ただただ政権交代を成し遂げたかったが為のマニフェスト。
今なお、このマニフェストに固執する人々がいることに、怒りがおさまらない。
何度も指摘してきたバラマキ4K。
財源も見つからず、公約総崩れとなった現実を、なぜ、受け止めることができないのか?
かつて、明治の元勲と言われた政治家たちがいた。
この新政権の首脳たちは、自分たちの政権に正当性があるかどうか大いに悩んだそうだ。
なぜならば、彼らは、徳川幕府を追い込むために、諸外国への対応が弱腰だと責めつけた。
いわゆる『攘夷』を口実に、討幕をしておきながら、政権奪取後は、『富国強兵』を旗印に、積極的に諸外国と交流したからだ。
今も昔も、政権交代の原理は変わらない。
しかし、明治のリーダーたちは、自分たちが主導した『攘夷』の過ちを認め、世界の中の日本の存在というものを、国民に丁寧に説明していったという。
彼らには、現実を直視する誠実さ、国民に向き合う真剣さがあった。
そして何よりも、国家の発展を願う無私の生き様に悩み抜いたといえよう。
悔しいことに、今のリーダーたちにはその欠片すらない。
マニフェストの破たんを認めるどころか、今、絶対にやってはならない消費増税一辺倒となった。
そして、また、過去の政権与党は、『政府・与党』と呼ばれて、たとえ個人的には賛同できないことがあったとしても、いざというときは、一枚岩となっていた。
ところが、今の民主党は、もはやそのようにも呼べない。
政府の方針に、公然と党が逆らう。
また、そこまではしなくとも、面従腹背の態度に出る。
ますます、国民の不信感は高まるばかりである。
政治家は、歴史を学び、自らを律する努力を決して怠ってはならない。
私にとっての4・24。
今まで、それは、自身の生涯でもって、正義と真実を証明すべき決意の日でした。
昨年のこの日、そこに新たな出来事が加わりました。
多くの皆様の支えをいただき、私を議場へと送っていただいた日。
この日には、皆様に、生涯をかけて、恩返しをする意味が加わりました。
あれから、1年が経ちました。
応援をいただいております皆様、改めて、心より感謝を申し上げます。
多くの方に、声をかけていただけるようになりました。
最新のSNS(ツィッター、フェースブックなど)、一切使っていない私ですが、つたないこのブログにも、約200名の方が訪れてくださるようになりました。
本当にありがとうございます。
日々いただきます声を、真剣に受け止め、2年目へのスタートの決意とさせていただきます。
“民を視ること痛むが如し”-孟子-
「我が身をつねって人の痛さを知れ」
最近の卒業の定番ソングって、これだったんですね。
全然、知りませんでした。
昨日、市内中学校の卒業式が、開催され、私も出席させていただきました。
大変に厳粛な、素晴らしい式典でありました。
ただ、あいにくの大雨になったのは、本当に残念でした。
でも、彼らにとっては、そんなことは、どうでもいいことかもしれません。
今日の出来事の一つ、一つが、最高の思い出になっていくことでしょう。
そして、私たち大人にとっては、子どもたちが元気であることだけで嬉しいものなのです。
ちなみに、我が家にも二人の卒業生がいます。
しかしながら、只今は、議会開会中のため、どちらも卒業式に行ってあげることができません。
可哀想ではあるけれども、きっと世間には、そんな親御さんはたくさんおられることでしょう。
ましてや、私どもは、公僕の身。
当然のことです。
旅立ちの日を迎えた彼らが、これからの人生において、地域の柱となり、太陽となって輝くことを心より念じます。
最後に、インドネシアのある哲人大統領の言葉を、贈り物としてご紹介したいと思います。
“私が尊敬するのは、どんな困難があっても、決して退かない精神がある人です。
たとえ、逃げ出したくなるような状況にあっても、自らを鼓舞するだけでなく、
多くの人にも同じ実践ができるようにする存在であります。”
文章と映像。
情報伝達において、よく対比される手法だ。
その代表格は、やはり新聞とテレビと言えようか。
専門的にマスコミ論やメディア論を学んだわけではないので、独断も入っているが、自分なりに比較してみると。
今の時代、テレビ映像は、突然に、無差別に、多数の人に、どこででも、視覚的に訴えることができる。
しかし、新聞は、読者が、自身の意思で手に取らなければ、情報は伝わらない。
また、テレビは、同じネタであっても、放送時間さえ変えれば、何度でも使える。
このことは、ある切り取った断片的な映像であっても、繰り返し放映することによって、視聴者に、一つの印象を持たせることも可能であろう。
しかし、新聞は、1度書いた記事は、2度と使えない。
ましてや、伝えたいところだけの断片的な記事など、本来、あり得ない。
だからこそ、1回1回が、常に真剣勝負だ。
一つの言葉に神経をすり減らすこともある。
それは、事実だけでなく、その真実までも明らかにするために。
本年、わが公明新聞は、創刊50周年の佳節を迎えた。
政党において、日刊の機関紙を持っているというのは、画期的なことだ。
(確か、あと一つあったと思うが、よく思い出せない。)
声なき声を取り上げ、具体的に政治を動かしてきた50年であった。
普通、新聞は、課題や問題を論じ、その主張を訴えたとしても、そのあとは、社会の変化を待つしかない。
しかし、公明新聞は、問題提起をするだけでなく、その実現に向けて奮闘する全国の議員の戦いとセットになっている。
まさに、実現力のある新聞と言ってよい。
かつて、我が党がマスコミに好意的に取り上げられることなど、皆無と言ってよかった。
だからこそ、この正義の新聞、真実の新聞を拡大していかねばならない。
ここから、すべての戦いが始まる。
“公明新聞は、党勢拡大のエンジン”である。
先日、西宮市大学交流センター開設10周年記念のシンポジウムにお招きをいただき、喜んで参加させていただいた。
テーマは、“10→∞”「大学を核としたまちづくり・人づくり」
本当に、いいテーマですね。何か見ているだけで、夢と希望がわきます。
(ただ、申し訳ないことに、ジャニーズオタクの我が家では、『∞』の文字が、あるグループを連想して、不謹慎にも盛り上がってしまっておりましたが。)
若き日、心に刻んだ教えが蘇る。
「学問は特権階級の独占物ではない。
大学は、大学に行けなかった人のためにある。」
大学は、大学に行けなかった人に尽くす指導者を育てるためにある。
そして、大学に行った人は、また、大学で得た知識は、大学に行けなかった人に尽くす指導者に育ち、還元する使命がある。
そう決めて、今まで生きてきた。
“カレッジタウン西宮”
西宮にある10の大学が、そのように、庶民に尽くす指導者を育ててほしい。
そして、33,000人の学生たちが、そういう指導者になってほしいと心より願う。
これからも、若者支援に全力で取り組もうと決意して、次の現場に向かった。
余談ではあるが、当日の感想など。
基調講演として、講師が若者向けに、ご自身の人生を振り返りながら語っておられたが、
聴衆の多くが年配の方々であったことは、残念であった。
学生自身が、活動事例発表をしてくれたが、若者の声を、もっと聞きたかった。
持ち時間をもっとあげてほしかったなと。
改めて、お招きをいただき、ありがとうございました。
昨日23日、報道でもあった通り、公明党常任顧問であった故冬柴鐵三氏のお別れの会が尼崎市内で、開かれた。
私は、お世話になった一人として整理役員につかせていただいた。
平日にもかかわらず、各界の参列者が一部の式典で2,000名、その後の自由献花に移っても、参列者が引きも切らず、最終は、4,000名を突破したようである。
まさに、庶民の政治家たる冬柴さんの面目躍如。
その人柄を皆が慕っていた証拠でしょう。
私個人も、まさか自分が議員になるなどとは思ってもいなかった青年時代、ある会合で食事を共にしながら、懇談会をしていただいた。
その時の、無名の青年たちに、誠実に、情熱をもって語られるお姿。
会合終了後、握手をして、記念撮影をしていただいたあのお姿が昨日のように思い出される。
冬柴さんは、ご家族に遺言を残されていたようです。
その一節に、“吾道一以貫之”(吾が道は一を以て之を貫く)とあったとのこと。
「一」 とは「初志」のこと。
冬柴さんの初志とは、“父母への感謝、師弟の道、親族一人一人への愛、同志への感謝と報恩、大衆の幸せに奉仕する政治の実現”を生涯貫くという決意であったと言います。
(ご家族が公開されているものを引用。)
本当に、「大衆とともに」の立党精神を体現された偉大な政治家であられた。
心より、ご冥福をお祈りいたします。
本日、いよいよ、これからの日本という国の勝負を決する第180通常国会が、召集された。
大衆とともに生きた冬柴さんの精神は、全国の議員により、これからも引き継がれていくに違いない。
そして、当然、私自身にも。
2012年度成人式にお招きをいただき、初めて出席させていただいた。
少し、考えさせられることがあったので、この場を借りてお伝えをしておきたいと思う。
きっかけは、ある来賓の一言。
“祝辞の最中に無駄口をたたくな”という内容でした。
このご発言の是非については、論ずる立場にはありません。
ただ、その時に式典全体を通じて感じていた違和感、「成人式って誰のもの?」と強く思ってしまいました。
主役は誰?主催者は、新成人?西宮市当局のどちら?という素朴な疑問。
確かに参加者のマナーは、決して褒められたものではありませんでした。
電源を切れと注意事項にあったにもかかわらず、最前列で、携帯でしゃべっている女性。
定刻を過ぎても延々と遅れて入ってくる参加者。
隣同士の無駄口は、会場全体と言ってもいいかもしれません。
私は、新成人に媚びたり、おもねるつもりは、もちろんありません。
ただ、自身の体験から言わせてもらえば、大事な話は、しゃべっていても、しっかり聞いているものです。
久しぶりの友人との再会、ふだん着ないような装いでの昂揚感、黙っている方が、ある意味、不思議です。
かえって、オペラの劇場のように、しわぶきひとつ聞こえないというほうが怖いです。
大部分の人がまだ社会生活を知らないにもかかわらず、それが成人の自覚だ!と、決めつけてしまうのは、いかがでしょう?
内容を見直してあげる時期に来ているのではないでしょうか。
今は、成人式の運営にあたっては、新成人の実行委員会を作ることが当然と言われています。
配布されたパンフレットにも、10数名の実行委員会のお名前がありました。
彼らの意見はどこまで反映されたのでしょう?
式典開始前に、かわいい子供たちの和太鼓演奏が、20分にわたり行われました。
とても素晴らしかったのですが、ただ、西宮市のホームページを見ると、昨年も和太鼓演奏が行われているのですね。
式典は、こういうものですよと大人の目線で、リードしてしまっているとしたら、参加者の無駄口は無くならないという気がします。
要は、青年を信頼すること!
自由な発想で運営されることによって、より充実したものになると思います。
大阪では、あの方が、“新成人が選挙に行くということになれば、あなたたちの存在が無視されることはない。”と、いつものように名言を吐いておられました。
一面では、確かに、その通りではあると思います。
約5,000名もの新成人の皆さん、早く自立してください。
全力で応援します。
6日から始まった新年の諸行事の前半戦が、本日で終了した。
消防出初式や成人式の公式行事。
名刺交換会や、自治会主催の新年会等の地域行事。
多くの会合にお伺いをさせていただいた。
こういった会合に、もったいなくも来賓として呼んでいただき、いつも心苦しく思っていることがある。
それは、最後までいない!ということ。
一般参加者の皆様にとって、途中でそそくさと帰る議員が、これほど傲慢に見える姿はないということは、今まで、自身がそう思っていたから、十分承知している。
本当に申し訳ないことです。
ただ、行かねばならない次の会場が待っているのです。
私のような地方議員でも、数会場、国会クラスとなると期間中に200会場ぐらい回る人もいるとのこと。
こんなことを言うと、「それは、お前の勝手だろう」とお叱りを受けるのですが、全くその通りです。
自己都合の何物でもないですが、また、公平に動かねばならないことも事実なのです。
そんなこんなで、失礼を重ねますが、決して当たり前とは思っておりませんので、少しでもご理解いただければ幸いです。
言い訳だらけの見苦しいブログにおつきあいくださいまして、ありがとうございました。
新年、明けましておめでとうございます。
昨年は、本当にお世話になりました。
どうぞ、本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、私のスタートダッシュにあたっては。
1日、2日と諸会合に伺い、2000名を超えるであろう皆様に、ご挨拶をしました。
昨日は、先輩議員と、そして、本日は、竹尾ともえ議員とともに市内7ヶ所にて、街頭演説を行わせていただきました。
車の中からや、自転車に乗りながらのご声援をくださった皆様。
元気が出ました!
また、ある地域では、「昨年までは、民主党を支援していたけど、失望しました。これからは、応援しますよ。寒い中、本当にごくろうさま。」と、お声をかけてくださったご婦人さま。
本当にありがとうございました!
良き、スタートを切ることが出来ました。
本年2012年、公明党は、「大衆とともに!」の立党精神の宣言より50年の佳節を迎えます。
新たな決意で、断固、すべてに勝利の息吹で、走り抜いてまいります。
本年もまた、ご指導、宜しくお願いいたします。
