私が生まれた昭和42年。
一家に一台もなかった自動車はその後経済成長とともに人々にはなくてはならない存在となり、今の釧路では一家に数台の車が並んでいます。
我が家にも3台の車があり、家族がそれぞれに利用している状況で、ここを読んでいる皆さんも同様ではないでしょうか。
車が無くては生活が困りますが、一方では免許を返納した高齢者がバスを利用している状況を見ると、高齢化社会の中で公共交通の安定的な運行も重要なポイントです。
随分前ですが、奥さんの車を入れ替える際に自家用車とタクシー利用での費用を数字で表した方がいて、結局車を購入するよりタクシーを使った方が安上がりという結果になったとか。
住むところや車の利用頻度を勘案するともしかするとタクシー利用が安い型は多いのかもしれませんね。
軽自動車でも新車で200万円以上しますし、保険やタイヤ、そしてガソリン代、車検代などを計算してみるのもいいかもしれません。
さて、このモータリゼーションが進み、どこのまちも郊外に大規模店舗が出店し、いわゆる中心街は空洞化しました。
そして全国各地でコンパクトシティと言われる取り組みが始まり、居住地域で買い物や医療機関の利用ができるまちづくりが進められてきました。釧路市も例外ではなく、コンパクトシティが進められてきました。
中心市街地はそこへの居住人口を増やすために、公営住宅を整備して、その地域内で歩いて生活できる環境整備に努めてきましたが、残念ながら中心市街地に住んでる方も車での移動するため、中心市街地の賑わいの創出にはつながりませんでした。
自分の日々の行動を見ても、目的地まで車で行って用事がすんだら車で移動となるため、歩いていける距離でも車を利用している状況です。
近所のコンビニまでも車で行きますし…(;’∀’)
この生活がいいか悪いかは別にして、こういう生活になっている市民の行動をまちづくり(インフラ整備)だけで変えられるか?と考えると、たぶん無理でしょう。
歩ける空間を作る。
休める広場を作る。
文化施設を作る。
子育て支援施設を作る。
しかし、その場所まで車で行って、その場所から車で帰る生活ですから、時間があるからと言っても用事もないのにわざわざ歩く人はほとんどいないでしょう。
未来の釧路はどうなっているのか?
鉄道高架事業における駅周辺再開発は失敗の許されない事業ですから、しっかり考えなくてはいけませんね。
写真は38号線、恋問館前に整備が進んでいる新道(踏切)です。
これも津波からの避難経路を確保するためであります。
世の中は車社会。その車をまちづくりから排除するのはどうかと思います。