旧東勝寺跡を伺いました
新たに移動された旧東勝寺跡を伺いました。旧公津小学校跡地に古くから安置されてきた三基(二基は台座のみ)の仏石は、敷地内より道路脇に移動され拝観が自由にできるようになりました。この三基の仏石は、東勝寺が下方に移った後に、その跡地に村民講が建立した供養塔です。
設置した石柱に、以下の由来文が刻章されています。
「通称大日山の塔の下と呼ばれる当地は、宗吾霊堂の名称で名高い「鳴鐘山東勝寺」創建の地です。同寺縁起には、桓武天皇の時代、初代征夷大将軍坂上田村麻呂が戦没者供養のため堂宇を建立したとあります。大正6年、同寺は本尊大日如来と義民宗吾霊を併せ祀るため、現在地に移転し鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂と称しました。現在残る仏石は、信仰篤い地元民により当東勝寺跡地に建立されたものです。修復された供養塔には、「寛政十牛十一月吉日」「講中五十五人」「公津郷台方村」などの文字が読み取れます。なお、かつては、向かって右側の台座には、菩薩が陽刻された供養塔、中央には、十一面観世音菩薩と思われる仏像があったといわれていますが、現在そのお姿を見ることができません。」
このように移動されたのは、小泉市長はじめ関係者のご尽力の賜物であり、感謝申し上げます。今後、文化財の1基として多くの市民の方々に知っていただくことが望まれます。
