2011.5.19(木)
ようやく、司馬遼太郎著「坂の上の雲」全8巻(文春文庫)を読了しました。
ご存じのとおり、「『坂の上の雲』まちづくり」は物語性のある特色あるまちづくりとして、松山市政の基本的な構想となっています。
物語は、松山出身の正岡子規、秋山好古・真之兄弟の3人の人生を辿りながら「近代国家」の仲間入りをしようとした明治の日本を描いています。司馬遼太郎ファンには「坂雲が一番好き」という方も多いようですが、しかしながら、この作品が書かれたのは昭和40年代、私が誕生したころ。なので、実は私は初めて読みました。市政に携わる者としての必然に迫られて…
読み終えて、気付くことがたくさんありました。
○本作品の多くの部分、特に後半は日露戦争が描かれているが、司馬氏の主張は反戦・非戦にある。
○作品を描きながらも、作者自身、「小説とは何か?」を問い続けている。
前半では文人子規の生涯を描き、中盤には乃木大将の文才、終盤では真之の文章と好古のそれについても論究、記述している。
作者は本作品の「あとがき」で、その答えの一端を書き残しています。
小説とは要するに人間と人生につき、印刷するに足るだけの何事かを書くというだけのもので、それ以外の文学理論は私にはない。
○薩摩人の将器を“うどさぁ”と言うらしい。例えば「項羽と劉邦」では、リーダーの資質を「将器≒空っぽの器」として鮮明に描いているが、“人を容れる徳”を書き残すことは多くの作品を通じての一大テーマであったと思われる。
○作中多くの人物が登場しますが、私は、児玉源太郎と明石元二郎に関心を持ちました。
以下、作中の児玉の言動。現場主義、人を思う情に共感を持ちました。
「参謀は、状況把握のために必要とあれば敵の堡塁まで乗りこんでゆけ。机上の空案のために無益の死を遂げる人間のことを考えてみろ」
(二〇三高地の)山頂の一角をなおも死守している百人足らずの兵の姿が、児玉には感動的であった。かれらは高等司令部から捨てられたようなかたちで、しかもそれを恨まずに死闘をくりかえしている。
「あれを見て、心を動かさぬやつは人間ではない」
と、児玉は横の福島に言った。参謀なら、心を動かして同時に頭を動かすべきであろう。処置についてのプランが湧くはずであった。頭の良否ではない。心の良否だ、と児玉はおもった。
ちなみに、司馬作品で私が一番心に残っているのは「国盗り物語」の次の場面です。
蝮の危機、蝮の悲愴、蝮の末路、それは信長の心を動揺させた。それもある。しかし亡父のほかはたれも理解してくれる者のなかった自分を、隣国の舅だけはふしぎな感覚と論法で理解してくれ、気味のわるいほどに愛してくれた。その老入道が、悲運のはてになって自分に密書を送り、国を譲る、というおそるべき好意をみせたのである。これほどの処遇と愛情を、自分はかつて縁族家来他人から一度でも受けたことがあるか。ない。
と思った瞬間、
「けーえっ」
と意味不明な叫びをあげていた。
出陣の号令をくだしたことが生涯に一度もない信長は、「けーえっ」と叫んで自ら一騎飛び出し、蝮こと斎藤道三の救出に駆けます。家臣はいつも慌てて後続したそうです。(以上も司馬史観に依りますφ(..))