2011.5.28(土)
5/23.西宮市情報センター(西宮浜産業交流会館内)を視察。
吉田稔センター長より「被災者支援システム」について詳しく説明を頂きました。
当「被災者支援システム」は「スピーディな決断」が可能なための情報集約の仕組みで、住民基本台帳を元にした「被災者支援システム」「避難所関連システム」「緊急物資管理システム」などの7つのシステムで、刻々と移り変わる被災状況・支援状況を一括して掌握することが可能です。
危機管理情報の共有体制を構築できるか否かが、危機管理能力、危機対応に大きく影響する。当システムの活用を積極的に検討願いたい、と、吉田センター長は強く語られました。(以下一部、月刊「LASDEC」H23.3月号掲載文から論旨転用)
1.西宮市の現状と情報データ化の取り組み
・震災から16年、西宮市の人口は増加をたどり物理的復旧も進んだが、精神的・経済的苦痛は今なお続いている。
・西宮市では早期から情報データ化の取り組みが行われ、昭和36年から職員自前で開発。同50年代には、それまで月単位更新であったものをオンライン化し、統合データベースを採用。そして、震災直後より「被災者支援システム」を開発。
・4年前には総務省が当システムの全国への普及を採用。様々なしがらみの中、当システムの開発・普及を後押ししたのは議会。
・①システム管理者とシステム構築できる職員 ②端末環境 があればシステム稼働はできる。
2.被災者支援システムの実際
・世帯単位での情報集約。
・被災地の災害弱者・要援護者を①地図上で、②人で掌握可能。
・支援が必要な地域を限定してシステム利用ができる。
・防災・市民・情報の3部局が横断的に連携することが大事。危機管理室があるといい。
・地域間での情報共有は、協定を結べばできる。
・すでに総務省から全国すべての地方公共団体に当システムは配布されているが、インストールキー発行は230団体、インストール済はその半分程度。
・システムは無償で提供される。また、情報システム職員であれば、サーバ構築を外部発注しなくても設定できるものとして準備されている。ただし、各地の地図は自治体等で準備してもらう必要がある。
Q.住民基本台帳から当システムへの情報活用は、どのような手順で行うのか?
A.台帳CSV【Comma Separated Values】(カンマ区切り)を容易に転用できる。
すでに第4版となる当システムは阪神大震災を経て実験証明済みであり、実用に即して進化し続けているものです。松山市を含め、一刻も早い利用普及が望まれます。
2011.5.20(金)
昨日.市民福祉委員会に出席。
1.請願審査3件
2.23年度国保勘定特別会計の繰上充当について 協議
景気低迷による保険料収入額の減少と高齢化等による保険給付費の増により、22年度赤字見込みです。そのため、23年度歳入から繰上となります。
3.地域包括支援センター石井・久谷を視察
こちらは国道沿いにあり、看板が赤くて大きいので、目に付きやすいです。
支援センターから以下の説明。
・22年度相談件数1,385件(本人507、家族680)
・周知度については、決して十分だとは思っていない。
・久谷支所で出張相談を実施したが、あまり人が来なかった。そのため、より地域に近い公民館やサロンに出向くようにした。
Q1.相談者の内、独居高齢者は何人?
A1.正確な数字は統計していない。ご家族が来られることが多い。
Q2.福祉サービスの利用援助や生活費の管理サービスである「地域権利擁護事業」や財産管理である「成年後見制度」の相談には、どのように応じているか?
A2.手続等を助言。必要に応じて社会福祉士等が同行支援している。
Q3.アウトリーチの件数は?
A3.基本的には来所による相談が多いが、ケアプラン作成に伴い訪問することがある。
民生委員等との連携を取っている。
Q4.委託費は足りているか?
A4.事務員等は指定介護予防支援事業と兼務である。
本日am.会派打ち合わせ。
合間に相談2件。
2011.5.19(木)
ようやく、司馬遼太郎著「坂の上の雲」全8巻(文春文庫)を読了しました。
ご存じのとおり、「『坂の上の雲』まちづくり」は物語性のある特色あるまちづくりとして、松山市政の基本的な構想となっています。
物語は、松山出身の正岡子規、秋山好古・真之兄弟の3人の人生を辿りながら「近代国家」の仲間入りをしようとした明治の日本を描いています。司馬遼太郎ファンには「坂雲が一番好き」という方も多いようですが、しかしながら、この作品が書かれたのは昭和40年代、私が誕生したころ。なので、実は私は初めて読みました。市政に携わる者としての必然に迫られて…
読み終えて、気付くことがたくさんありました。
○本作品の多くの部分、特に後半は日露戦争が描かれているが、司馬氏の主張は反戦・非戦にある。
○作品を描きながらも、作者自身、「小説とは何か?」を問い続けている。
前半では文人子規の生涯を描き、中盤には乃木大将の文才、終盤では真之の文章と好古のそれについても論究、記述している。
作者は本作品の「あとがき」で、その答えの一端を書き残しています。
小説とは要するに人間と人生につき、印刷するに足るだけの何事かを書くというだけのもので、それ以外の文学理論は私にはない。
○薩摩人の将器を“うどさぁ”と言うらしい。例えば「項羽と劉邦」では、リーダーの資質を「将器≒空っぽの器」として鮮明に描いているが、“人を容れる徳”を書き残すことは多くの作品を通じての一大テーマであったと思われる。
○作中多くの人物が登場しますが、私は、児玉源太郎と明石元二郎に関心を持ちました。
以下、作中の児玉の言動。現場主義、人を思う情に共感を持ちました。
「参謀は、状況把握のために必要とあれば敵の堡塁まで乗りこんでゆけ。机上の空案のために無益の死を遂げる人間のことを考えてみろ」
(二〇三高地の)山頂の一角をなおも死守している百人足らずの兵の姿が、児玉には感動的であった。かれらは高等司令部から捨てられたようなかたちで、しかもそれを恨まずに死闘をくりかえしている。
「あれを見て、心を動かさぬやつは人間ではない」
と、児玉は横の福島に言った。参謀なら、心を動かして同時に頭を動かすべきであろう。処置についてのプランが湧くはずであった。頭の良否ではない。心の良否だ、と児玉はおもった。
ちなみに、司馬作品で私が一番心に残っているのは「国盗り物語」の次の場面です。
蝮の危機、蝮の悲愴、蝮の末路、それは信長の心を動揺させた。それもある。しかし亡父のほかはたれも理解してくれる者のなかった自分を、隣国の舅だけはふしぎな感覚と論法で理解してくれ、気味のわるいほどに愛してくれた。その老入道が、悲運のはてになって自分に密書を送り、国を譲る、というおそるべき好意をみせたのである。これほどの処遇と愛情を、自分はかつて縁族家来他人から一度でも受けたことがあるか。ない。
と思った瞬間、
「けーえっ」
と意味不明な叫びをあげていた。
出陣の号令をくだしたことが生涯に一度もない信長は、「けーえっ」と叫んで自ら一騎飛び出し、蝮こと斎藤道三の救出に駆けます。家臣はいつも慌てて後続したそうです。(以上も司馬史観に依りますφ(..))
2011.5.17(火)
今日から松山市議会もクールビズになりました。
実施期間は、5/16~10/14。(市役所においても同期間で実施。)
それと、議会棟廊下の電灯を半分消灯し節電。
am&pm.庁舎にて市民相談。
報道に「生活保護200万人」突破とありました。約60年ぶりの事象。
最近は、医療費に関するご相談を受けることが増えています。
昨日5/16.公明党愛媛県本部で伊方発電所(伊方原発)を視察。
質疑への回答を含め、事業所から種々説明を受けました。
<発電所概況>
・昭和53年6月1日、1号機稼働。稼働年数もうじき33年。
・現在は1・2・3号機体制。
・社員350名。通常は関連事業所含め1,700名が勤務。定期点検時は多くて2,500名程度が従業。
・原子炉は「加圧水型軽水炉」。
“原子炉容器用回路”と“発電タービン用回路”の2つが存在。
発電機と連結するタービンを回転させる蒸気(水)は、原子炉容器を通らない。
<安全性>
・発電所の沖合8kmの伊予灘海底を「中央構造線断層帯」が東西に走っている。
・瀬戸内は水深が浅く、また中央構造線断層帯は横ずれ断層であり、津波による最高潮位は4.3mを想定。
・敷地は標高10mであり、最高潮位を上回っている。
<耐震性>
・定期的に設備・備品交換を実施。原子炉下部の交換は未実施。
炉心溶融には至らないことが前提。
・試験片で定期的に劣化検査。
<実施済の短期対応>
・電源確保対策として、電源車追加配備済。
・除熱機能・冷却確保として、既存消防車2台に加え、32mの高台に可搬型消防ポンプ等配備済。
・建屋等への浸水対策として、建屋入口扉等へシール施工済。
・高温停止状態までの設備・資器材の緊急点検、及び、緊急時対応計画策定と訓練を実施済。
・低温停止へ移行するための手順書等整備、訓練実施済。
公明党のエネルギー政策については、公明党井上幹事長が5/13の記者会見で次のように述べています。
原子力は過渡的なエネルギーとして、安全性をしっかり担保しながら、当面は容認する。(将来は)太陽、水素エネルギーを強力に推進し、供給体制や社会を作り上げることが基本方針だ
2011.5.15(日)
5/13.「議会基本条例」について、岡崎市議会に会派で視察してまいりました。
地方議会に対して、①行政への監視機能の強化と ②政策立案能力の向上 が一層強く求められる今、
それら議会の役目(使命)を明確にし、また、それを文言として見えるようにし、具体的に一歩踏み出すために、
議会基本条例の制定は有効であると思われました。
岡崎市議会では21年11月に本条例制定後、「防災基本条例」など議員提案による条例制定への動きが活発化しているようで、
基本条例を成立させたことが自信ともなり、政策立案への大きな弾みになっているようです。
以下、岡崎市議会議会事務局からの説明の一部。
○市議会における最高規範としての議会基本条例。
○制定に向けた取り組みの中で、議員の意識が変わった。課題が浮き彫りになり、対応や研究が進んだ。
○制定当初には、必要かつ実施可能な事項を盛り込むことにし、随時見直し、補完していくこととした。
○本条例の必要性を認識するためにも、他市への視察はとても有効だった。
○2期目ぐらいの若手議員が制定の原動力となり、ベテラン議員にも波及した。
○必要であるが地方自治法に定めのないことも、条例で定めることができる。
私からは、基本条例または議会の取り組みについて、以下の点について伺いました。
Q1.市民への「見える化」はどのようになっていますか?
A1.基本条例自体が「見える化」の一つ。
条例制定によって見える部分で変わったこともあるが、議員の意識が変わったのも大きな効果。
Q2.市民参画、市民との協働はどうなっていますか?
A2.市民の中に入って、報告会や意見交換の場を持つようになった。
Q3.国・県また他市町村とのネットワーク・連携はどうなっていますか? など