野々市市議会 だいとう和美

女性の目線で未来をつくる 

31日じょんからまつり もちつき大会午後2時30分から

未分類 / 2011年8月17日

暑い夏につきたてのお餅を、あんこと、黄粉にまぶして、無料配布。長い列が人気グルメ番組のぎょうれつのできる○○のように、長い列ができまし。皆が、暑いさなかでも、その行列に並んで我慢できるのは、なれない手つきで、頑張っている議員の普段見られない姿があるからかも知れません。中には議員ということもわかっていなくて並んでいる近隣市民も多いのかも知れませんが、お長いに顔がわからないほどの人たちが「じょんからまつり」にやってきてくれているということです。今年はあんこが足りなくなってしまいました。

来年こそはうまくやりたいものだと思う。しかし「、船頭多くして船動かず」のたとえのごとく、誰もが人の言うことを聞きそうにない、リーダーのいない、もちつきは、職員の成長を待つしかない?いえいえ、職員も移動があるので、なれたころには移動になってしまい、毎年ハラハラのもちつき大会です。ちなみに職員がほとんどお膳立てしてしてくれているので、私たちは、お手伝いなのですけれど。長い間、地域のかたが、手伝ってくれて、安心していたのです。長い間ありがとうございました。

31日、北陸新幹線 産業展示館AM11:00~

未分類 / 2011年8月17日

新幹線は、青森に着いたけど、金沢にはまだ着きません。新潟県知事、滋賀県知事は通るだけの新幹線の通行に、野々市町のように通過するだけでも、負担金がかかってしまうことに「物言い」をつける。

そこに、東日本大震災が起き、北陸新幹線は、またもやピンチ。財政難。30数年、このことで頑張ってきた人たちには、これからの関西方面に向けての道筋は30年。関西空港までつなげて空の便ともつなげたい。らしい。

どんな町にも、どんな時代にも、人にも、栄枯盛衰があるのだが、そう思うと、廃墟の町にならないためには、私たちはなにを一番大事にすべきなのだろうか?田舎者と、笑われたころ、この町を出たかった。新幹線はあっというまに、東京オリンピックから時代を通り過ぎ、今は、次なる乗り物へと移ろうとしているのに、まだ、私たち北陸は遠い。その昔、日本海側が栄えたのは、アジア、中国、ロシア、に向かって、船が航海していた時代だった。現代人の方が、開拓魂は、宇宙まで飛んでいくのに、生活はこの地で十分すぎるほど事足りる。物資の輸送は高速道路で結ばれている。排気ガス規制の問題がなければ、同じことが繰り返されただろう。

開発、便利さ、しかし、資源不足といわれる日本が生き延びる手立ては、安心な食糧の自給率を上げることはもう夢?

母の手作りの畑の野菜を、親戚の人が作ったおコメ。しかし、スーパーでは1円でも安いものに手が出る。トレイサビリティで流通経路、餌、地域、食品添加物、いろいろ診査して、あるはずの食の安全神話は、福島第1原子炉の事故後、ただの済んだ空気が命を脅かす。

新幹線、中国が特許申請をした。と聞いたすぐ後を追いかけるように脱線事故、隠蔽、どこの国も同じことが繰り返されることは同じ構図のようです。マスコミ、庶民が情報をコントロールし、今や隠し事は隠し事にあらずの時代。

そこでの一番の武器は、誠実。自分が自己満足で思っていることだけでは足りない。ひとの意見に、どれだけ耳を傾けることができるのかで、その人がどれだけの仕事ができる環境ができるのかも知れません。

新幹線も、県別にみるなら、県知事の意見は県民は称賛するだろう。しかし、より広い立場に立てば、と、小さな町の議員が議論すべきことではありませんでした。

ただ、子どもたちが、お母さんが視野が広がったことは、議員をしてよかったことだと言ってくれた。なぜなら、今でも、ときどき「こうあらねばならぬ」といった、家族でも譲れぬ行動をゆったりと眺め、その成長を待てる楽しみは、母という名の宇宙に住んでいるからだと思うことがある。新幹線、長崎県と、北海道、そして北陸、山陰。突破口になるのだろうか?するのだろうか?やる!のだろうか。新幹線はまだ来ていません。北陸の経済状況はそれまで。もつのだろうか?野々市町だけが栄える党言うことは絶対にあり得ない。まわりも反映していることが大事な要素。新幹線論者ではなかったはずだが、いつの間にか待ち望んでいる?都市部では北陸のことなんか気にもかけてはくれていない。東京は東北の人たちが支えて作ってきた町なのだと今回知りました。地道に焦らずじっくりとこさえてきた東京。

新幹線は青森まで行ってしまった。東北の方が先に栄える時代なのですね。北陸は関西よりでも関東よりでもない。やっぱり中途半端な位置が今回も露呈しているのだろう。栄える時代を作りたいと、日本海側の時代を作りたいと。その時には高速道路も、新幹線も韓国やロシア、中国とも、そしてヨーロッパ、イギリスまでもつながることが日本海側の顔の時代がやってくるのではないでしょうか?

30日、第30回野々市じょんからまつり 午後5時開会式

未分類 / 2011年8月17日

小学校のグランドと、フォルテの広場を会場に、11月11日の市制を祝う、1111個の風船が開会式の前に飛ばされたそうです。

議員はこの時は全員が浴衣で参加するようになりました。ステージの向きは毎年のように変わり、今年はグランドの屋台に向かう方向は東向き。

あいさつは町長が初めで、実行委員長(商工会会長)議長は国会議員(4人)、県議会議員(2人)の後に行われました。ちなみに、私の記憶が正しければ、これまでは国会議員の先に町議会を代表して、あいさつが行われてきていました。今回、金沢市長の山野市長、内灘町長が参加して、華を添えていただいたのに、ごあいさつの時間が取れなかったことは誠に残念でしたが、新たな交流が始まったわけですから、大切にしていきたいものです。内灘町ではすでに一問一答方式になって、一年以上がたち、議会も慣れてきたようです。ちなみに、内灘町のこれまでの議会は傍聴したわけではないのですが、時間制限がないため、3日間も続いていたそうです。関連質問もあり、最初に質問した人よりも、執行部側がどぎまぎするようなことが起きたり、本当に町長さんのご苦労がいかばかりだったかと、そこに座っている議場内のメンバー全員が大変だったようです。・・・私たちでいえば、委員会と、本会議が合わさったような形?だったのでしょうかね。それにしても、暑い夏の風物詩。じょんからまつりはいつになく皆が市制を喜んでいるような盛り上がりをかんじました。

若い企業人たちが参加し、今では手なれた手つきでじょんから節のおどりに加わって、保育園児の部、子どもたちの部、一般の部のコンクールなど、本当に町長は大忙しで、あちこちの人全員にあいさつをして回って、おどっていました。町長が喜んでいるのがわかり、それを見ている町民も市制になると何かいいことがありそうな気がしているのが、活気につながっていそうです。

日本中が悩みの深いこの時期に勢いがあるところが一つぐらいあってもいいのかな?と、思いながらも、現実をしっかり、見極めることが議会人の役割。夏こそ、研修の時期。次なる課題に向けて、準備をしよう!

30日、第59回石川県消防操法訓練大会AM8:30開会式

未分類 / 2011年8月17日

今年も、野々市町第2分団(富奥地区)が出場権を獲得し、10:30頃に出場。一緒に出場した、旧鶴来町の消防団が準優勝を獲得。

これまで、能登勢力が優勝争いをしてきた中で、白山・野々市が毎年のように勢いを増し、来年の60周年は新たな歴史がはじまるかも知れません。今から、とても楽しみです。

ちなみに、彼ら・彼女らは仕事を別にもちながら、ブランティアで活躍しているところがまたすごいのであります。家族の皆さんの理解がなければ、練習、訓練の時間もとれません。小さなお子さんずれの若者が活躍しています。

28日  午後 議員総会

未分類 / 2011年7月29日

地方自治法の一部を改正する法律に対しての対応について  など

★新市制記念・・・ナンバープレート(原付自転車など、二輪車)

28日  昼  葬儀

未分類 / 2011年7月29日

長い闘病の末の旅立ちでしたが、お孫さんのフルート演奏に送られて、娘さんたちの涙に家族の愛情を感じました。

27日夜 公明新聞交流啓蒙で、中能登町へ

未分類 / 2011年7月29日

★行きも帰りも集中豪雨にあいました。★昔野々市町に住んでいた人に会いました。金沢の知人が同じだったり、子どさんや、いとこさんが野々市に住んでいます。不思議な縁に感謝しながら、いい人に出会えたことに感謝。

ちょっとだけ、役に立てたような気になって嬉しくなって、たくさんの思いでを作ることができました。交流もいいものだと、終わってから感じています。

27日 朝のあいさつ運動

未分類 / 2011年7月29日

「おはようございます」 ここにきて、夏なのに、さわやかな日が続いています。

車の中から、手を振ってくれる地域の人ができました。首を前に倒してお辞儀をしてくれる人はいましたが、窓を開けて、手を振って仕事に向かう姿の中に、充実した日常を感じました。

ここに立っているだけで、見送る人の姿の中に、いろいろの思いが伝わってくるようです。

ここに立つことで、使命感が湧いてきます。

23日 しのき迎賓館へ「池田大作と中国展」

未分類 / 2011年7月29日

一階Aギャラリー、Bギャラリー、2階イベントホールで、7月22日から8月3日まで開催される。

中国には、4回も行ったことのある友人と、まわった。新しい発見がいっぱいだったようです。

はじめて、迎賓館でランチをした後、なつかしい、金沢の漆芸店を探し、今も残っていたことに感激されていました。

青春時代は、兼六園の近くのこの界隈を散策したそうです。友達を誘って、懐かしい味にも触れたいと、久しぶりの御出掛にはしゃぐ子供のころに還ったようでした。迎賓館の入口にレンタル自転車がありました。無料で貸し出しと書いてありました。普段乗れない、素敵な自転車ばかりです。なんだか誰かに教えたくなりますよね。自分が使う機会がないのが残念な気がします。

21日~22日長野県諏訪中央病院 行政視察

未分類 / 2011年7月28日

白「山石川医療企業団議会として、議員、病院関係者総勢20名にて。「あたたかな急性期病院」から地域包括ケア取り組みを拡大する運営状況等、現状のリハビリテーション。介護と医療。予防からリハビリまで。研修医と、看護学校から看護師の養成も行う病院経営。これまでも、松任中央病院のさきがけとして取り組みに注目してきたこともあり、大いに参考にしたいと病院関係者は語る。日本で一番小さな緩和ケアの病棟は増床し、中庭の手入れは地域の皆さんがボランティアで見事な草木の散歩コースができていました。ハワイアンフラダンスのパーティをしたり、地域の皆さんと積極的にかかわりが深く、日本の介護制度のさきがけとなった、在宅ケアを行ってきたのもこの病院だと伺っています。名誉院長のがん治療も有名になって、地域がら、別荘地帯を抱えて、都市部からの患者が多いのも特徴かも知れません。ほかにもいろいろお聞きしたり見たりして、建物のナースセンターがオープン形式になったのも、諏訪病院から松任中央病院は学んだことのようです。6年ほど前に伺ったこともあり、その後の病院経営に参考にしたいことが多くありました。