バックナンバー 2011年 3月
2010年の10月の議会では大阪マラソンに関する質問をしました。
屋台撤去(3月7日)麻薬追放(3月8日)で
西成の安心安全が大きく改善した事はすでに述べましたが
それと時を同じくして外国人旅行者、特にバックパッカーの数が
新今宮駅付近を中心に増加してまいりました。
2004年当時のべの泊数で約9000人だったものが
2006年には3万3000人、そして2010年には10万人となっています。
街の様子も大きく変わってきました。
私は大阪マラソンは西成にとっても大きなチャンスになると考えました。
それはホノルルマラソンでも日本から多くの方が参加されるように
ぜひともこの大阪マラソンに海外のランナーの方が参加されるならば
大阪や西成にプラスの経済効果と地域の情報発信が
世界に向けて出来ると考えました。
この10月議会でマラソン参加者3万人の1割に当たる3000人を
「外国人特別枠」として海外からのランナーをしっかり呼び込むとの答弁を頂きました。
西成の多くの方々の安心安全の取り組みや海外旅行者のくる町づくりに
努力された方々の成果だと思いますが
この大阪マラソンのコースに西成も入り、今喜びにわいています。
2010年4月 沖縄に視察にいきました。
普天間飛行場も雨の中、見てまいりました。
当時は民主党政権で沖縄の基地の県外移設が民主党の主張でした。
私は生まれが長崎市内で被爆地であり
沖縄同様平和への心は人一倍敏感であると思います。
すでに両親は他界しておりますが父は南方に出征に55名の隊員で
生きて帰ったのは父を入れてもたった4名で父の左脇の下には銃痕がありました。
母は従軍看護婦として当時の満州に行っており、ソ連の戦車に追われ
コーリャン畑の中を命からがら逃げ日本に帰ってきたと言っていました。
現場に行かない限りあの空気感を感じる事はできません。
沖縄の方々のお気持ちを考えるならば「県外移設」というこの4文字が
いかに重いかわかっていたのでしょうか
翌月5月に鳩山首相から菅首相に代わられましたが
民主党の掲げた4文字「政権交代」がいかに多くの人々に
失望を与えたのか今では明白になりました。
今、大阪では「大阪維新」や「大阪都構想」のフレーズがおどっていますが
しっかりと中身を吟味しなければなりません。
2010年3月に麻薬追放の質問をいたしました。
というのも2009年11月、12月に西成区内の今宮中学校の周りで
覚せい剤を使用したと思われる注射器が何度か見つかり
PTAや地元の関係の方々より、生徒の皆さんが安心して励める環境を
との要望をお聞きしました。
2007年2月17日 橋下知事を訪ね、お留守でしたが
職員の方に必ずお伝えくださいとお願いして帰りました。
知事職は多忙なため、そのうちご連絡等何かあると考えておりましたが
何の返事もありません。
「子どもが笑う大阪」を掲げ当選された知事ですので
私と同様、親の気持ちになれば「これはたいへん残念な事」
と思い行動を取られると思いましたが、結局何の返答もありませんので
3月18日直接、健康福祉常任委員会で橋下知事に提出したのと同じ資料を
委員会で配布させていただき答弁を求めました。
結果、取り組むとの御答弁をいただき、萩之茶屋地区で昨年7月と11月に
麻薬追放のパレードも実施され、この地域を中心に500名近くの麻薬逮捕者が出て
地域の安全安心は大きく改善することができました。
2009年12月にあいりん地区において
市道を30年来占拠していた屋台が撤去されました。
西成区萩之茶屋小学校の東側の市道で
幅8メートル長さ50メートルの路上を占拠していた屋台が撤去された事は
まさしく山が動いた快挙といえます。
2008年4月12日当選間もない平松邦夫大阪市長が
この西成区のあいりん地区を視察に訪れました。
この日は前衆議院議員の田端正広代議士と(当時現職)
私、大阪府議会議員の川岡栄一と大阪市議会議員の前田修身議員
地元選出の議員と地元関係者とで同行させていただきました。
この様子は私のHP(政務調査用)の川岡奮闘記にも載せましたし
4月13日の朝日新聞、読売新聞(朝刊)、公明新聞各紙に報道されました。
この視察をきっかけに屋台撤去が実現しましたが
平松市長が現場を見られ、そして住民のお声を直接聞かれた事を
私は高く評価しています。
公明党は現場第一主義ですが、これはすべての政治家や
経営者、そしてリーダーにとっても必要事項か必須事項であると考えています。
2009年の8月30日衆議院選挙で民主党が大勝し政権交代が実現しました。
学生時代から選挙を通じ多くの国政、地方選挙を見てきましたが
小泉政権の郵政民営化と
この年の政権交代をかかげた選挙の熱気は特別なものでした。
私どもが自公政権に参加してからということではありませんが
2005年の郵政民営化はまだ国の今後あるべき形なり思想があったと思います。
2006年に小沢一郎氏が民主党代表を務めるようになって以来
本来の民主党が掲げていた政策を中心に政権交代進めていくというスタイルから
まずは政策よりも政権交代自体が目的化していったように見えました。
当時民主党が主張していた子供手当てに対しても
財源を含めとても恒久的に実現できるとは思えませんでした。
今になれば多くの国民の皆様方もかなり
無理がある政策であった(マニフェスト)と思われているようです。
政治が本来国民の幸福を実現していくものであるのなら
やはり合理的にかなった制度設計を行い多くの方々の理解と
合意を得ていく労作業が必要であると私は考えます。
2009年の5月の議会では2度目の一般質問を行いました。
今回はBNCT(ホウ素中性子捕捉療法)という
世界最先端のガン治療について質問をしました。
2008年の8月にこのBNCTというガン治療を始めて知ったのですが
強い衝撃を受けました。
今までの自分の常識をはるかに超えた治療法であり
治療の効果にはまるで夢を見ているようなSFの世界に入ったような感覚でした。
このBNCTとはこれ以降ずっと関わるようになり
この2009年5月議会、2010年の10月議会で2度一般質問をいたしました。
また公明党大阪府議会にも専門の先生をお招きし勉強会を開き
2010年10月議会の公明党の代表質問にも入っており
2011年の2月の代表質問にも入っております。
治療法の具体的説明は素人の私からでは難しいですが
昨年9月、大阪府が国に対し地域活性化総合特区(中性子がん医療研究開発地区)
として新しい制度を提案しています。
大阪から世界に世界最先端のがん治療を発信し、実現することにより
国際都市大阪の名をはせるように私もさらに取り組んでまいります。
2009年3月と10月、議会では府庁のWTC移転が大きな話題となりました。
3月の議会では移転は否決され10月に府庁移転の条例案は否決されましたが
補正予算案が可決され実質的に府庁が一部移転する事となりました。
WTCへの移転には、私は賛成の立場で対応してきました。
なぜなら、本年3月に新大阪から鹿児島まで新幹線でつながり大阪と九州が
より一体感が強くなると思います。そして九州もすでに韓国や中国などアジアとの
経済的つながりが強くなっており、陸路でアジアが近くなると考えられます。
空路は関西空港があります。私は今後一番必要と考えているのは海路です。
戦前には大阪から上海まで航路があったわけですが
私はこの陸海空の3つの道がしっかりとアジアにつながっていくことが
今後、大阪の繁栄に重要な役割を果たすと考えています。
海から見れば大阪の海の玄関口として見えるのがWTCとなると考えられます。
海からアジアから海外が見えるWTCを輝かせることによって
大阪も輝くと私は考えています。
2008年9月のリーマンショックは自分の中でも
かなりの緊張感を持ってニュースを聞いていたのを覚えています。
大和証券時代に戦前の大恐慌や日本での「山一の日銀特融」を
歴史的事実として認識していましたので
1997年に山一證券の倒産には驚きましたが
このリーマンブラザーズの破綻は山一證券とは比較できない程の規模で
世界経済を巻き込んでいくと思ったときには、背筋が凍る思いでした。
ホームページに「定額減税・経済対策を早急実施せよ!!」との主張を述べました。
当時批判派多くありましたが、麻生総理大臣のスピーディーな経済対策には
私は高く評価しております。
一方大阪府においては、橋下知事は財政規律を等一とし
経済対策は国に頼ることを主としたように私の目に映りました。
やはり政治家の評価というものは
ある程度の年月や歴史を経ることが必要なのかと思うこのごろです。
昭和55年の3月2日、父が他界しました。
当時二十歳でしたので、月日のたつのが早いと痛感いたします。
父の他界により自分自身の人生観は大きく変わったと思います。
父は長崎の三菱造船所に勤めておりました。
私が大学を卒業し大和証券ににゅうしゃして数年経ったころ
日本経済はバブルの中に入っていました。
社会人として色々な疑問や矛盾を感じるようになり悩み苦しむことも多くありました。
ある日実家の書棚から父が使っていたノートがあり、めくってみました。
オイルショック後の経営指導に関するようなメモを見たとき
当時どのような中で仕事をしていたのか聞きたいと思いました。
父がよく二十歳を過ぎたら「酒を一緒に飲みたい」と言っていたのを覚えています。
男同士、大人同士の会話をしたいと思った父の気持ちが
少しわかる年になってきたようです。
今は確かに大事な時です。しかし次の世代や未来に何を残せるのか
今政治家というより一人の親としてしみじみと考えてしまう昨今です。
2008年の6月に西成警察署のまわりで暴動騒ぎが報道されています。
地元の議員として私もこの現場に立ち会っています。
6/16の18:00~20:00の2時間、西成所の前で様子を見ていました。
マスコミ等で報道される「労働者の街」ではなく
この「あいりん地区」は高齢化がかなり進み「高齢者の街」または
「福祉の街」と言われているのが現実です。
また労働者の方で「空き缶回収」で生計を立てている方は朝が早い為
このような夜の大騒ぎに大変迷惑されている方も多くおられました。
西成りに住んでいない若い人たちが夜な夜な集まり
投石を繰り返していたのが実態といえるのではないでしょうか。
4年前に「国際都市大阪」を目指して西成を変えていきますと
街頭で演説をしておりました。
2004年時点で外国人が新今宮を中心に観光の拠点として宿泊するようになり
バックパッカーの街としても西成は知られるようになってきています。
今、大阪の中でも西成は大きく変わりつつあります。