公明新聞:2011年4月5日付
大震災から1カ月へ
未曽有の苦難の中にある“みちのく東北”にも春が顔を出し始めている。
まちが丸ごと壊滅してしまった宮城県南三陸町の志津川地区では、散乱するがれきの中に梅の花が優しげに咲き薫っていた。多くの漁船が津波にさらわれてしまった青森県八戸市の漁港でも、産卵と子育てのためにウミネコが次々と飛来し、繁殖地として知られる蕪島では菜の花が黄色く色づき始めていた。
英国の詩人シェリーの『西風の賦』の一節が頭をよぎる。「冬来たりなば春遠からじ」。全ての被災地に本格的な春が一日も早く到来することを願わずにはいられない。
鼓動は高まりつつある。人々の支え合いによって。
八戸魚市場では競りが再開され、ハマ再興へ向けた一歩が踏み出された。被災した漁師たちも仲間に支えられ、勇ましい声を張り上げていた。
仙台市内では、宮城県内のアマチュア合唱団による「復興支援チャリティーコンサート」が始まった。幟には市民への呼び掛けが大書きされていた。「がんばろう東北! 手と手をつないで」。
各地からも、さまざまな形で春の便りが届いている。
宮城県石巻市立青葉中学校のグラウンドには自衛隊の手による野外風呂がお目見えし、その上空を阪神大震災で被災した兵庫県内の子どもたちが作ったこいのぼりが気持ちよさそうに泳いでいる。
宮城県名取市と石巻市の避難所には、公明市議同士の連携で、大手チェーンから大量のカレーライスが届けられた。小さな口いっぱいに熱々のカレーを頬張っていた幼い3姉妹の笑顔が思い浮かぶ。
公明党が開設した災害義援金口座に振り込まれた義援金も、既に5億円を突破した。
震災から1カ月へ―。
東北・太平洋岸地域に広がる泥とがれきだらけの荒涼たる光景は今も変わらない。そこに立つと、“あの日”を境に時間が止まってしまったかのような感覚に陥り、身がすくむ。死者・不明者2万7000人以上という、あまりにむごい惨事に心が凍てつく。
だが一方で、戦後日本社会が長く忘れていた大切なものが今、がれきの山の中から彷彿として湧き上がってきているようにも思う。そう、人を思いやり、悲しみを共有しようとする支え合いの心だ。
公明党はこの善意の連帯の輪をさらに広げ、復旧・復興へと至る道のりの先に「支えあう社会」という新しい日本を構築したいと決意している。犠牲となった多くの尊い命に報いるためにも。
公明新聞のこの記事を読み、胸が熱くなりました。主人が、突然亡くなり、まだ小さい子どもを抱え、悪夢なのか現実なのか、わからない中、地域の方々に励まされ支えていただいた事が、私のボランティアの原点です。心から感謝し、少しでも、地域に、お役に立てることはないかと、福祉施設の作業所や老人ホームで、一緒に、絵を描き、多くのことを学ばせて頂きました。今年の桜はいつもの桜と違って見えます。国難ともいうべき、今回の震災を機に、「支え合いの心の花」を咲かせる使命を感じます。