新型コロナが日本に問うもの
本日付け公明新聞の四面「解説ワイド」で、新型コロナで浮き彫りになった日本社会の課題や今後の展望を含め、日本大学危機管理学部 先崎彰容教授に取材しておりますので、抜粋してご紹介致します。
⚫ 新型コロナで浮き彫りになった日本社会の課題は何か。
教授 : 長年日本が抱えていた「弾力性のない社会」の様相が大きく顕在化した。背景は二つ。一つは、米国を中心とする新自由主義経済に基づく世界経済の過剰競争だ。グローバル化は日本の個人商店にまで直接影響を及ぼすなど地域コミュニティを揺るがし、世界経済に翻弄される社会を生んだ。もう一つは、非正規雇用で賃金を抑えた事で、国民の二極化を招いている。結果、多くの日本人を不安に陥れた。社会が複雑化する一方、不安定の要因をワンイシュー(単一争点)で求めようとする風潮が強まり、健全な連帯意識の崩壊につながりかねない芽を生んでしまった。こうした現象は日本だけではない。米国は「米国第一主義」というワンイシューを掲げた大統領が国民を魅了したが、国内に深刻な分断を生んでいる。
⚫ 感染拡大の最中に営業を続ける店舗や、外出する人たちを不当に非難する「自粛警察」などはその典型か。
教授 : まさに分かりやすい例であり、新型コロナによって社会に不安が募る中、誤った情報を鵜呑みにして一つの対象を悪者に仕立て上げ、たたいて引きずり落とし、自らの不安やフラストレーション(欲求不満)、いらだちをぶつけている。自粛警察は一見、小粒な正義感に過ぎないが、注意すべきである。一人一人が”警察官”として個人的判断を下し、制裁を加えることは、正当に暴力を管理・使用する秩序を壊す。社会の無秩序化を促してしまうのだ。10万円の特別定額給付金やマスクの配布など、政府の施策に対してシニカル(冷笑的)な否定や批判に終始している。政策的な課題は常につきまとうものだが、建設的な提言をする訳でもなく、陰湿な引きずり下ろしの域を出ていない。
⚫ 初めて発出された緊急事態宣言は、日本の民主主義にとって、どのような意義があったのか。
教授 : コロナの感染抑制に向けて、多くの国は国家権力で都市を封鎖し、国民の行動を制限した。一方、日本が強制力を持たない緊急事態宣言で対処した事は、日本の民主主義の歴史上、非常に大きな意義があった。なぜなら、政府が我々国民に対して”民主主義の鍵”を渡したようなもので、「コロナによる国の浮沈は、皆さん自身の行動と決断にかかっています」と、究極の自助努力を国から求められたからである。自分たちの将来は自分たちで決めるという事を、戦後初めて真剣に考えるきっかけになったはずだ。
⚫ 今後も国民の常識に委ねていくためには、民主主義の成熟が求められる。
教授 : 問われるのは「自由」に対する認識だ。例えば、緊急事態宣言について、一部メディアや野党を中心に、「私権が制限される恐れがある」と警告する一方、いざ発出されたら「遅い」と批判する。つまり、政権を批判するなら何でも良いという姿勢。特別定額給付金についても、スムーズな手続きを可能とするマイナンバー制度の普及率が2割に満たなかった。これも国家が国民に番号を振ることで、情報が統制されると懸念したことによる。以上の二つの例からわかる事は、日常生活で仮に「自由」を制限されたとしても、それにより非常事態時、逆に最も貧困に苦しむ弱者の「自由」が守られるという事だ。我々はいくつかの犠牲を払いつつも、出来る限り死者が出ない社会をつくるための「自由」、制限付きの「自由」を論じ、社会に根付かせていくべきなのだ。
⚫ 人間が生きていく上での価値観そのものに目を向ける必要があるのか。
教授 : そうあるべきだ。グローバル化によって、長年経済的に宜しく豊かになる事に価値基準が置かれてきた。だが改めて、何のために私たちはお金を稼ぐのだろう。それは家族においしいご飯を食べさせたり、親孝行をしたりするといった「目的」のための筈だ。「手段」に過ぎない金銭獲得が「目的化」している。これが問題である。今回の新型コロナは、社会経済活動が否応なしに制約を受ける中で、グローバル社会の負の側面を浮かび上がらせた。我々の死生観とも言うべき生き方そのものを見つめ直す契機であり、「新しい生活様式」の中に組み込まねばならない。

