七つの祝い式典
七つの祝い式典
平和と文化の希望展
秋のイベント
町制施行130周年合併65周年
11月2日(土)
越生町町制施行130周年合併65周年記念式典が開催され、越生町議会議長としてご挨拶を申し上げました。
歴史を振り返ると、明治維新後、殖産興業政策の中心として奨励された養蚕と製糸・織物業は明治・大正時代に最盛期にあり、当時の越生はその集積地として繁栄を極め、広く「絹の町」として知られていました。
明治22年に施行された町村制において、近隣では、いち早く町制を施行しています。埼玉県入間郡内では、越生のほか、川越、所沢、現在の入間市となった豊岡の4町のみで、当時の隆盛は計り知れないものです。
昭和30年2月には、その旧越生町と関東随一の梅林を有し、古くから「梅の里」として名を馳せ、農林業が盛んであった旧梅園村と合併しました。早いもので、新しい越生町が誕生してから、65年の歳月が流れたところです。

毛呂山・越生・鳩山公共下水道組合議会の研修会
10月29日午前10時30分より、毛呂山・越生・鳩山公共下水道組合議会の研修会が行われ、組合議員の一員として出席致しました。午前中は、当組合の施設である毛呂山処理センターのしくみを学び、視察を行いました。
午後は、バスで昼食会場に移動し昼食をとった後、川島町にある株式会社G&U技術研究センターで研修を受けました。
G&Uとは、Ground and Undergroundで、ここは、路面と地下空間に視点を据え、そこにあるマンホール蓋や本体、周辺管路を対象とした研究試験業務に日々取り組んでいる会社です。
研修では、普段は地下に埋まって見ることのできない下水道管路施設を忠実に再現した水理シュミレーションモデルを用いて、豪雨時の下水道管路における水理現象や、外では、豪雨時のマンホール蓋の浮上・飛散について実際に浮上機能付きと機能無しの2種類の蓋を使って内圧発生による空気や水が蓋に与える影響や蓋に起こる現象の違いを見せていただきました。感動する素晴らしい視察研修でした。

梅干し品評会
10月28日午後3時から、梅干しの出来栄えを審査する品評会が開かれ、越生町議会議長として、審査の一員に加わり、審査させていただきました。
この品評会は越生町の梅農家でつくる団体が毎年この時期に開いていて、ことしは31軒の梅農家が出品しています。
品評会では埼玉県やJAなどの職員がつやや色合いなどを1粒1粒見比べながら出来栄えを審査していきます。
議長として、初めて参加させて頂き、その梅干しの漬け加減や見ただけで、いろいろ状況などを読み取るプロの方達に、とても感動しました。
越生町の梅干しは塩だけで漬け込む方法で作られていて、ことしは雨が多く梅を干す時期が遅れましたが、味は例年どおりのできに仕上がったということです。品評会でいただいた梅干しはとても美味しいものでした。
ゆんたくの会
ゆんたくの会
2016年10月28日(金)の投稿から掲載します。
ハイターイ
今日は月1開催のゆんたくの会です。
少し肌寒い1日でしたが、ゆんたくの会の皆さんが集まって来ました。
やっぱり、ふるさとの仲間は良いですね。集まる目的の一つに、「ウチナーグチでゆんたくをする」というのを掲げていますが、私たちは、ウチナーグチは使ってはいけなかった世代ですので、なかなか言葉が口をついて出てきません。
その点、男の人はウチナーグチが上手ですね。私が小学生の頃は、男子は、先生に隠れて、どんなに女子に告げ口をされても、ウチナーグチを使い続けていました。ウチナーグチは「ラリルレロ」の発音が強く、なかなか「ダディドゥデド」の濁音化が難しいんですよね。方言ばかり使っている男子は、標準語の発音が上手く言えなくて苦労してましたね。私の隣の席の男子は「そうれす。」と答えて怒られ、「なんれ?」って言い返してまた怒られていました。懐かしいですね。
しばらく前になりますが、同窓会で沖縄に行った時、男子がウチナーグチで盛り上がっていましたが、それを側で聴きながら、目がウルウルして、心の底から感動したことを、今でも思い出します。今では、私はウチナーグチは聞くだけで、悔しいけど使えなくなりました。
沖縄は、政治に振り回され、2転3転、苦難の歴史を強いられて来ましたが、平成18年に、沖縄県議会が「しまくとぅば条例」を制定したと聞いた時は、本当に嬉しく思いましたね。私の恩師は、「沖縄から平和の発進を」と呼びかけましたが、いよいよウチナーンチュの足で立ち上がり、平和への駆動が始まったと、大げさですが一瞬そう思いました。
条例制定のきっかけは、沖縄県議会がブラジルを訪問した時、移民でブラジルに渡った人々が、沖縄の文化と言葉を継承して、「しまくとぅば」を今も生活の中で使っている現状に痛く感動し、ことばが無くなれば、先祖が築いてきた文化も無くなるという危機感から、条例ができたと聞いています。
私は、埼玉の住民になっていますが、遠く離れていても、私が沖縄に貢献できることは、世界に渡って行ったウチナーンチュのように、言葉を忘れずに使い続けて行くことだと思っています。子々孫々に沖縄の文化を伝えていくためにも、まず、ことばを自分の中に蘇らせる努力をしていこうと思っています。
ゆんたくの会は、そのための第一歩です。私たちの小さなゆんたくが、ふるさとへの大きな貢献に繋がるよう、何処にいても、ウチナーンチュの気概を持って活動していこうと思います。




