2011.8.13(金)
昨夕.「松山まつり」に松山市議会観光振興議員連盟で出演。
暑い熱い松山の踊りのイベントも、今回で46回目となります。
会期は一昨日から本日まで!
http://www.m-festa.jp/
大街道から千舟町の通りを野球拳で踊り歩きました~ヽ(^。^)ノヽ(^o^)丿
2011.8.9(火)
10:00~市民福祉委員会。
請願審査3件。
「高齢者の地域生活支援」について、理事者側より説明。
PM.委員会で「ふれあいサロン小野」を視察。
現在、松山市の委託事業である「ふれあいいきいきサロン」は244箇所。
基幹型(地区社協直営)は2箇所で、その内の1箇所が「ふれあいサロン小野」です。
「気軽に」「無理なく」「楽しく」過ごす「場」として、地域のお年寄りの方々に親しまれています。
「ふれあいサロン小野」のサロン開催数は週5回。他サロンと比べ圧倒的に多いです。
活動は日替わりメニューとなっていて、
(月) 編物・ビーズ等手芸
(火) 楽しいリフォーム
(水) 囲碁講座
(木) コーラス・囲碁
(金) 手芸
等々となっています。
いわゆる「お客さん」ではなく、集われていた皆さん、とても賑やかに熱心に活動されていました。
いろいろ伺ってみました。
Q1.いろいろなご意見・希望がある中で、サロンのメニューはどのように決定していますか?
A1.ここには「先生」はいません。それぞれが趣味・経験を活かし、自然発生的に出来上がりました。
代表14名で構成される「サロン部」等でも検討しています。Q2.「場」を作ることを主眼にしていることが良く伝わります。
世代間流の「場」として児童・生徒とのふれあい、また、障がいのある方などの参加はどうですか?A2.第2土曜日に「昔の遊び教室」を開いたりしています。文科省「こどもの居場所づくり事業」ともなっています。
また、サロンのシャッターは地域の東温高校生徒によってデザインされたものです。
障がいのあるお子さんが利用していたこともありましたが、高齢者とのかかわりで難しい面もあり、今は利用していません。
喫茶でいただいたコーヒーがとてもおいしかったです(^^) 1杯200円。
2011.8.8(月)
「市政としても道後温泉は観光の目玉であるのに、配慮がないのではないか?」
とご指摘された事柄があり、朝6:00道後温泉へ。
道後温泉。言わずとも知れた「日本最古の温泉」ですが、
本館は、ジブリ作品「千と千尋の神隠し」の舞台である「油屋」のモデルとも言われています。
早朝から次々と、観光客が入泉にいらっしゃいます。
お隣に腰かけたご年配が、
「今はいろいろ変わっちゃうけど、ここの看板だけは変わらなくて。いいねぇ」
とおっしゃって。
本館玄関から出てきたお孫さんたちと帰って行きました。
期間限定で道後温泉市駐車場「無料」となっていましたので、
「無料」の二字に惹かれて停めたのですが…かなりの高台にあって、
坂の下り上りがきつかったです(>_<) (←最近この顔文字が多く、スミマセン…)
駐車場に隣接して「平和記念広場」があって「松山市戦争犠牲者平和祈念碑」が建っていました。
ここまで上って来ないと気付かないので、良かったです。
ガンジーの言葉が記されていました。
松山市地域交流センター・三津浜児童クラブ開所式に参列in三津浜支所。
建物は1階は支所と児童クラブ(別室)、2階は地域交流センターの複合型施設となります。
じきに撤去される隣接する建物に、以前、ガスショップの展示会で来所したことがあります。
清新な地域拠点の開所、三津浜の皆様、おめでとうございます。
オープニングは高浜小学校の水軍太鼓!(^^)!
アトラクションでは、獅子舞ならぬ「虎舞」の披露(^^♪
なんでも、朝鮮出兵において、三津浜出身の兵が秀吉に虎を献上し、秀吉は大変喜んだそうで。
そんな伝統芸能を受け継ぐ「古三津こども虎舞保存会」も現在会員は10名。
年々会員数は減少しているようで、継承が課題となっているそうです。
「三津浜自慢ランキング」では、三津浜小の児童が三津浜自慢トップテンを発表。
第1位は、三津浜花火大会!!でした。花火大会は今晩より。
未来を担う子どもたちの登壇・発表は、何より嬉しく、頼もしいですよね。
配慮が行き届いたトイレ。
私は3月定例会で「市関係施設においては、男性育児者も使いやすいおむつ交換スペースの設置を」と提案しましたが、ここでは一定の配慮がなされています。
新しい施設での児童クラブ。
学校施設をお借りしているところも多い中、うらやましいですね(^^)
2011.8.4(木) ②
昨日.AM.公明党県本部でのIT関連の説明会に参加。
「おぉ」と驚くツールの紹介等。
公明党では議員活動の一層の充実を図るために、IT利活用を積極的に推進しています。
また、
公明党は“ネット選挙”に賛成です!
2011.8.4(木)
一昨日8/2.AM.地域主権検討特別委員会WG(広域的課題・市民参加型)。
PM.市民相談。 松山にまつわる、ある史実を顕彰したい、と。
松山を盛り上げよう、松山の偉人を顕彰しようと懸命に活動されている方々から、幾つかの相談をお受けしています。
昭和7年2月、森盲天外氏に招かれ、新渡戸稲造氏が来松、
愛媛県公会堂での講演が軍政批判として非難され、やむなく渡米することとなります。(松山事件)
翌年、渡った先のアメリカで新渡戸氏は亡くなります。
○松山での“平和のための言論”がきっかけとなり、新渡戸氏は渡米。
○招へいしたのは子規の門弟でもあった森盲天外
○盲天外は議員、道後町長として、郷土の振興に尽力。
いくつかの刊行物でも記録されてはいますが、しっかりと残し伝えていかなければならない松山の歴史です。
<年 表>
森 盲天外 | 年号等 | 新渡戸稲造 |
道後湯之町町会議員となる。 | 昭和5年 | |
県会議員に当選。 | 昭和6年 | |
2月、新渡戸稲造を松山に招へい。
10月、道後町長となり、道後町財政立て直しにあたる。 |
昭和7年 | 2月、盲天外に招かれ来松。
2月4日、旅館「ふなや」泊。 2月5日、県公会堂(現子規記念館所在地)で講演。軍部の強い反発を受ける。(松山事件) |
5月、町長辞任。 | 昭和8年 | アメリカにて没。 |
4月7日、死去。 | 昭和9年 |
森 盲天外 (1864~1934)
・現松山市出身の地方政治家・運動家。
・若くして県議会議員として活躍するが、両目を失明。失意の中で、一粒の米を手にして心眼を開く。著『一粒米』あり。
・余土村村長・道後湯之町町長を歴任。
・青年教育のため道後に「天心園」を開園。
・私立松山盲唖学校設立。
・正岡子規に師事し「天外」の号を受け、「盲天外」と称した。
・子規添削の句稿もかなりあったとされる。