保健センター増築 その①歴史
保健センター増築及び複合施設整備基本計画(素案)が令和4年2月発表されました。
内容としては、築34年しか経っていない保健センターを隣地に増築し、現在の保健センターは大規模改修の後、新旧の建物を繋げ、保健センターと子ども子育て支援施設を建設する計画です。
そもそも、第六期長期計画では、保健センターの大規模改修(p59)をすることになっていたが、急転直下、この増築の話が出てきたことから、文教・厚生委員会での説明を求め、予算委員会でも様々議論をしてきました。
その結果、議会に対しては、2回の全員協議会(6/28,8/16)が開かれ議論の場が設けられました。
武蔵野市立保健センター機能充実検討有識者会議
http://www.city.musashino.lg.jp/shisei_joho/sesaku_keikaku/kikakuseisakushitsu/1037030/index.html
が設置され、4回の会議を開催し、報告書が作成されております。
その① 歴史
その② 保健センター大規模改修の手法について
その③ 長期計画との関係
その④ 課題と今後
4回シリーズで書き残しておきます。
その① 歴史
◆設置に至るまで
市民の健康の確保、健康増進、疾病予防と共に、健康な市民生活を送れるよう市民の総合的な健康づくり対策を推進する
ということ
- 長期計画
昭和52年4月1日 第一期長期計画第二次調整計画
昭和56年4月1日 第二期長期計画
「市民健康センター(仮称)設置の検討」が計画の重点施設
- 市民意見
「健康づくり市民委員会」昭和55年1月25日発足
昭和57年2月24日に答申書が提出される
- 専門家の意見
昭和58年6月6日「武蔵野市保健センター(仮称)建設専門家会議」
(会長 苫米地孝之助氏ほか6名)が発足
昭和59年3月20日に保健センター建設についての報告書が提出
- 庁内
昭和58年12月1日庁内に武蔵野市保健センター(仮称)構想検討プロジェクトチームを設置し、昭和60年5月21日に構想検討報告書が提出
中略
昭和62年8月2日工事竣工
昭和62年10月オープン
- 当時、最先端技術であった、CTスキャンの医療検査機器を橫河電機株式会社より寄贈されており、設立当初は、武蔵野市、社団法人武蔵野市医師会、橫河電機株式会社により保健センターの健康診断事業を中心とした第三セクター方式による運営が考えられていた。
□公明党の先輩議員・赤松清氏 は、昭和53年第四回定例会で、一般質問
「予防、治療、リハビリの包括的医療体制の拠点として積極的に保健センター設置に取り組むべき」と発言。
□昭和58年 20年続いた革新市長から土屋市長に変る