ヒストリー
此花生まれ、此花育ちの48歳!
今田のぶゆきは1974年、此花区高見で生まれました。両親と姉2人、妹1人。
6人家族での暮らしは決して裕福ではありませんでしたが、笑顔が絶えない温かい家庭で育ちました。
近所の人たちも“父母”のように今田少年をかわいがってくれました。
今では健康そのものですが、1歳半の時に高熱や発疹などの症状があらわれる川崎病に。
心臓に後遺症が残る可能性もあり中学卒業までは毎年、検査に通いました。
それでも今田少年は家族の力になりたいと、中学時代に朝刊配達のアルバイトをやり抜きました。
人情味あふれる此花で育ったことと若き日の苦労が、 “困っている人の力になりたい”との今田の信念になっています。
国会議員秘書を経て、市会議員に
泉尾工業高校卒業後は、ものづくりの現場で20年間働きました。
保育士として働く妻とともに娘を育ててきました。
どんな人にも親身になって寄り添う今田青年のもとには、
多くの人から経済苦や家族の悩みなどの相談が寄せられました。
一緒になって悩み、時には共に公明党議員の市民相談へ行ったこともありました。
そうする中で、“生まれ育った此花のため、困っている人に何かできないか”との思いが強くなり、新聞販売店の店主を経て衆議院議員の秘書に。
そして2019年4月、多くの方の支援をいただき市会議員選挙に初当選したのです。
市民相談2500件! 此花の未来に責任を
市会議員となって4年間。これまで受けた市民相談は2500件を超えます。
元国会議員秘書として、地方と国の公明党議員のネットワーク力を最大限に発揮し、
此花の課題の解決にも取り組んできました。
その一つが避難場所の確保です。
海抜0メートル地帯が多く、避難できる高い建物が少ないことが此花の課題でした。
そうした声を何度も聴いた今田は、国会議員を通して国交省とも粘り強く協議を重ねました。
その結果、大阪で初となる国道・市道に津波避難場所を設置が実現。
此花区で約1800人の避難場所を確保することができたのです。
この取り組みが広がり、現在、全国約800ヶ所の国道・市道に避難場所が設置されました。
此花で生まれ育ったから今田だからこそ、此花の魅力、此花の課題を知り尽くしています。
誰よりも強い此花への思いと、未来を拓くための明確なビジョンがあります。
今田は、此花の未来に責任を持ち、全力で走り抜いていきます!