仙台市若林区消防団に活動支援金を届けました(その1)
6月19日(土) 向島消防団の有志の皆様から頂いた被災地・消防団への活動支援金をお届けに仙台市若林区まで行ってきました。
朝6:00集合、日帰り予定の強行軍でしたが、今回の支援金プロジェクトの責任者である第7分団坂井分団長を先頭に、本団・大平副団長、第5分団・桜庭分団長、第6分団・鈴木分団長、第8分団・務台分団長、第9分団・須藤分団長とご一緒し、仙台市若林区に行ってまいりました。
高速道路土日1000円の最後の週末であり、震災発生後、丁度100日目にあたることから被災地では100日法要などが行われるため、
高速道路の渋滞を想定していましたが、下りは多少混雑しましたが、上りはスムーズで助かりました。
往復運転をしてくださった須藤分団長には大変感謝しております。
東日本大震災では消防団員も岩手、宮城、福島の東北3県で249人の方がお亡くなりになりました。
水門を閉めに行って津波にさらわれた消防団員、住民の救助・避難誘導の際に津波にさらわれた消防団員等・・・
自ら家族を失ったり、家が全壊したりする中、住民救助のため、行方不明者捜索のために、昼夜分かたず献身的に出動してくださった消防団員の皆様。
皆様の生命を賭けての消防団活動に心から敬意を表するとともに、同じ消防団として誇りに思います。
若林区は仙台市東部道路以東に位置し、今回の地震で7地区約1900人が被災しました。
消防団は5戸分団。最も大きい分団では団員だけで140人くらいいるとのこと。
私の所属する7分団は団員数20人強であることから、その規模の大きさには驚きました。
マグニチュード9.0の地震ではありましたが、この地震の揺れによる被害は本当に少なかったそうですが、
津波の第1波が到達するまで約30分後あったため、避難所に非難された方が、一度自宅に帰宅してしまい、そこで津波が押し寄せ、
これほど大勢の犠牲者が出てしまったとのこと。
平野であったので海水が全く引かず、瓦礫の撤去も行方不明者捜索も大変苦労したと話されていました。
若林区消防団の佐藤守行消防団長は、自らも家が全壊。農業従事者ですが、津波の被害で農業が全くできない状態に。
発災当時は食べ物もろくにない状況の中、毎日消防署の対策本部で消防団の指揮にあたっていたとのこと。
3月11日~4月21日までの消防団員の活動の中で、浸水地域などからの救助者数453人、避難誘導2445人、165人の遺体を収容したそうです。
「仙台市は比較的がれきの撤去は進んでいる地域」と現地の消防署員からお聞きしましたが、若林区は6月10日まで自衛隊、警察、消防とともに遺体捜索にあたったとのこと。
最終的に若林地区からは380人のご遺体を収容、そのうち消防団が発見したのは200人とのこと。
団員は男女問わず、出動していたので、中にはご遺体が大変傷んでおり、心身ともに過酷な状況が続いていたとのことでした。
消防団の旗印である積載車も7台が使用不能になり、見るも無残な姿になっていました(本当に悲しかったです)。
明日もこの続きを報告します。