2011年3月11日 午後2時46分。
大きくはないが非常に長い揺れに市議会の第2委員会室はざわめき出す。
経済建設常任委員会の開会中で、審議をしていたのは水産港湾空港部。
記者席から「東北で大きな地震のようです」という声が上がり、戸田悟委員長(当時)は直ちに委員会を暫時休憩にし、情報収集を命じました。
すぐさま東北での巨大地震の詳細がわかり、委員会を再開し、委員長が「ほかに質疑はございませんか?」と問うと、委員から「なし」と言い声が上がり委員会はすぐに閉会となりました。
控室に戻った私はテレビやインターネットなどからの情報収集を開始。
釧路市議会公明党議員団の控室に災害対策本部(月田光明本部長)を設置し、釧路根室管内の情報収集を始めました。
3台並ぶパソコンの画面には、まなぼっと、MOOの防災ライブカメラの映像と気象庁の潮位計が映し出され津波への警戒。
断続的に行われる釧路市の災害対策本部の会議にオブザーバー出席し情報を収集などしていました。
福島県や宮城県の海岸に打ち寄せる津波の映像も、ただ「あ~あ~」といううめき声しか出せず、あの恐ろしい映像が今でも脳裏に残っています。
議会には私達の会派以外は残っておらず、皆さん帰宅されたようでした。
結局その日は午前0時過ぎまで市役所に詰めて、翌日は早朝より担当エリア内の被災状況を確認に走りました。
多くの命が失われた東日本大震災。今なお行方不明の方もおり、自宅に帰れない方もいます。
お亡くなりになられた皆様に心から哀悼の誠をささげます。
励ましあい、支えあう。
地域で復興を進める皆さんにエールを送ります。