間界のこととが入りまじっている現実のさま。
とありますが、私は②の意味に強く惹かれるのです。
全く手が加えられていない自然の美しさは言うに及びません。しかし、あえて手を加えられた自然にも、生(なま)の自然とはまた違う美しさがあるのです。その代表が「農村風景」ではないでしょうか。また自然の中に美しい橋のかかった風景、また大自然に囲まれたダムの堰堤とダム湖の美しさ、歴史ある古い建物と高層建築が混在するニューヨークの街並みなど。

「自然の美」に対する感性は、人間が生まれながらに持っているものではないでしょうか。しかし、この自然に手が加えられた「人工の美」に対する感性も、私たち皆が持ち合わせていることも疑いの余地はありません。

すなわち「文化」とは、人間が生来もっている「新たな価値を創造する」営みそのもの。そして文化を愛する心とは、人間の創造性を愛する心であり、人間生活を豊かにし、本来の人間らしい「文明」を生み出すもの・・・。
それは過度の自由競争へと向かう自己の利益のみを追求する卑しい心とはまったく正反対のベクトルを持つ「利他」の精神を志向するものであるはずです。

私は「文化」という言葉が持つ響きが何より好きであり、これからの日本の未来をより豊かにし、様々な人類的課題を克服するための重要なキーワードになるものと思っています。

 

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人生には二極ある。
すなわち、自分のための人生か、それとも人のために生きる人生か。

ブレる人間には指針がないのではなく、「自分中心」に動くという一貫した価値観、行動がある。すなわち自身の欲望に忠実に生きる生き方だ。
それは言い換えれば、自身の欲望に従って、自分を「利する」生き方である。
また、一方、それとは別の極の生き方がある。
人類普遍の価値である「利」の追求を、全ての人間の心の中に見る達観した目で、「他者」の「利」、すなわち「利他」の行動を起こす生き方である。
人のために生きる人生にはブレがない。

この前者の生き方を「利」の価値を求める生き方であるとすれば、後者の「利他」の人生は「善」の価値を求める生き方と言える。
洋の東西を問わず、この「善」なる価値を、古来多くの哲人たちが求め続けてきた。

価値観はその人間の人生の質を大きく決定づける。
この「心」というものは、目には見えないが、心の反映としての一つ一つの行動が積み重なってその人間の人生を決定づけるのだ。
その行動をつぶさに見れば、その人間の価値観が見えてくる。

政治とは、この「善」なる価値の追求に他ならない。
国民、市民によって選ばれた人間は、その市民の負託を受けて、国民、市民の「幸福」の追及に全精力を傾けなければならない。
すなわち、政治家とは、自身の利益を犠牲にしてでも「他者の利益」を追求するべく「選ばれた」人間なのだ!!
この政治家としての根本の「使命」を理解できない者が、誤って政治家に選ばれることこそ、国民、市民の不幸の「根源」であると言わざるを得ない! このような政治家の生き方を価値論的に論ずれば、「善」に対する「悪」と断ずるものである!!

この価値論的視点に立って、今の政界を眺めて見るならば、自ずと政治家たちの人間性、価値観が鮮明に見えてくる。

金銭にまつわる汚職、不倫・・・。
自身の「欲」を律することができない者が、「人のため・・・」など片腹痛い。
「人間性よりも仕事をする政治家を」という者もいるが、冗談ではない! このような政治家は、自身の「成果」を「自身の保身」に利用する人間なのだ!!すなわち「自身の保身」のために「政治を利用する」もっとも忌むべき人間なのだ!!

また、本来の政治の目的を忘れ、自身の保身のためにあちこちへと渡り歩く「渡り鳥」たち。
政治的理念なきブレブレの行動。

全て自身の「欲」、「自利」の追及のために「利他」の精神を犠牲にした「悪」の生き方。
「権力」はどんな善人でさえも、一瞬で「悪」に陥れることができる。
常に「権力との闘争」を「自身の心の中」で行える人間でなければ、いつでも「悪」の道へと誘(いざな)われる。

「理念なき政治」「信念なきブレブレの政治」・・・
そんな政治に、国民、市民はもう懲り懲りだと心の底から感じている。
この国民の切なる思いに、そろそろ政治家自身が気づく時ではないか。

 

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大町市議会9月定例会の一般質問が、9月5日、6日の2日間にわたって行われました。
今回、私は2日目の2番目の登壇でした。
質問項目は、

1、北アルプス国際芸術祭について   2、都市計画について   3、市民の健康について。

 

6月4日から57日間にわたって開催された北アルプス国際芸術祭。
芸術祭が終わって1ヶ月が過ぎました。
市内のあちこちに設置された全36の作品を訪れた来場者数は、延べで45万人。予想を遥かに上回る数となりました。多くの方々に、今回の芸術祭を通じて、大町市が誇る「北アルプス」「仁科三湖」、そして緑豊かな大自然を満喫いただき、大町市の食にもご満足いただけけたことと思います。この皆さんが、今後も大町市のファンとして、リピーターとして、また大町市にお越しいただけることを心より願わずにはいられません。
「文化芸術のまち」として、大町市がさらに発展していくことを心より願っております。

 

「人口減少時代のまちづくり」が問われています。
戦後、多くの公共施設が一度にどんどん造られていきました。そして、その一度に作られた公共施設が今や40年経ち、50年経ち・・・。そして、それらが、一度に更新を迫られています。
今から、公共施設の管理・更新・統廃合を「計画的」に行っていかなければ、将来、市の財政は間違いなく逼迫(ひっぱく)してしまいます。それは市が本年3月に策定した「大町市公共施設等総合管理計画」の中でも明確に述べられています。
人口減少が市の財政にもたらす影響は、あまりにも深刻と言わざるを得ません。そこから決して目をそらすことなく、今から手を打っていくこと・・・   いま行政と市議会に課せられた最重要の課題です。

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本日、都内において図書館総合研究所のセミナー「シヴィック・プライドとシティ・プロモーション」に参加いたしました。
講師は、大分県竹田市の首藤勝次市長、そして関東学院大学法学部准教授の牧瀬稔氏。

今では「住みたい田舎ベストランキング」で常に上位に入る竹田市。
その陰には、竹田市の「ブランド戦略」があったことを知りました。
そして、首藤市長の明確な「ビジョン」と「目標」。
市長の言葉で一番心に残ったもの、それは・・・
「目標がなければチャンスは見えない。ビジョンがなければ決断ができない」。
今日の市長の講演全体から、ビジョンの奥にある明確な哲学を感じました。
それは市長の「文化芸術」に対する思い、センスにも関わっています。
竹田市が目指すものが、今日、ようやく分かりました。

そして、牧瀬稔氏の「シティプロモーション」についての講演には非常に感化されました。
これまで自分の中であやふやだった「シティプロモーション」の定義が、スッキリと明確になりました。
シティプロモーションとは、とにかく「ターゲット」を絞り込むこと。どの世代のどんな人に対するプロモーションなのか。例えば、単なる「子育て世代」ではなく「0歳から3歳までのお子さんがいる家庭」など・・・。
そして一番重要なのが、認知度の向上。何よりも自分の市を知ってもらわなければシティプロモーションは始まらない。またそれは、「ブランド化」と密接に関わってくるもの。例えば「〇〇といえば、大町市だよね!」と言ってもらえるような何か。

非常に楽しみにしていた「シヴィック・プライドとシティ・プロモーション」についての今回の講義。半日の講義でしたが、期待以上の内容でした。

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今年の夏の思い出・・・
鎮魂と慰霊のために行われてきた花火大会。

 

この夏、72回目の終戦記念日を迎えました。
毎年8月15日が巡り来るたびに、戦争の悲惨さと平和の尊さを感じずにはいられません。

 

これまで「力」の論理で「平和」を語るということが世界の常識でした。
力には力で・・・
核抑止論もその一つ。
しかし、「暴力」による「平和国家」の維持など、明らかに論理矛盾があります。
それは「欺瞞(ぎまん)」以外の何物でもありません。
それは「革命による平和国家の建設」を唱えることとなんら変わりません。

 

「平和を願うならば、戦争の準備をせよ」
これは西洋の古い格言ですが、しかし、これまでの歴史を見て、この言葉を心から信じる人が、今どれだけいるでしょうか。
もはや戦争によって、平和を維持することなどできないことは誰の目にも明らかです。

 

私は以前、ある素晴らしい言葉に出会い、心から感銘を受けました。
それは、「戦争の反対は平和ではない。戦争の反対は対話である」
なんと素晴らしい言葉であることか。
対話のあるところには、「信頼」と「友情」が生まれる。
信頼関係と友情こそが平和の礎となる、私もそう信じる一人です。

 

しかし、「理想論」を語ることで「現実論」を無視してはならない!
その「理想論」と「現実論」を「絶妙」に保持しているのが今の「日本国憲法」ではないでしょうか。
「現実」に日本の平和を守っている自衛隊。
そして、永遠に変わることのない「平和主義」を掲げる日本国憲法。

 

どんな時代であれ、「理想」と「現実」のバランスをしっかりと見定めることなくして、平和を維持することなどできません。
しかし、そのバランスは時代によって変わるのです。

 

原爆を投下された唯一の国、日本。そして、偶然によってか必然か、その日本に生まれた「日本国憲法」。

そして第9条。

 

日本には、世界の平和をリードしていく責任と使命がある・・・
そう強く感じた今年の夏でした。

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先日、親元を離れ寮生活をしている高校生の姪(めい)が、帰省中に我が家へ。
学校の夏休みの宿題でインタビューをさせて欲しいと依頼され、「なぜ、議員になったのか」「議員はどんなことをするのか」など、たくさんの質問にお答えしました。

特に「議員の仕事内容」については、高校生にはちょっと難しいかなと思いつつも、なるべく分かりやすい言葉でお答えしました。

私の個人的な考えですが・・・

第一に議員の仕事は、人に会うこと。とにかく、人に会ってお話をお聞きすること。たくさんの人に会うことで、たくさんのご意見やご要望をお聞きすることができる。これこそが議員として、最も基本で最も重要な仕事。「現場の生の声」をお聞きすることで、問題を正しく認識することができる。

そして、第二に、いただいたご要望やご意見を元に、具体的に問題を解決し、そして市政に反映していくためには、豊富な知識が必要になってくるのは当然。現に困っている人たちの問題を解決するためにはどうしたらよいか、そして行政を説得するためにはどうしたらよいか。それは、インターネットで調べることもできるかもしれないが、専門的な知識を得るには、高額な書籍を手に入れ熟読することも重要。単なる知識とバカにしてはいけない。もちろん一番大事なのは現場の声だが、その声を行政に届け、説得力ある提言を行うには、断然どれだけの知識があるかにかかってくる。「責任感」は必ず、情報収集の努力、なかんずく学習という形になって現れる。

そして最後の三つ目が、一般質問における提言である。これこそが、最も議員としての力が試されるところ。知識をいくら増やしても、具体的な説得力ある提言ができなければ意味がない。いま最も議員に求められているのが「政策立案能力」。いや、「能力」というよりは、「真剣さ」「責任感」「執念」といった方がいいと思う。本当に「この問題を解決したい! そして皆さんに喜んでもらいたい!」と思えば、「私には力がないので」なんて言っている暇(ひま)はない! それは無責任に通じる。真剣に考える努力をすればいくらでも知恵は湧いてくる。だいたい「力をつける努力」をしない議員は、かならず他の議員の足を引っ張ることに必死になり、パワーゲームに明け暮れる。本当に見ていて見苦しい・・・

おおよそ、こんなお話をさせていただきました。
この他にも、福祉について、格差の問題について、資本主義経済について、文化芸術のまちづくりについて等、問題の核心を突く質問をされました。
いまどきの高校生は凄いですね!

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6月4日から7月30日までの57日間にわたり開催された「北アルプス国際芸術祭」が閉幕となりました。
延べ人数45万人の観客が、現代アートを求めて大町へ。
そして、アートを介して大町の豊かな自然を満喫し、大町の食をご堪能いただきました。

 

アートによるまちづくり・・・
当初は多くの市民による「不安」と「拒絶」の反応があったことも事実です。
市議会においても賛否両論がありました。
それもそのはず、現代アートについて、私たち議員も、恐らく市民の皆さんも、ほとんど知識が乏しく、現代アートに対する奇抜なイメージが先行していたことは否めません。
「アートによるまちづくり」どころか、アートによって「まちが蹂躙されてしまう」かのような恐怖感さえ、人によっては感じられたことでしょう。

 

私自身、現代アートによるまちづくりに100%自信があったかといえば、決してそんなことはありません。何しろ、作品が実際に完成するまでは、作品を見ることができないわけですから。
とにかく、現代アートといっても、本当に様々であり、正直、世界には私自身理解できない作品もありますし、もっといえば、決して好きになれない作品にも出会いました。

 

トリエンナーレやビエンナーレと言われる芸術祭が、世界各国で、また国内においても活発に開催されております。そしてこのようなアートによるまちづくりについて、様々な評論も行われております。特に最近では、このような形式の芸術祭について否定的な論評もあり、「芸術の劣化」を指摘する著作も出てきております。
しかし、私は、本来芸術とは「こうでなくてはならない」というものはなく、プロもアマもないのではないか、そう考えています。
作品に対する見る者の好き嫌いもあり、たまたま好きな人が多ければ、それだけ多くの人たちの心を捕らえ、人気作家となっていく。
芸術家の皆さんは、いわゆる「売れている作家」が本物であると思っているでしょうか。
人の価値観は様々であり、作家が生きている間には売れなかったとしても、作家が亡くなった後、時代の価値観がその作家の価値観に追いつき、そしてその作品に高値がつく・・・ということは芸術の世界ではよくあることではないでしょうか。
もちろん、恐らく、本物と言われる作家、作品には共通の「何か」があるのかもしれません。
しかし、「トリエンナーレは本物ではない」「地域アートは本物ではない」「地域住民との共同作業で作る作品は本物ではない」などとどうして言えるでしょうか。
「地域の活性化が目的で開催された芸術祭で作られる作品は本物ではない」などとどうして言えるでしょうか。
恐らく、トリエンナーレなどに参加されている作家の皆さんは、「地域の活性化のために作品を作りましょう」などとは思っていないはずです。「最高の作品を作りたい」という思いで参加されていることは間違いありません。

 

今回、北アルプス国際芸術祭のすべての作品を鑑賞させていただいた上で、率直な感想を述べますと、どの作品からも「観客に媚(こ)びている」などと感じたものは一つもありませんでした。
いわゆる「売れればいい」などといった、芸術家としての魂を売るような作家はいなかった。
また、そんな作家を選ぶディレクターがどこにいるのか。
どのような形式の芸術祭であれ、作家は自身のプライドにかけて作品の制作に取り組んでいる。

 

北アルプス国際芸術祭を大成功に終えることができ、いまだ感激に浸っています。
いや、勝って兜(かぶと)の緒(お)を締めよ!
これからが、大町市のまちづくりの本番です!
大町市は、今回の大成功で「文化芸術のまち」の仲間入りを果たすことができました!
この誇りと責任を忘れることなく、次の段階へとステップアップしてまいります!

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あと2日間・・・

6月4日から開催してきた北アルプス国際芸術祭も間も無く終わろうとしています。
本当に多くの方に大町へお越しいただき、まるで夢を見ているようです。

 

晴れ渡る空に映える北アルプス
紺碧の空と澄み渡る木崎湖

そして

霧がかる林の木々たち
木崎湖から曇り空へと伸びてゆく雲結いの紐(ひも)

 

晴れの日も曇りの日も雨の日も、大町はいつでも美しい姿を見せてくれました。

今はただただ、北アルプス国際芸術祭に携わったすべての方々に心より感謝。

そして

我がふるさと大町を心より愛おしく思っています。

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大町市 太田昭司
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