Archive for 2021年 8月
本日8月15日、76回目となる終戦記念日ですが、新潟市のコロナ禍による特別警報発出を受け、 本日8月15日、76回目となる終戦記念日ですが、新潟市のコロナ禍による特別警報発出を受け、毎年行なってきた街頭演説は中止致しました。とは言え、平和への原点は忘れてはならないと思い、投稿させていただきました。
戦後76年の歳月が過ぎ、先の対戦や原子爆弾の脅威について残された戦後生まれの私たちが、その悲惨さを語り継いでいかなければなりません。
1945年8月10日は、新潟市で最も戦果が激しかった日です。この日、アメリカ軍の艦載機16機が新潟に飛来、市内各所で銃爆撃を行いました。この日の死者は、判明しているだけで47人にのぼります。写真は、この際の戦禍や第2次世界大戦で亡くなられた方々に深く哀悼の意を表すために建立された「平和記念碑」です。
また、原子爆弾の投下予定地であった新潟は、当時の畠山県知事による疎開の訴えにより、多くの市民が新潟市外で戦後を迎えました。
この新潟の戦時下に於ける歴史は、これからも後世に語っていきたいと思います。毎年行なってきた街頭演説は中止致しました。とは言え、平和への原点は忘れてはならないと思い、投稿させていただきました。
戦後76年の歳月が過ぎ、先の対戦や原子爆弾の脅威について残された戦後生まれの私たちが、その悲惨さを語り継いでいかなければなりません。
1945年8月10日は、新潟市で最も戦果が激しかった日です。この日、アメリカ軍の艦載機16機が新潟に飛来、市内各所で銃爆撃を行いました。この日の死者は、判明しているだけで47人にのぼります。写真は、この際の戦禍や第2次世界大戦で亡くなられた方々に深く哀悼の意を表すために建立された「平和記念碑」です。
また、原子爆弾の投下予定地であった新潟は、当時の畠山県知事による疎開の訴えにより、多くの市民が新潟市外で戦後を迎えました。
この新潟の戦時下に於ける歴史は、これからも後世に語っていきたいと思います。

本日8月15日、76回目となる終戦記念日ですが、新潟市のコロナ禍による特別警報発出を受け、 本日8月15日、76回目となる終戦記念日ですが、新潟市のコロナ禍による特別警報発出を受け、毎年行なってきた街頭演説は中止致しました。とは言え、平和への原点は忘れてはならないと思い、投稿させていただきました。
戦後76年の歳月が過ぎ、先の対戦や原子爆弾の脅威について残された戦後生まれの私たちが、その悲惨さを語り継いでいかなければなりません。
1945年8月10日は、新潟市で最も戦果が激しかった日です。この日、アメリカ軍の艦載機16機が新潟に飛来、市内各所で銃爆撃を行いました。この日の死者は、判明しているだけで47人にのぼります。写真は、この際の戦禍や第2次世界大戦で亡くなられた方々に深く哀悼の意を表すために建立された「平和記念碑」です。
また、原子爆弾の投下予定地であった新潟は、当時の畠山県知事による疎開の訴えにより、多くの市民が新潟市外で戦後を迎えました。
この新潟の戦時下に於ける歴史は、これからも後世に語っていきたいと思います。毎年行なってきた街頭演説は中止致しました。とは言え、平和への原点は忘れてはならないと思い、投稿させていただきました。
戦後76年の歳月が過ぎ、先の対戦や原子爆弾の脅威について残された戦後生まれの私たちが、その悲惨さを語り継いでいかなければなりません。
1945年8月10日は、新潟市で最も戦果が激しかった日です。この日、アメリカ軍の艦載機16機が新潟に飛来、市内各所で銃爆撃を行いました。この日の死者は、判明しているだけで47人にのぼります。写真は、この際の戦禍や第2次世界大戦で亡くなられた方々に深く哀悼の意を表すために建立された「平和記念碑」です。
また、原子爆弾の投下予定地であった新潟は、当時の畠山県知事による疎開の訴えにより、多くの市民が新潟市外で戦後を迎えました。
この新潟の戦時下に於ける歴史は、これからも後世に語っていきたいと思います。


