世論調査の結果が、政治を大きく左右することになって久しい。
確かに、このたびの一体改革法案成立までの中でも、ずいぶんと“世論に背くつもりなのか”と、
辛いご指摘をいただいた。
何かの政策課題において、人々の意見の傾向性を知るうえで、「世論調査」が有効な手法であることは、間違いない。
実際に、マスコミは、社論を報道する際には、まず世論調査を行い、その結果に沿った主張が展開される。
そして、その一定の方向性を持った報道が繰り返されることにより、次第に確定された世論として
形成されていく。
その結果、時の政治が、この世論というものに縛られていく。
しかし、そこには、いろいろな課題も存在している。
例えば、よく言われることだが、調査対象者となった人々は、多くの場合が突然であり、テーマに対する知識や関心を持ち合わせていない場合がある。
これでは、その時の雰囲気でしか回答できない。
また、今も主流となっているであろう電話調査は、コンピューターで無作為に抽出された下4桁の
電話番号が使用される。
上4桁の市外局番の選択によって、全国分布においての不公平さはないだろうが、世代間における公平さが保たれているかは疑問が残る。
というのも、多くの若者は、固定電話を使用しなくなっているからだ。
更に、日本の場合は、実施するマスコミによってその手法、質問項目はバラバラである。
対象者は、その機関に好意があれば回答し、そうでない場合は、回答しないケースもある。
すなわち、そのマスコミが持っている本来の方向性に沿った結果しか出ないことも考えられる。
その意味で、このたびの社会保障の改革に、どれほど正確な意見が反映されたのだろうか。
理由も説明されず、“負担増に賛成しますか?”と問われ、イエスと答える人などいるわけがない。
要するに、世論調査は一つの参考とはなっても、その数字を不動の庶民の声として用いることは、本当は危ういという判断が必要なのだ。
以前にも触れたが、世論をも変えようとするぐらいの政治家の気概が必要な時もある。
そして何より、常に直接、庶民の声に向き合い、政策提言を行う大衆政党の存在が、どうしても
必要だと思う。
今月上旬に、エネルギー政策を決めるため、政府は「討論型世論調査」を行ったという。
現場の声を聞こう、そしてそれも、ただ一方的に聞くだけの調査にはしないようにしようという姿勢は、評価できるのかもしれない。
しかし、民主党は、かつて世論の風だけでもって、政権についた。
そうでもしなければ、閣僚や党内をまとめきれない、政策決定能力が欠如している実態をさらしているというのは、考えすぎであろうか。
