公明党中野区議会議員 木村広一(きむらこういち)

中野の未来に真剣!

プロフィ-ル2(フォト)

青森県黒石市というりんごと温泉で有名な街で生まれ、育ちました。未熟児で生まれ、「ヤンボーマーボー天気予報」によく反応してたようです。
5歳の時。2つ年下の妹と5つ年下の弟の3人兄弟で、長男として兄弟の面倒を見てました。
  小学校2年生の頃(本人後列右端)。田舎の子供らしく、川で泳いだり、虫を取りに行ったりほとんど外で遊んでいました。
中学校卒業式の日。東京に出る楽しみでいっぱいでした。雪解けの春が青森での一番好きな季節です。
上京してきた父と上野駅で。父は公明党黒石市市議会議員を3期12年勤めました。
高校時代、東京では下宿生活でした。食事以外は全て自分でやりました。1年生の頃は、津軽弁のなまりがなかなか取れませんでした。
  高校3年生の頃、サッカー部の同期と(本人最前列右端)。小中高サッカーを続け、高校3年間は全国大会出場を目指し、サッカーづけの毎日でした。同期からはJリーガーが出るほどレベルが高く、練習が大変でした。
大学1年生の頃。母と妹と地元で毎年行われる日本3大流し踊りの黒石よされに参加して。高校時代から必ず年に2回は帰省してました。
  大学2年生の頃。青森といったらねぶた祭。黒石市では1つの町内会で1台ねぶたを出しており、子供の頃からずっと参加してました。
大学院卒業式に祖母、母、妹と。大学院では国際政治論、国際人権法を専攻。修士論文はアフリカの人権と第三世代の人権について。
アフリカの国立ガーナ大学正門にて。首都アクラ郊外にあり自然豊かな広大なキャンパスでした。当初はキャンパスで日本人は私1人でした。
ガーナ大学の寮。6畳ぐらいの部屋に4人住まい。水や電気はよく止まっていましたが、楽しい友達ばかりでした。
ガーナの未来を背負う子供たちと。子供たちとよくサッカーで遊び、メガネを壊されたこともいい思い出です。
勤め先の社長に連れられホノルルフルマラソンに参加。全く練習していませんでしたが無事完走。高校まで培った体力に驚きました。
上海万博で友人のアドゴニーと。万博ではアフリカブースで物販のマネージメントをしてました。
上海万博をいっしょに仕事をしたスタッフと(本人後列左から2番目)。日本、中国、フランス、アフリカの多国籍軍で本当に楽しく仕事をさせていただきました。