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6月議会が、一昨日8日に閉会となりました。
本議会に、現在参議院において審議されている「テロ等準備罪」法案の制定反対を求める意見書提出の陳情が市民団体から提出されました。
議会最終日において、本陳情に対し賛成6名、反対5名の討論がありました。
私は本陳情に対し反対の討論に立ちました。
国民をテロから守るためには、何としても一日も早くTOC条約(国際組織犯罪防止条約)に加盟しなければなりません。そのための「テロ等準備罪」の法整備なのです。
以下、私の討論の内容です。
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陳情第28号 テロ等準備罪の制定反対を求める意見書提出について、委員長報告に反対の立場から討論いたします。
先月5月23日に「テロ等準備罪法案」が衆議院を通過し、現在参議院において審議が行われております。
同法案は、ある新聞報道では「共謀罪法案」といい、報道各社でその呼称が分かれています。
では、そもそも共謀罪とは何か。過去においてこの共謀罪は3度廃案になっておりますが、共謀罪とは、「組織的な重大犯罪の合意」つまり心の中の共謀だけで処罰されるというものであります。しかし、今審議している「テロ等準備罪」は、このような共謀罪とは大きく違うものであります。
まず大きく違うのは、かつて廃案になった共謀罪は、犯罪を合意しただけで処罰できるとしましたが、テロ等準備罪は、犯罪を計画し、さらに「準備行為」、例えば計画に基づいて資金集めや物品などを手配したり、テロの下見を行ったり、このような準備行為を行った時点で、ようやく捜査対象となるのです。当たり前ですが、裁判所の令状がなければ捜査の対象になりません。
さらに大事なことは、かつての共謀罪では、犯罪を行う主体を、単なる「団体」としていましたが、テロ等準備罪では、「組織的犯罪集団」と明確に限定しました。分かりやすく言うならば、組織的犯罪集団とは、暴力団、テロ組織、麻薬密売組織、振り込め詐欺集団など、凶悪な犯罪を目的として造られた組織のことであります。したがって、民間団体や労働組合などが対象になるということはありません。「居酒屋で上司を殴ってやると言っただけで犯罪になる」という批判もありましたが、全く的外れな批判と言わざるをえません。
もう一度、整理しますと、テロ等準備罪とは、まず一つ目として凶悪な犯罪を目的とした「組織的犯罪集団」に属していることが条件であり、また二つ目に、犯罪行為を計画し、そしてさらに三つ目として、その計画に基づいて実際に「準備行為」を行って初めて捜査の対象となるのです。しかも裁判所の令状が必要となります。単に「なんかあの組織は疑わしい」というだけでは強制捜査などできないわけです。
以上のように、「テロ等準備罪」とは、かつて廃案になった「共謀罪」とは全く違うものであるということがお分かりいただけたと思います。
かつての共謀罪が、単なる犯罪の合意だけで処罰できたのに対し、テロ等準備罪では実際に「準備行為」に及ばなければ捜査の対象にならない、これだけ大きな違いがあるのです。
また一部野党からは、一億総監視社会になるとの批判があります。これも全く的外れな批判と言わざるをえません。そもそもテロ等準備罪が成立しようとも、これまで同様、犯罪の嫌疑(疑い)がなければ捜査対象にならないのは当然のことであります。いくら組織的犯罪集団といえども、実際に犯罪の計画を立て、その計画に基づいて準備行為が行われなければ、捜査は行われないのです。また、一億総監視社会と言いますが、一人の人間を24時間監視するのに、大体二十人ぐらいの人が必要と言われますが、1億人の人間を24時間監視するとなれば、一億かける20で、20億人の人間が必要となるわけであります。全く非現実的な批判と言わざるをえません。
ロンドンで、パリで、イランで、連日テロのニュースが絶えません。テロリストは国境を越えて活動します。このテロの脅威から日本を守るために、日本は一刻も早く国際組織犯罪防止条約、TOC条約に加盟する必要があります。3年後の2020年には東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。この国際大会を断じてテロの標的にさせてはなりません。このTOC条約は、すでに187カ国・地域が締結しています。国連加盟国でこの条約の締約国となっていないのはわずか11カ国のみです。しかもG7では日本だけです。
187カ国の国々がTOC条約を締結し、今、テロなどの組織的犯罪集団と戦っているのです。この187カ国のどの国も「テロ等準備罪」のような法律を持っていますが、それによって人権侵害国家などと非難されている国はありません。
民進党は、民主党時代、2009年の衆議院選挙の時に発表した政策で、共謀罪などの法律を作らなくともTOC条約に入いると「公約」をしていました。しかし、民主党政権の3年3ヶ月間の間には、条約に加盟できませんでした。あまりにも無責任と言わざるをえません。
「テロ等準備罪」に反対というのであれば、対案を出すべきです!
現実にテロから国民を守るにはどうするべきか、真剣に考えるべきです!
抽象論ではなく、現実に日本の国民をテロから守るには、TOC条約に加盟しなければなりません。そのために必要な「テロ等準備罪」法案であるということを訴えまして、委員長報告に対する反対討論といたします。
皆様のご賛同をよろしくお願い申し上げます。

昨日より二日間にわたり「日本自治創造学会」の研究大会に出席。
タイトルは「人口減・高齢化を乗り越える 〜前例から創造へ〜」。

 

未来の世代に思いを馳せながら、いかに持続可能な社会を築いていくか。
慶応大学教授の小林慶一郎氏が講演で触れた「仮想将来世代を政治の場に創設する」との視点は非常に感化された。
また、今回の研究大会で多くの参加者が注目していたのが、恐らく立正大学教授の吉川洋氏の講演ではなかったか。『人口と日本経済』(中公新書)で論じていたように、人口で経済成長が決まるのではないとの力強い主張に、多くの参加者が希望を感じたのではないだろうか。

 

また今回、私自身が最も感化されたのが、パネルディスカッションの中での宮台真司氏(首都大学東京教授)の言葉。
宮台氏の発言は、表向きはネガティブな印象を受けるが、しかし決して斜に構えた見方をしているわけではない。最後まで話を聞けば、氏の思想の核心がよく分かる。
「価値を保つことの重要性」(パーソンズ)、また「ピティエ(憐れみ)」(ルソー)といった、社会学的、哲学的タームがどんどん登場してくる。
そして「これまで政治哲学は、人々の感情の働きに注目してきた」と言及し、「他者はノイジーなもの」とする社会、「お互いを敵としか見ることができない」社会から脱皮するために、「感情の陶冶(とうや)を醸成する社会となれば」希望はあるという。
そして、「今後、確実に先進国も貧困化するが、そのような社会においては『価値観』を変えないと幸せになれない」とも。
政治や社会体制をいかに変えようが、「人間自身の心」「価値観」が変わらなければ人類の未来はないということか。

 

二日間にわたる長い講義だったが、非常に充実した内容だった。

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NHK「100分 de 名著」
今月の三木清『人生論ノート』も、第四回の最終回をもって終わった。

 

『人生論ノート』の書き出しは「死について」から始まる。

「過去は何よりもまず死せるものとして絶対的なものである。この絶対的なものは、ただ絶対的な死であるか、それとも絶対的な生命であるか。死せるものは今生きているもののように生長することもなければ老衰することもない。そこで死者の生命が信ぜられるならば、それは絶対的な生命でなければならぬ。この絶対的な生命は真理にほかならない」

三木清が「死」について、「生きる」ことについて思索し、出した結論は、「生命は永遠である」ということ。

 

この『人生論ノート』の原稿の元となった雑誌『文学界』への寄稿の最終章は「希望について」であった。

「希望というものは生命の形成力以外の何物であるか。我々は生きている限り希望を持っているというのは、生きることが形成することであるためである。希望は生命の形成力であり、我々の存在は希望によって完成に達する。生命の形成力が希望であるというのは、この形成が無からの形成という意味をもっていることに依るであろう。運命とはそのような無ではないのか。希望はそこから出てくるイデー的な力である。希望というものは人間の存在の形而上学的本質を顕すものである」

三木清の『人生論ノート』の元となった『文学界』への寄稿は、このように「死」の章で始まり「希望」の章で終わっている。

 

「死」と「希望」。

 

三木の「死生観」は、彼の「運命観」と直に繋がっている。
「死者の生命が信ぜられるならば、それは絶対的な生命でなければならぬ。この絶対的な生命は真理にほかならない」と考える三木にとって、「死」は一人の人間の終わりではない。「死」が人間の終わりであるならば、そこに何の「希望」が生まれようか。「よく生きよう」という動機がどうして生まれようか。

唯物論的な人間観からは決して「希望」は生まれない。
人間は「機械」などでは決してない。
「永遠性」からこそ「希望」も生まれるのだ。
そして「無としての運命」から、力強く「生命」を形成するものこそ「希望」である。

「希望というものは人間の存在の形而上学的本質を顕すものである」
ここに三木の人生哲学が凝縮している。
この「人生観」こそが、三木の「幸福観」に直に繋がっているのだ。

 

牢獄で息を引き取った三木清。
「死は人間の終わりではない」と考えた三木の生命観は、純粋なマルクスの唯物史観とは相容れないものだ。
そもそも、三木による「幸福」とは「階級のない社会」を条件としていないのだ!
さらに言うならば、「唯物論的幸福観」こそが「精神の渇き」を生み、それが「暴力的革命」の温床となるのだ!

外的な条件を必要とする「幸福」は、三木にとっては不完全なものであり、「どのような状況下にあろうと幸福な人間は幸福である」というのが三木の幸福観である。
まさに「幸福とは人格」である。

 

現代において、ますます輝きを放つ三木清の「希望の哲学」。
それは、病める現代社会の強力な処方箋となるであろう。

本日の午後、大町山岳博物館において、セブンサミッター山田淳氏による講演会がありました。タイトルは「登山界の革命児が語る山の魅力と山岳文化の未来」。

 

山田氏は、東京大学山岳部時代に、23歳9日で世界七大陸の最高峰に世界最年少で登頂。
世界中の山を経験した山田氏より、世界の山々について語っていただく中で、北アルプスの素晴らしさも語っていただきました。

 

「これだけの山が連なっている北アルプスは、世界でも珍しい」
「日本の山々は、その姿また登山のスタイルも、とにかくバラエティに富んでいる」

 

そして、登山人口増による山岳文化の継承、安全登山の推進を自らの使命とする山田氏は、最後に、日本の登山人口の推移と日本の登山の現状について語られながら、日本の教育現場においても、体育教育の一環というよりも、むしろ理科教育、社会科教育の一環として「山」をもっと利用してほしいと訴えられました。

 

山岳都市おおまちが、学び実践していくべき多くのことを今日は教えていただきました。

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NHK「100分 de 名著」
今月は三木清『人生論ノート』。
第一回の先週は「真の幸福とは何か」。

 

「幸福は人格である。ひとが外套(がいとう)を脱ぎ捨てるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが斃(たお)れてもなお幸福である」(三木清『人生論ノート』)

 

真の幸福者は「牢獄」にいてもなお幸福である。
心こそ幸福の根源。
幸福と決めた心は、何ものにも壊すことができない。
どんな策略や策謀をもってしても「幸福な人間」を不幸へと陥れることなどできない。

 

悪法、治安維持法により獄中生活を強いられた三木清。
そして獄中で死を迎えた彼がたどり着いた「幸福観」とは、まさに「幸福は人格である」だったのだ。

 

彼の人生こそ「幸福を武器として闘」った人生だった。

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今日は「国際子どもの本の日」。
アンデルセンの誕生日のこの日。
子どものために良い本を選んであげられるかどうか。それが子どもの一生を大きく左右するんですね。

 

先日、安曇野ちひろ美術館で、企画展『奈良美智がつくる 茂田井武展 夢の旅人』を鑑賞しました。
奈良美智さんは、今や世界的な現代アート作家。その奈良さんが大きな影響を受けた童画家、茂田井武。
自分一人の幸せを願うだけでなく、世界中の人たちの幸福を願う、そんな人間になりたい・・・それが茂田井武の願いでした。
そんな美しい心で描かれた絵本は、きっと世界中の子どもたちの心にも「平和の灯」を灯さずにはおかないでしょう。

 

子どもたちのために「良書」を選んであげることこそが「平和」の第一歩なんですね。

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3月29日、長野市内において「北アルプス国際芸術祭 企画発表会」が開催されました。
北川フラム総合ディレクターより、世界のパブリックアートの歴史、そしてこれまで北川氏が手掛けてこられた企画展、現代アートの芸術祭を振り返りながら、2ヶ月後に大町市で開催される「北アルプス国際芸術祭」の企画発表がありました。

 

アートとは、人間の手が加わった、文字通り「アーティフィシャル(人工的)」なもの。
すなわち、それは、人間と自然の関係をあらわす技術(アート)。
文化とは、まさに人間が生活の営みの中、自然との関係の中で生み出した「技術(アート)」なのである。

 

北川氏が、北アルプス国際芸術祭にかける熱い思いを、時に声を強めながら語るお姿に、会場全体がグングン引き込まれていきました。
会場の椅子は早くも埋まり、追加で椅子が並べられ、立ち見が出るほどの盛況ぶり。

 

次回は、4月12日(水) 18:30より、松本市美術館において企画発表が行われます。
ぜひ、多くの皆様のご参加を。

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もしも自分が認知症になったら・・・

 

本日、市内において「この地で心穏やかに過ごすために」と題して、認知症の講演会がありました。
講師は、中澤医院の中澤治彦先生。

 

認知症であることを宣告された時、人はどのようにその事実を受け止めるのか。
その時の心の変化に5段階あるといいます。

 

否認・困惑、他者への怒り、割り切り、抑うつ、受容。

 

人によってその段階を経るパターンは様々ですが、「受容」に至らないこともあるといいます。
この「受容」とは、「仕方ない」と思うことでもなく、「諦める」のでもない。
それは、「明らめる(あきらめる)」こと。
事実をありのままに受け入れること。

 

しかし、それは簡単なことではありません。
ではどうすれば「ありのまま」受け入れることができるのか。
それは、「感謝の心」。
今日のこの日まで、認知症になるまで生きてこられたことに対する感謝の心。
事故にも会わず、「脳の老化現象」が起こるまで長生きできたことに対する感謝。

 

認知症になっても、亡くなる最後の瞬間まで「ありがとう」と言いながら亡くなる方もいる・・・
そのように中澤先生が語られたとき、会場が神聖で温かな空気に包まれたのを感じました。

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本日、3月定例会が閉会となりました。
平成29年度予算も全て可決し、第5次総合計画前期計画も承認されました。私は平成29年度一般会計予算に対する賛成討論を行いました。新年度一般会計予算には「北アルプス国際芸術祭」の予算も盛り込まれております。大町市の地方創生の重要な鍵を握っているのが「北アルプス国際芸術祭」なのです。
以下、本日の私の討論を掲載いたします。

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議案第21号 平成29年度大町市一般会計予算について、委員長報告に賛成の立場から討論いたします。

 

まず、平成29年度大町市一般会計予算は、第5次総合計画を具体化するための重要な施策が盛り込まれた、大町市の未来を決する重要な予算であります。そのことをまず初めに訴えるものであります。

 

飛行機で言えば、一番エネルギーを使う離陸時に当たるこの一年。10年後の大町市のヴィジョンを定め、そのヴィジョンに向かって、ジェットエンジンの出力を上げ、飛行機が飛び立つために、全力で施策を断行していく一年となるのです。
その大事な一年間の出発にあたり、大事なことは、まずは皆で心を合わせていくことです。
特に、大町市の地方創生の起爆剤として、いよいよ開催を間近に控えた「北アルプス国際芸術祭」を断じて成功させること、ここに大町市の未来がかかっているのです。

 

36組のアーティストが決まり、そして作品の設置場所もほぼ決まりました。ここまで準備が整い、あと80日後に芸術祭の開催を控えた今、本当にこれを止めて良いものなのか、それが(止めることが)本当に市民のためになるのか。
今、ようやく大町市の市民の皆さんの国際芸術祭に対する理解がどんどん深まってきました。また、早速アーティストと共に作品の制作に取り掛かっている方々もおられます。参加されたみなさんは、大町市の活性化への希望の光を感じるからこそ、自ら当事者となり、この大事業に「参画」されているのです。
この、「アーティストと地元の人たちとのコミュニケーション」というものが、北アルプス国際芸術祭のような「地域の特性を生かした芸術祭」にとってどれほど重要であるか、このことは、今回、芸術祭にご参加いただく世界的なアーティスト、川俣正氏が、一貫して言い続けてこられたことでもあります。
地域の歴史や文化を生かした、その地域でしか生まれてこない、その地域ならではのアート作品。それは、地域の方との協働の作業の中からこそ生まれてくるものなのです。現代アートとは、とかく「奇抜で場違いなもの」とのイメージを持たれる方もいらっしゃることと思いますが、実はその逆であり、現代アートこそ「社会を意識」し、「社会との接点」を重要視するものなのです。その地域が抱える課題を、「アートの力」で、地域の方とともに解決していこうという意識が、現代アートにはあるのです。大町市の魅力に磨きをかけ、さらに新たな魅力を発見するための芸術祭であるということをぜひご理解いただきたいと思います。

 

また、文化芸術にお金をかけるということについて、疑問に思われる方もいらっしゃると思います。文化芸術などに使うお金があるのなら、福祉や教育にもっとお金をかけるべきであるとのご意見であります。至極、最もなご意見であります。その上で、大町市の福祉や教育を充実し、市民の皆さんが大町市に住んで良かったと思っていただけるために、一体何をするべきなのか。

 

お金は効果的に使わなければなりません。
今、日本中が地方創生のため、地域の活性化のために、しのぎを削る思いで過酷な競争をしております。
人口減少を食い止めるために、いかに多くの若者に自分の地域に来てもらうか。
未来は、若者で決まります。若者に対する教育の充実はもちろん、未来に対する投資はどうしても避けられないのです。ここを手を抜いた自治体には、もはや未来はありません。どんなに福祉や教育を充実させても、若者がいなければ未来はないのです。

 

ではどうすれば良いのでしょうか。
大町市が魅力あふれる町になることです。
大町市を支える産業とはなんでしょうか。たくさんありますが、やはり何と言っても大町市の最大の産業は観光です。大町市のすばらしい自然を生かした観光業の発展こそが、大町市のサービス業等、他の産業を支え、大町市の雇用を生み出します。雇用が増えれば、若者が増えます。そして今いる若者にも大町に残ってもらえます。
しかし、これほどに大町市を支えている観光業の発展のためには、何が必要なのでしょうか?
それこそが、大町市の魅力に他なりません。その魅力こそが、文化の力なのです。では、文化とはなんでしょうか。それは、人間が生活の営みの中、自然との関わりの中で生み出した知恵の結晶であります。大町市のすばらしい文化、これは決してどの自治体にも負けるものではありません。
しかし、この文化も心から愛し磨かなければ、錆びてしまうのです。
磨かなければいけないのです。
そのための起爆剤となるのが「北アルプス国際芸術祭」なのです。
それは、私たち大町市民が一体となって、愛する地元の文化を磨き、おもてなしの心で観光客をお迎えしようとの決意を促す「心の起爆剤」となるのです!
この芸術祭が起爆剤となり、大町市が誇る素晴らしい自然と文化が磨かれ、観光業が潤い、そしてサービス業や他の産業が潤い、雇用が生まれる!
そして若者が大町市に残り、他からも若者がやってくる!!

 

北アルプス国際芸術祭の大成功を心より祈りながら、委員長報告通り、議案第21号に賛成するものであります。
皆様のご賛同をよろしくお願い申し上げます。

東日本大震災・・・あの日からちょうど6年の今日。
この6年間、被災された皆さんはどんな思いで過ごされたことか。

 

復興はまだ半ば。
いまだ仮設住宅での生活を余儀なくされている方が、約3万4000人も。
災害は、体験したものでなければ分からない。
今も「風評・風化」という二つの風と戦う東北の皆さん。
これほどの辛い思いを経験しても、力強く立ち上がり、復興へ向けて日々前を向いて進む人たちもいる。
そんな東北の皆さんに私たちは何ができるか。
いや、私たちはむしろ東北の皆さんから、勇気をいただいているのではないか。
絶望の中から必死に「希望」を見出し「前進」する勇気を、私たちは教えていただいているのではないか。

 

今私たちができるのは、「風評・風化」と戦う東北の皆さん、そして2万人に及ぶ犠牲者・行方不明者の皆さんに思いを馳せ、あの日のことを決して「忘れないこと」。そして、私たち自身の大切な人たちのために、今何ができるか、災害に強いまちづくりにどう取り組むべきかを真剣に考えること。

 

そのために政治がするべきことは、あまりにも多い。

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大町市 太田昭司
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