☆名字の言!
❒聖教新聞:2015年 6月23日…より転載!
沖縄県民を対象にした地元紙などの共同調査では、86%の人が、沖縄戦の記憶を次世代に伝えたいと意欲を示した。だが、県民の4人に1人の命が奪われた凄惨な沖縄戦は、体験者にとって、血が逆流するような、思い出したくない記憶だ。語るのを拒む人、悲しみを心にしまったまま亡くなった人も多い▼那覇市に、共に90歳になる夫婦がいる。戦後間もなく結婚し、70年近く連れ添ってきた。しかし、これまで、互いの沖縄戦の体験を聞くことは、一度もなかったという▼70年という節目の今年、創価学会の青年部・未来部の聞き取り運動に参加したひ孫と母親である孫に、戦争体験を聞かせてほしいと頼まれた。「話す気になれない」「もう、いいから」と夫婦は一度は断った▼それでも、訪ねてきた孫とひ孫の顔を見て、2人は70年にして初めて、沖縄戦の惨劇を語り始めた。女子中等部員のひ孫は、想像を絶する内容に衝撃を受けつつも、平和への思いを心にともした。学校で、沖縄戦のこと、平和の尊さを友人と話すようになったという▼戦争は命を奪い、生き残った命にも、一生消えない傷を残す。その痛みに耐えながら、勇気を振り絞って語り残してくれた人々に応えて、平和を誓う「沖縄慰霊の日」としたい。(結)
※南部戦跡を訪れた沖縄・広島・長崎の青年部。
「ひめゆりの塔」で沖縄戦の全犠牲者の冥福を祈念し、献花を行った(糸満市内で)