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本日の午後、大町市内において「歴史講演会」が開催された。
演題は「長野県民の1945 ー疎開・動員体験と上原良司ー」、講師は長野県立歴史館の徳嵩隆治氏。
若い命をあたかも「戦う機械」の如く戦場へ送り込んだ、かつての日本の大人たち。
日本中が狂っていたあの時代。
その中で、日本の進む方向性に対し懐疑的な、心ある大人も若者もいた。
上山田ホテルに東京から疎開していた光明学校の松本校長の言葉が胸を打つ。
「光明学校が育ち盛りを過ごした太平洋戦争とは何であったか。
命を奪い、家を焼き、田畑を荒らして残したものは、悲しみと無念の涙だけではないか」

 
戦争ほど残酷なものはない・・・
平和ほど尊いものはない・・・

 

講師の徳嵩隆治氏が淡々と語る真実の歴史に、思わず嗚咽をこらえる参加者の姿が会場のそこかしこで見られた。

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世界的な造形作家でありフランス国立高等美術学校の教授を務めておられる川俣正氏のご講演が、大町市内で行われたのが昨年の11月。早くも2ヶ月以上が過ぎました。
あの大変に貴重な講演について、年末年始を挟んでしまい、なかなかまとめる時間がなかったのですが、ようやく時間ができました。

川俣氏の講演は、終始「サイトスペシフィック」という思想に貫かれていました。
すなわち、「その土地に合ったアート」「その土地の特性を生かしたアート」という考え方です。
現代アートとは、とかく、「奇抜」で「場違い」なものというイメージをもたれがちですが、今回の講演で現代アートに対する見方が180度変わりました。
「現代アートは、全く場所を考慮せず、景観を壊すもの」という固定観念は、間違ったものであると気づかされた方も、きっと多かったのではないでしょうか。
それもそのはず、今回ご講演いただいた川俣氏こそ、まさにその最前線でご活躍されている世界的な作家なのです。

また、川俣氏は講演の中で、「食とアートの廻廊」の総合ディレクターである北川フラム氏が「地方で国際芸術祭を開催」してきた、その先見性について、心から賞賛しています。まさに、北川氏と川俣氏、このお二方は、同じ芸術哲学を共有し、心の奥深くで結びついているのです。

そのお二方の貴重な講演の内容を、短くまとめましたので、ぜひご興味のある方はお読み頂けましたら幸いです。
では、以下、昨年11月9日に行われた「信濃大町 食とアートの廻廊 シンポジウム」における、総合ディレクターの北川フラム氏、そして川俣正氏の講演の内容です。
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<北川フラム氏>

現在、大中小合わせて2000の芸術祭が国内で開催されている(藻谷浩介氏)。
その中で、ある程度の規模を持ったものが20ある。
東京オリンピックをひかえ、外国人観光客が増加している。

長野県は平成の大合併にあまり乗らなかった。
ギリシアの元文化大臣が、かつて次のように語った。
「政治経済の統合は仕方がない。しかし、文化だけはそれぞれ土地で育ったもの。この文化の統合・標準化はありえない」(メリナ・メルクーリ)。
EUは、現在、合併の弊害が出てきて地域が弱ってきていることは確か。
長野県も、共同体、コミュニティの力をどう生かしていくか。

大町市内では、多くのしっかりした文化活動が行われているが、それぞれが孤立しており、統一したものとなっていないため、大町の全体のパワーとして、それぞれの活動を活かしきれていない。
これまで(心ある)アーティストは、それぞれが自らの表現を追求すると同時に、「その土地に合った」作品を作ってきた。その先駆けとなったのが、本日参加されている川俣正氏である。

そして、源汲のゴミ焼却施設について。
これは、どこかに作らなければいけないもの。
この施設を、芸術作品として、川俣氏がどのようにされるか。非常に期待している。
この作品が、問題解決型の作品の第一歩となっていくのではないか。

地球環境が危機に直面している。人類は地球を越えて生きることはできない。
現代の資本主義、市場第一主義が破綻をきたしている。
グローバリゼーションの波の中、それぞれの地域固有の地域資源を明らかにし、またコミュニティを再生していく力として、芸術文化が柱となっていけるのではないか。

食とアートの廻廊の意味について
「廻廊」––– これは山に囲まれた大町の特徴をよく表している。
また大町は「フォッサマグナ」の西側に位置し、それが塩の道につながっている。
また大町の東と西で植生も違っている。
扇状地の周りをつなぐ「廻廊」としても。
「扇状地」––– これについては柳田國男が遠野物語で触れている。
やまんば、山男、天狗、クマ、狐、鹿等が降りてくる。そして、私たちの先祖の祖霊が降りてくる。
これが扇状地。
ここに生きてきた多くの人たちの思いとか、生活、文化、そういうものが漂っている。そこを回る廻廊という意味。
そして(これらに思いを馳せ、表現することによって)この地域の「発展」にアートが寄与できるのではないか。
信州の食は、厳しい自然環境の中で生きる(創意工夫の)蓄積があり、レベルが高い。
食が地域の性格を最もよく表している。
「食とアートの廻廊」––– この趣旨は間違っていないと信じている。

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<川俣正氏>

地方で国際芸術祭を開催する意味について。
70年代、80年代に野外彫刻展があった。
しかし、それは「作品」と「場所」の関係、そこに作品を置く意味、脈絡がなかった。
そこで、もう少し「場所」に合った作品をという反省が起こる。
たとえば、地元にある石を使って彫刻を作るなど。
さらに、作品をその場所で作ったらどうか。
このような流れになってきた。
また「サイトスペシフィック」という考え方(特に川俣氏の作品に特徴的な概念)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/サイトスペシフィック・アート
すなわち、その場所でしかできないもの。場所から出てくるもの。
これが80年代からの脱却のプロジェクト。
もっと言えば、場所そのものに意味が出てくる。土地限定の作品。

ヨーロッパでは多くの国際芸術展があるが、地域性を前面に出した作品はそれほどない。
ヨーロッパでは、アートは特別なものという意識がある。特別な人が特別なものを作っていくという考え方が(根強く)ある。
一般の人が、ボランティアで協働で何かの制作に携わるというのは稀なこと。
ヨーロッパでは、まだ美術館やギャラリーなどの力が強く、あえて「地域」で何かをするといった発想が出てこない。
しかし、日本で北川フラム氏が始められた「越後妻有大地の芸術祭」や「瀬戸内国際芸術祭」には、実はヨーロッパから多くの人が観に来られている。そして彼らが(そこで見た印象や感覚を)地元へ持ち帰って、幾つかの展覧会を開催している。
フランスのナントのロワール川の河口で、50人ぐらいのアーティストが参加した芸術祭が開催された(川俣氏も参加)。そのディレクターは、「大地の芸術祭」を参考にしていた。
また、EUのCultural Capital City in Europe(欧州文化首都)の一環として4、5年前からエッセンで芸術祭が開催されている。エッセンは炭鉱町。そこを流れる黒くなった大きな川の浄化のために、その土地に限定した(その土地に合った)作家を呼んできた。この発想も、実は「越後妻有」の影響が多分にある。
あえて過酷な場所を選び、アートの設置場所にしていく。

ヨーロッパでは、ディセントラリゼーション(地方分権化)という考え方が日本より遥かに強い。
フランスでは、すでに70年代あたりから、ミッテラン政権のジャック・ラング(元文化大臣)の頃から、地方にお金を分配し、アートセンター(文化拠点)を充実させていく。
(Regional Contemporary Art Fund )

大事なのは、アイデア、企画力。そして、ただ人が来ればいいのではない。やはりクオリティが大事。
フランスのアヴィニョンの国際演劇祭。世界中から演劇関係者が集まってくる。メニューも200ぐらいある。

「地域」と「国際」。この背反するものを、どう繋げていくか。
最近、私は「インターナショナル」ではなく「インターローカル」という言葉を使う。
「インター」な「ローカル」。
地方の小さなところで芸術祭を行うことで、大きな都市でやるものとは違うものができるのではないか。
この「信濃大町」で芸術祭を開催することに、非常に期待している。

(文責 太田昭司)

新年明けましておめでとうございます
本年も新たな峰へ向かって、自分自身の殻を破るべく全力で働いてまいる所存でございます
皆様におかれましても、素晴らしい一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます

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本日は、大町市文化会館において、「大町市少年少女合唱団定期演奏会」が開催されました。
市内の小学生から高校生までの子供たちが、愛唱歌、童謡、テレビドラマ主題歌等を披露しました。
子供たちの歌声は、どうしてこんなにも感動するのか。
指揮の先生はお話しされました。
「歌う楽しさや喜びが祈りとなった」
「子供たちが歌うことができないような状況を作り出してはいけない」
指揮の先生のこの言葉に感動せずにはいられませんでした。
まさに子供たちの歌声こそ、平和の象徴である–––
今日はそのことを実感させていただきました。
来年もまた必ず来たいと思います。

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「もし人格のないものが無暗に個性を発展しようとすると、他(ひと)を妨害する、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。随分危険な現象を呈するに至るのです。」(夏目漱石『私の個人主義』)
どんな高尚な理屈によってであれ、その行為がどのような結果をもたらすかは、結局、その人間の「人格」「人間性」による。
「個性の追求」という現代の風潮に対する、この漱石の言葉ほど「戒め」となるものもないのではないか。
「個性の追求」が、「分断」や「破壊」に結びつく現実が、なんと多いことか。
また逆に、「市民のため」「民意」「民主主義」という大義を、ことさら強調する運動を見る時、いつもどうしても、その真意に対し警戒してしまう。
結局は、やはり、行為の「動機」、すなわち「人間性」に行き着いてしまう。
「分断」は悪であり、「結合」は善。
団結、包容、寛容、信頼。
「他者の存在」を認めることができる「人間性」という基盤のない、「個性の追求」「自由の追求」ほど危険なものはないのではないか。
指導的立場にある人間であればなおさらだ。

昨年の5月にホームページを開設してから一年半。
今月3日に、ようやくアクセス数が1万件を超えました。
多くの皆様に、私のホームページをご覧いただき、またブログをお読みいただき、感謝に堪えません。
私の拙い文を公開することに、最初は戸惑いもありましたが、「これも言論戦の訓練」と自分に言い聞かせながら、頻繁とは言えませんが、なんとか書き続けてきました。
そんな中でも、出来うる限り、自分なりの視点を盛り込むことを心がけて書いてきたつもりです。
これからも駄文ではありますが、継続的に自分の思いを発信してまいりますので、どうか今後とも引き続きお読みいただけましたら幸いです。
今後とも太田のホームページを何卒宜しくお願い申し上げます。

(写真は北アルプスの蓮華岳)

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昨日と本日、滋賀県大津市内において開催されたセミナーに参加しました。
鹿児島市の「マルヤガーデンズ」の玉川恵社長のお話は特に楽しみでした。
大町市にもお越しいただいた山崎亮氏、デザイナーのナガオカケンメイ氏、また建築家のみかんぐみ。この豪華なメンバーが関わった、夢のようなマルヤガーデンズ誕生(2010年4月オープン)のお話です! どうして期待せずにいられるでしょうか。

玉川社長のご家族のお話。本日初めてお聞きしたそのご苦労には涙せずにはいられませんでした。
そして玉川社長がジュンク堂の社長に飛び込みでお会いしに行ったこと。玉川社長のドキドキがこっちまで伝わってきて、思わず自分もワクワクしながらお話に引き込まれていきました。
玉川社長の人柄、人脈、そしてビジネスにかける思い、センス。
今日は大きな発見だらけでした。
ぜひまたお会いできることを願っております。

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あまりにも非人間的な出来事に、深い憤りと無念さでいっぱいだ。
どうしてこんなことが現実に起こってしまうのか。
何が目的なのか。
幸福とは何か。人間とは何か。
そんな問いは虚しく掻き消されてしまうあまりにも残虐な行為。
これによって一体誰が得をするのか。
誤れる「思想」ほど恐ろしいものはない。
平和の根本は「教育」であり、そして何と言っても平和的なエートスを育む「文化」ではないか。
人間精神の表現の昇華としての文化、そして芸術。
言葉ではなかなか伝えることのできない「ヒューマニズム」と「平和」のエートスを育むのものこそ、平和を愛する人類の遺産としての慈悲の文化ではないか。
彼らには、愛する友と、家族と、ともに平和を語るという文化が存在するのだろうか。
人間の善性に対する信頼。
他人の幸福は自分の幸福であり、他人の不幸は自分の不幸である、という慈悲の心。
この崇高な精神性を育むものも、深き哲学に裏付けされた文化だ!!

昨日11月13日、広域連合議会において、初めて一般質問に立ちました。
いま「地方創生」を進める中で、「自治体間連携」の強化、また「新たな広域連携」のあり方が問われております。
この北アルプス広域は、国の進める「連携中枢都市」「定住自立圏」のどちらにも当てはまらない地域となっております。
そこで、北アルプス広域連合では、国に頼らない独自の新たな広域連携のあり方である「ミニ定住自立圏構想」というものを考えております。
国の設けた条件に当てはまらないのなら、独自で新しい発想で新しい取り組みを行っていく・・・
この北アルプス広域連合の意気込みに対し、私は非常に大きな感慨を持っております。
結局は、「地方創生」は地方が独自で知恵を絞りながら取り組んでいく以外にないのですから。
北アルプスの麓に広がる大北地域は、同じ「山岳文化」「里山文化」を持つ運命共同体なのです。
大町市、池田町、 小谷村、 白馬村、松川村、この1市1町3村が、手を取り合えば、私は、必ずや他のどの市町村にも勝るとも劣らない、素晴らしい山岳観光の「メッカ」となることができると信じております。

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11月9日、大町市内において「信濃大町 食とアートの廻廊 シンポジウム」が開催されました。
タイトルは、「なぜ国際芸術祭を地方で開催するのか」。
登壇者は、北川フラム氏(アートディレクター)、スダーシャン・シェッティ氏(美術家・キュレーター)、川俣正氏(美術家)、牛越徹大町市長。
平成29年に大町市で国際芸術祭を開催する、実質的な出発式となりました。
どうして「アート」なのか。
なぜ、大町市なのか。
芸術際を開催する意味について意見が交換されました。
スダーシャン・シェッティ氏が話された、インドのある批評家の言葉が私の心に突き刺さりました。
「過去というのは、プールのような沈殿したものではなく、滝のように自分たちの背後にあって、現代に降り注ぐようなもの。そして、そこから未来が見えてくるようなもの」であると。
キュレーターとしてのスダーシャン氏の美術哲学が垣間見れる深遠な言葉に、しばし感動しながら、氏の一句一句に耳を傾けました。
また氏は、コスモポリタニズム、多文化主義、また過去と未来を繋ぐ、といった美しい言葉を使いながら、芸術祭の意味を語られました。
美術家としての彼を導くその思想は言うまでもなく東洋的であり、西洋とは明らかに違うその内省的な思想に裏付けされた一言一言に、私は深く感動しました。
氏の言う「滝のように自分たちの背後にあって、現代に降り注ぐ」過去、というこの言葉が示しているように、「過去」とは、すなわち「生の流れ」そのものであり、けっして「過去に置いてきたもの」ではない。すなわち、私たちは「過去とともに」生きているのであり、また「過去」という「原因」を背負い、また、その原因の結果としての「現在」を生きている。
これは、「生命の因果」を説くインドの思想を体現したスダーシャン氏の美術哲学であり、人生哲学なんだ、そう深い感慨に耽りながらお話をお聞きしました。
そして、今回のシンポジウムにスダーシャン氏をお呼びいただいた北川フラム氏にも心より感謝いたします!
北川氏の本は何冊か読ませていただきましたが、最新刊の『ひらく美術』(ちくま新書)も読ませていただきました。
この『ひらく美術』には、北川氏のなんともやさしい、深き愛情に満ちた心がにじみ出る言葉が、随所にちりばめられています。
ぜひ、多くの皆さんに読んでいただきたい本です。
地方創生という言葉も、そろそろ古くなった感が否めませんが、この地方創生に「文化芸術」が果たす役割は計り知れないものがあります。
大町市の今後に、ぜひ多くの皆さんにご注目いただきたいと願っています。

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