松阪市議会議員  松岡つねお(まつおか つねお)

安心・安全・希望の松阪目指して!

今日の公明新聞から…。

公明党 新聞社記事・WEB記事 / 2022年10月31日

#公明新聞2022/10/31…より転載!

(北斗七星)

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#第14回公明党三重県本部大会開催

公明党 / 2022年10月30日

❒本日午後2時より、津市のホテル津センターパレスにて公明党三重県本部(=中川康洋代表)大会が開催されました。

 

公明党中部方面本部長の伊藤渉衆院議員、中部方面副本部長の上田勇参院議員が出席し、代議員の皆さまと共に、紀北町、明和町、桑名市の統一外選挙、来春に行われる統一地方選挙の大勝利を誓い合う大会となりました。

 

*自由民主党三重県支部連合会会長の田村憲久衆院議員、一見勝之三重県知事のお二人からご来賓としてのご挨拶をしていただきました。大変にありがとうございました。

 

県下からご参加いただいた代議員の皆さまに感謝。大変にありがとうございました。

10.30

#北側一雄副代表 日本記者クラブ記者会見 〜日本の安全保障を問う〜

公明党 新聞社記事・WEB記事 / 2022年10月29日

Youtube/公明党チャンネル/2022/10/27…より転載!

 

27日、北側一雄副代表は日本記者クラブにて記者会見を行いました。

 

10.29

#アサリ「三重県産」など偽装販売の県内3業者に事業の改善指示

新聞社記事・WEB記事 / 2022年10月28日

NHK NEWSWEB/三重NEWSWEB /2022年10月28日19時06分…より転載!

 

外国産や愛知県産のアサリを「三重県産」などと偽って販売したとして、三重県は県内3つの流通業者に、27日までに食品表示法に基づいて事業の改善指示を行ったと明らかにしました。

 

指示を受けたのは伊勢市の「六花社」と、いずれも松阪市の「イソザキ商店」、それに「濱口商店」の3つの貝の流通業者です。

県によりますと、このうち「六花社」は去年からことしにかけて、中国産や韓国産、それに愛知県産などのアサリを、三重県産と偽って表示し、合わせて107トン余りを、県内外の卸問屋やスーパーに販売したということです。

県の調べに対してこの業者の代表は「三重県産を売りにしていたが、出荷量が減ってきて偽装に至った」と話しているということです。

また、「イソザキ商店」は去年とことし、中国産や愛知県産を、熊本県産と偽って15トン余りを、「濱口商店」は去年、愛知県産を熊本県産と偽って3トン余りをそれぞれ販売したということです。

いずれも偽装を認めているということで、県は食品表示法に基づいて、27日までに3つの業者に対し、販売する食品すべての表示の点検や是正、原因究明や分析などの措置を講じるとともに、その内容を1か月以内に文書で報告するよう指示しました。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/tsu/20221028/3070009166.html

 

10.28

 

#昨年度県内小中学校で不登校3143人 704人増え過去最多

新聞社記事・WEB記事 / 2022年10月27日

NHK NEWSWEB/三重NEWSWEB /2022年10月27日17時45分…より転載!

 

三重県内の小中学校で昨年度不登校となった児童生徒は、前の年度よりも704人増えて3143人で、過去最多となったことが県の調査でわかりました。

 

三重県は、小中学校や高校など県内の公立学校を対象に不登校やいじめなどの状況を毎年調査していて、27日昨年度の結果を公表しました。

それによりますと、小中学校で、学校を30日以上欠席し不登校となった児童・生徒は、前の年度から704人増えて3143人で、比較可能な平成10年度以降で過去最多となりました。

それぞれの不登校のケースについて、考えられる要因を教員にたずねたところ、「無気力や不安」が約51%と最も多く、次いで「いじめを除く友人関係をめぐる問題」と「生活リズムの乱れあそび、非行」がそれぞれ約11%でした。

一方、昨年度の県内のいじめの認知件数は、前の年度から504件増加して4268件と過去最多となり、特に小学校と高校の件数はここ5年で2倍以上になっているということです。

県教育委員会は、「家庭と協力して子どもの変化や兆候を把握したり、電話やSNSでの相談を継続したりしていじめの早期発見・対応を進めるとともに不登校の生徒に対するスクールカウンセラーなど、専門家による訪問型の支援を実施して相談体制を充実させたい」としています。

 

https://www3.nhk.or.jp/lnews/tsu/20221027/3070009157.html

 

10.27

#松阪市役所庁舎内レターパック100通窃盗疑い非正規職員逮捕

新聞社記事・WEB記事 / 2022年10月26日

NHK NEWSWEB/三重NEWSWEB /2022年10月26日15時48分…より転載!

10月、松阪市役所の庁舎内で保管されていたレターパック100通あまりを盗んだとして、57歳の非正規の職員が、窃盗の疑いで逮捕されました。

逮捕されたのは松阪市の非正規の職員で、農水振興課に所属する伊原修二容疑者(57)です。

警察によりますと、伊原容疑者は10月11日の夕方から翌朝にかけて、庁舎4階の農水振興課に保管されていたレターパック116通、時価総額4万5000円相当を盗んだとして、窃盗の疑いが持たれています。

伊原容疑者は警察の調べに対し「間違いありません」と容疑を認めているということです。

松阪市では、レターパックのほかにも、庁舎7階に保管していた特産品をPRするために使う、松阪もめんのはっぴやハンカチなど、合わせて27点が、10月3日に盗まれる被害にあっていました。

警察は、伊原容疑者が庁舎内の別の盗みにも関わっていないかどうか、調べることにしています。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/tsu/20221026/3070009142.html

 

10.26

#【ノーカット動画】野田元首相が安倍元首相の追悼演説 全文

新聞社記事・WEB記事 / 2022年10月25日

NHK NEWSWEB/2022年10月25日15時03分…より転載!

 

安倍元総理大臣に対する追悼演説が衆議院本会議で行われ、立憲民主党の野田元総理大臣が故人をしのびました。

 

以下、その全文です。

 

故安倍晋三先生に対する追悼演説

本院議員、安倍晋三 元内閣総理大臣は、去る七月八日、参院選候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。

 

搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。

 

享年六十七歳。

 

あまりにも突然の悲劇でした。

 

政治家としてやり残した仕事。

 

次の世代へと伝えたかった想い。

 

そして、いつか引退後に昭恵夫人と共に過ごすはずであった穏やかな日々。

 

すべては、一瞬にして奪われました。

 

政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。

 

人々の暮らしや命がかかっています。

 

マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えている時に、後ろから襲われた無念さはいかばかりであったか。

 

改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。

 

10.25

 

私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。

 

しかしながら、私は、前任者として、あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。

 

我が国の憲政史には、百一代 六十四名の内閣総理大臣が名を連ねます。

 

先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」を我が身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠を捧げたい。

 

そうした一念のもとに、ここに、皆様のご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

 

安倍晋三さん。

 

あなたは、昭和二十九年九月、後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子様ご夫妻の二男として、東京都に生まれました。

 

父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。

 

「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。

➀

 

成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。

 

そして、父 晋太郎氏の急逝後、平成五年、当時の山口一区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。

 

三十八歳の青年政治家の誕生であります。

 

私も、同期当選です。

 

初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。

 

そこには、フラッシュの閃光を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。

 

私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。

 

その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。

 

内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成十八年九月、第九十代の内閣総理大臣に就任されました。

 

戦後生まれで初。

 

齢五十二、最年少でした。

 

大きな期待を受けて船出した第一次安倍政権でしたが、翌年九月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、一年あまりで退陣を余儀なくされました。

 

順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。

 

「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。

 

しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。

 

最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆様の温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土重来を期します。

②

 

挫折から学ぶ力とどん底から這い上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。

 

かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。

 

ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。

 

あなたは、「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力もって語れる政治家でした。

 

若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。

 

その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。

 

五年の雌伏を経て平成二十四年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時 内閣総理大臣の職にあった私と、以降、国会で対峙することとなります。

 

最も鮮烈な印象を残すのは、平成二十四年十一月十四日の党首討論でした。

 

④

 

 

私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。

 

あなたの少し驚いたような表情。

 

その後の丁々発止。

 

それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。

 

それらは、与党と野党第一党の党首同士が、互いの持てるものすべてを賭けた、火花散らす真剣勝負であったからです。

 

安倍さん。

 

あなたは、いつの時も、手強い論敵でした。

 

いや、私にとっては、仇のような政敵でした。

 

攻守を代えて、第九十六代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。

 

少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。

 

張り詰めた緊張感。

 

激しくぶつかり合う言葉と言葉。

 

それは、一対一の「果たし合い」の場でした。

 

激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。

 

残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。

 

③

 

 

安倍さん。

 

あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたび兜を脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。

 

それは、忘れもしない、平成二十四年十二月二十六日のことです。

 

解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に、前総理として立ち会いました。

 

同じ党内での引継であれば談笑が絶えないであろう控室は、勝者と敗者の二人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。

 

その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。

 

あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れ様でした」と明るい声で話しかけてこられたのです。

 

「野田さんは安定感がありましたよ」「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」「自分は五年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやって来ますよ」温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。

 

その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。

 

残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。

 

でも、今なら分かる気がします。

 

安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。

 

第一次政権の終わりに、失意の中であなたは、入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさに鞭打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。

 

わずか一年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。

 

あなたもまた、絶望に沈む心で、控え室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。

 

あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。

安倍さん。

 

あなたには、謝らなければならないことがあります。

 

それは、平成二十四年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。

 

「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でお腹が痛くなってはダメだ」私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。

 

他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄することは許されません。

 

語るも恥ずかしい、大失言です。

 

謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。

 

いま改めて、天上のあなたに、深く、深くお詫びを申し上げます。

⑤

 

 

私からバトンを引き継いだあなたは、七年八ヶ月あまり、内閣総理大臣の職責を果たし続けました。

 

あなたの仕事がどれだけの激務であったか。

 

私には、よく分かります。

 

分刻みのスケジュール。

 

海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。

 

その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。

 

容赦ない批判の言葉の刃を投げつけられます。

 

在任中、真の意味で心休まる時などなかったはずです。

 

第一次政権から数え、通算在職日数三千百八十八日。

 

延べ百九十六の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は千百八十七回。

 

最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。

 

首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる二人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。

 

理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。

 

かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。

 

あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。

 

ただ、それだけではなかった。

 

あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。

 

安倍さん。

 

あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室で、密かにお会いしたことがありましたね。

 

平成二十九年一月二十日、通常国会が召集され政府四演説が行われた夜でした。

 

前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。

 

二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、一時間あまり、語らいました。

 

お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。

 

そして、「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意を作るべきだ」という点で意見が一致したのです。

 

国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。

 

それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。

 

私が目の前で対峙した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む。

 

冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。

 

あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。

 

立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見出せるのではないか。

 

以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。

 

憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で喪いました。

 

失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。

 

「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」安倍さん。

 

あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。

 

再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。

 

勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。

 

耐え難き寂寞の念だけが胸を締め付けます。

 

この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。

 

どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。

 

その上で、申し上げたい。

 

 

⑥

 

長く国家の舵取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。

 

安倍晋三とはいったい、何者であったのか。

 

あなたがこの国に遺したものは何だったのか。

 

そうした「問い」だけが、いまだ宙ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。

 

その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。

 

そうであったとしても、私はあなたのことを、問い続けたい。

 

国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい。

 

問い続けなければならないのです。

 

なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。

 

暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。

 

あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。

 

最後に、議員各位に訴えます。

 

政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。

 

暴力に怯まず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。

 

民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。

 

真摯な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへと育てあげていこうではありませんか。

 

こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弾に斃れた故人へ、私たち国会議員が捧げられる、何よりの追悼の誠である。

 

私はそう信じます。

 

この国のために、「重圧」と「孤独」を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された、安倍晋三 元内閣総理大臣。

 

闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊に、この決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます。

 

安倍さん、どうか安らかにお眠りください。

 

⑦

 

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221025/k10013869471000.html

#今日の公明新聞から…。

公明党 新聞社記事・WEB記事 / 2022年10月24日

公明新聞電子版/2022.10.24付より転載!

 

 

連載小説『妻女たちの幕末』vol.70

 

 

10.24

#亀山市議会議員選挙開票速報(結果)

公明党 新聞社記事・WEB記事 / 2022年10月24日

❒令和4年10月23日(日)執行の亀山市議会議員選挙の開票速報(結果)をお知らせします。

◆森みわこ候補

◆あたらし秀隆候補

ともに上位当選させていただくことが出来ました。

ご支援をいただきました全ての皆さまに感謝申し上げます。

大変にありがとうございました!

https://www.city.kameyama.mie.jp/docs/2022102000014/

10.2424

 

10.24

#今日の公明新聞から…。

公明党 新聞社記事・WEB記事 / 2022年10月23日

公明新聞電子版/2022.10.23付より転載!

 

(マンガ)観光需要の拡大で日本を元気に!/D-TARO

10.23