石巻2日目
2017-07-21
昨日机上で説明を受けた石巻の海岸近くを実際に見学しました。
まず、日和山公園に参りました。3.11当時、報道などでももよくロケ現場になっていた場所です。高台になっており海を見下ろすことが出来ます。
まだまだ更地のところも多く、6年たった今も復興の最中という印象を受けました。
北上川は、とても大きく、ここを津波が駆け上ったのだと思うと背筋が凍るようです。
次に、「がんばろう石巻」の看板のあたりへ向かいました。造成工事で立入禁止のところも多く、近くまで行くことは出来ないかなと周りをまわっていると、“看板はこちら”という矢印があり、砂利道を進むと、看板の前にたどり着きました。
ちょうど、ひまわりが咲き誇っていました。
震災のあと、塩をかぶったにも関わらず力強く咲いて、みんなを励ましてくれたひまわりです。たくさんの方の善意で全国に種が広がっているそうです。
私も、種を頂きました。
この看板を建てたかたは、新築したばかりの店舗兼住居があっという間に津波に流され失意のどん底で、負けてはいけないという思いを込めて、何もなくなってしまったこの地に看板を建てたと伺っています。その思いにたくさんの人が共感し、今も看板は、保存され。ひまわりも咲いています。大自然の驚異の前に、ひとは、ひとたまりもありませんが、この、それでも立ち上がってきたからこそ、人類は、地球最強の生き物になったのだと思います。
ほんとうに、6年経った今でも周りはなにもありません。
これは、津波被害が予想される地域は、住宅は建てないで、工場などどし、外側の堤防と内側の高い道路で、津波から逃げる時間を稼ぐ計画のもと、少しづつ工事が進められているそうです。津波で逃げ遅れた人の中には、家族の安否を心配して、自宅に戻ろうとした人、大丈夫だろうと自宅から動かなった人も多かったそうです。確かに、工場等なら、サイレンが鳴って逃げろと言われたら、さっさと逃げますよね。
次に石巻の隣の女川町へ向かいました。
女川の駅は、新築されています。
鎮魂の碑に祈りを捧げました
女川中学卒業生が建てた石碑には、
“千年後の命を守るために
ここは津波が到達した地点です
もし大きな地震がきたら、ここより上へ逃げて下さい
逃げない人がいても、ここまで
無理矢理にでも連れ出してください
家に戻ろうとしている人がいれば
絶対引き止めてください“
と、刻まれていました。たくさんの無念があったのではないでしょうか
津波てんでんこ
しかし、この石碑は、非常に高い位置にあり、津波のすさまじさを感じました。
3.11はまだ終わっておらず、風化させてはいけないと思いました。