被爆者証言撮影する
10月12日日曜日、長崎市内において、二人の長崎原爆被爆者の方にお会いし、当時の体験を語っていただき、その様子を撮影させていただきました。
1人は、長崎市内在住の秋山さんというご婦人で、今年80歳になられます。当時11歳、8月9日は、自宅があった立山西部におり、原爆投下時、防空壕に入ることができ、わずかの差で爆風等免れることができたそうです。
その後、被害にあった被爆者の方々が、浦上から山を越え来たのか、誰もが傷だらけで無言で歩いて行ったそうです。
その中でも、首のない赤ちゃんを背におぶったまま歩いて行った夫人の姿は、69年たった今でも絶対に忘れられない。忘れたくても忘れられないと、怒りと悲しみと苦しさをにじませながら話されるお姿が胸を打ちました。
もう一人は、85歳になる男性、長崎市内在住の島田さんです。当時16歳、香焼町安保に住み、炭鉱の測量として勤めておりました。
島田さんは、原爆投下の日、会社の出張で先輩と熊本に行っており、帰路熊本駅で長崎に帰るため切符を購入しようとした時、長崎に新型爆弾が落ちて長崎駅まで行けないことを知ったそうです。仕方なく、道の駅までの切符を買い、長崎に帰ることになります。
実は島田さんの出発の日の記憶が定かではなく、長崎から熊本の出張は1泊2日だったそうです。行きは当然何ともなっかったそうなので、8月8日に出発して8月9日に帰ったのか、8月9日朝原爆投下直前に長崎駅を出て、8月10日に長崎に帰ってきたのか、どちらかではないかと思われます。
島田さん一行は、熊本からの列車の帰路、久留米等でや空襲に遭いながら、乗り換えながら何とか長崎道の駅に到着します。
到着の時は、かなり夜だったらしく、列車が駅の構内に入った時、列車内に急に漂ってきた消毒の臭いが、とにかくすごかった。また、到着して列車から降りようとする間もなく、次々とけがをした人々が乗り込んできたととおっしゃられていました。
当時、道の駅は、あの救援列車で運ばれてきた被爆者の方々でいっぱいになっていたことは十分予想され、この当時を裏付ける貴重な証言です。その後夜中を通して、大波止まで行き、船が出ないことを知り、さらに深堀まで歩いて行ったそうです。
今回の被爆者の証言を映像に収める活動は、公明党長崎県本部の被爆70年長崎平和事業推進委員会の活動の一環です。
明年2015年被爆70周年を迎えるに当たり、この集めた映像を全国全世界に発信し、例えば長崎県の長崎市だけでなく他都市の市民の皆さんにも、核兵器の恐ろしさを理解していただき、各地から核兵器廃絶の機運が起こるよう、努めていきたいと考えています。
























