小川こうじ物語
①私、小川こうじは創価大学出身の51歳。
名前の覚え方は簡単!「あいうえおがわ、かきくけこうじ」
ここでは、私のプロフィールを紹介します。
それでは、「小川こうじ物語」の始まり、始まり~。
②私は、昭和44年2月、練馬区のお隣・杉並区で生まれました。
3歳の時に、家族で上石神井の都営住宅に転居。
以来、上石神井小学校、上石神井中学校、石神井高校に通い、
練馬っ子として青春時代を過ごしました。
3人きょうだいの長男で、妹、弟とは、どんな悩みも相談し合うほどの仲良しです。
愛情あふれる家庭の中で育ちました。
③私の父が脳こうそくになった時のこと。周りの皆さんから頂いた、「全力で応援するから、絶対大丈夫よ」との励まし。今でも忘れることができません。
このとき、「自分も将来、人に尽くせる人生を歩もう」と決意しました。
高校時代は、文化祭でクラスの仲間と共に、2年連続で演劇を披露。一つのことをつくりあげる団結の力と友情の大切さを胸に刻みました。
座右の銘は、「友情は人生の宝」。年賀状と暑中見舞いは、社会人になっても毎年200通以上送り続け、「一度結んだ縁」をいつまでも大事にしています。
④創価大学時代は、練馬から電車を乗り継いだ後、拝島駅から大学まで自転車を40分こいで通学!この時に培った体力と根性は、誰にも負けません。
創立者が出席する行事の運営や、大学祭の実行委員などでは裏方を経験し、「誰が見ていなくても、率先して人のために尽くそう」と、頑張り通しました。
卒業式で創立者が言われた「最後の勝利でわが人生を飾れ」との言葉は、人生の原点となっています。
卒業後は、大手デパートに勤務し、婦人雑貨を担当。
買い物には、人々の生活実態が現れます。バブル崩壊の影響で経済状況が大変な時でしたが、売り場でそのことを実感しました。そして、同期入社では最初に係長に抜擢されました。
⑤しかし平成13年、私は9年間務めたデパートを退社しました。事実上の倒産が決まったからです。
転職先が見つからず、7カ月間は無職。
「自分は社会から必要とされていないのか」とさえ思いました。
32歳でのこの経験は、本当につらく、苦しいものでした。
その後、電話応対業務の外部委託企業に勤務し、オペレーターなどを経験。
そして2度目の転職で建設会社に就職し、2014年9月まで
安心・安全の街づくりに貢献してきました。
それぞれの職場での経験が全て、かけがえのない財産になっています。
そして、転職で苦労したことが、のちに「若者が働きやすい環境を作ることも、政治の役割ではないか」と痛感するきっかけになりました。
⑥忘れられない出来事は、阪神・淡路大震災と東日本大震災です。
平成7年の阪神・淡路大震災当時、デパート社員だった私は、震災の一週間後に神戸へ行き、系列デパート従業員への物資補給など、救援活動を経験しました。
平成23年の東日本大震災では、建設会社に勤務していたことから、震災一週間後に仕事で福島県内へ。
今まで見たこともない、信じられない光景を目の当たりにし、
「被災者が一日も早く、元気に暮らせる街を作ろう!」と決意。
その後、2014年9月まで宮城県で復興事業に携わってきました。
これらの経験を通し、
「被災者の思いに寄り添う政治家が必要」
「安心・安全の街づくりこそ政治の使命」
との思いを強くしました。
⑦私は今、決意しています。
「政治は遠いところにあるものではない。生活の中にこそあるんだ」
そして、「これまでの経験を活かし、練馬区民のために働こう!」と。
政務調査費の不正利用など、いまだに政治家の不祥事が相次いでいます。「政治」を変えるといっても、根本は「政治家」が変わるしかありません。
また、私の創価大学同期生には、遠山清彦衆院議員、竹谷とし子参院議員、小林健二都議など、素晴らしい公明党の政治家がいます。都政、国政との若きネットワークはできあがっています。
信頼できる、庶民のための政治の実現へ、全力で頑張ってまいります!