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3月2日(日)、「ホテル大阪ベイタワー」にて、「戦艦大和の最後を語る」講演会(主催:ウェーブ産経)が開催され、参加さて頂きました。

太平洋戦争当時、世界最強といわれた「戦艦大和」が、東シナ海にて轟沈されて以来69年の節目を前に、元乗組員で三重県在住の北川茂さん(90)の貴重な体験談を、ウェーブ産経横山編集長との対談形式による講演でした。

1942年(昭和17年)18歳で旧日本海軍に志願兵として入隊後、側的術(方位と目標物までの距離を測る技術)を会得して、1945年(昭和20年)2月、大和の乗組員に配属、その後、日本の配色が濃厚となった、同年3月29日の午後、沖縄特攻出撃命令を受けた大和は呉港を出港、豊後水道を通り、大分県沖に差し掛かったところ、海岸沿いに咲いた桜の花がこれで見納めになると思うと泣けて仕方がなかったと述懐、翌月4月5日の夜、酒宴が開かれたが、ほどなく翌日の戦闘に備えて皆が眠りについた頃、なかなか寝付けずにいた北川さんは、真夜中に出たデッキでの目撃したできごと、それは、大和に寄り添い、燃料補給を受ける駆逐艦の姿でありました。

そこで初めて北川さんは、大和は片道燃料で、帰還なしの特別攻撃であることを知らされたのこと、その翌日4月7日、早めの昼食が出た直後、正午頃、遠くに米軍の戦闘機がゴマのように見えた、やがて約150機の艦載機による波状攻撃が開始されました。

東シナ海の海上で繰り広げられた戦闘状況が、北川さんの口から臨場感をもってお話があり、「沈まない」と信じられていた大和が、左側に十数発の魚雷を受けて、午後2時過ぎには傾きだし、遂に総員退去命令が出され、自分自身、次々に海に飛び込む同僚兵を観ながら、落ちるように海に飛び込んだとのこと、しかし、海中に引きづり込まれるように深く水に巻き込まれ、「ああ溺死とはこういうことか」とあきらめかけたとき、海中に沈む大和の2度の水中爆発の衝撃の勢いで、今度は海面に押し上げられました。

かろうじて助かった同僚兵とともに、浮き上がってきた丸太にしがみつき、やがて同航していた駆逐艦に救助されたとき、3432名の乗組員は生存者269名となっていました。

家族や国のためにと必死に戦い、散っていった戦友との絆や当時の心境を約1時間半にわたり、90歳になられても、確かな記憶と臨場感をもって語って下さり、大変感銘を受けるとともに、戦後69年を経て、平和を享受する国民の一人として、不戦の誓いを新たにした次第です。

3月5日

西 のりひと

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大阪府 西徳人