南三陸町でボランティア活動
「天使の声」 (東京新聞より)
南三陸町の防災対策庁舎から防災無線で町民に避難を呼び掛け続け、津波の犠牲になった町職員 遠藤未希さん=当時(24)=が埼玉県の公立学校で4月から使われる道徳の教材に載ることに!
教材要旨
誰にも気さくに接し、職場の仲間からは「未希さん」と慕われていた遠藤未希さん。その名には、未来に希望をもって生きてほしいと親の願いが込められていた。
未希さんは、地元の就職を望む両親の思いをくみ、4年前に今の職場に就き、(昨年)9月には結婚式を挙げる予定であった。
突然、ドドーンという地響きとともに庁舎の天井が右に左に大きく揺れ始め、棚の書類が一斉に落ちた。
「地震だ!」
未希さんは「すぐ放送を」と思い、2階の放送室に駆け込んだ。防災対策庁舎の危機管理課で防災無線を担当していた。
「大津波警報が発令されました。町民の皆さんは早く、早く高台に避難してください」。地震が発生して20分、すでに屋上には30人ほどの職員が上がっていた。
午後3時15分、屋上から「津波がきたぞー」という叫び声が聞こえた。未希さんは両手でマイクを握りしめて立ち上がった。そして必死の思いで言い続けた。
「大きい津波がきています。早く、早く、早く高台に逃げてください。早く高台に逃げてください」
津波はみるみるうちに黒くその姿を変え、グウォーンと不気味な音を立てながら、すさまじい勢いで防潮水門を軽々超えてきた。容赦なく町をのみ込んでいく。
信じられない光景であった。
未希さんをはじめ、職員は屋上に続く外階段を駆け上がった。その時「きたぞー、絶対に手を離すな」という野太い声が聞こえてきた。津波は、庁舎の屋上をも一気に
襲いかかってきた。30人ほどいた職員の数は、わずか10人であった。しかしそこに未希さんの姿は消えていた。
それを伝え知った母親の美恵子さんは、いつ娘が帰ってきてもいいようにと未希さんの部屋を片づけ、待ち続けていた。
未希さんの遺体が見つかったのは、それから43日後の4月23日のことであった。
町民約1万7700人のうち、半数近くが避難して命拾いをした。
5月4日、しめやかに葬儀が行われた。会場に駆けつけた町民は口々に「あの時の女性の声で無我夢中で高台に逃げた。あの放送がなければ今ごろは生きていなかっただろう」
と涙を流しながら写真に手を合わせた。
出棺の時、雨も降っていないのに、西の空にひとすじの虹が出た。未希さんの声は「天使の声」として町民の心に深く刻まれている。
(町長が防災対策庁舎を津波被害の象徴として保存の意向を示したが、遺族の気持ちを受けて解体が決まっている。)
1月28日・29日 宮城県南三陸町でボランティア活動を行いました。
被災地の復興は程遠く、ガレキが少しずつ片づけられている状況です。
南三陸町では、23年8月のボランティア人数は8000人以上とのことでしたが
24年1月では2000人にも満たなかったようです。参加者の中には、毎月参加されている方もいらっしゃいましたが、
まだまだボランティアの皆さんの力が必要です。月日が経っても風化しないようにとの思いが、被災地の皆さんの思いです。
是非、出来るだけ参加していただきたいと思います。
ガレキ処理と、漁業用の土嚢作りを行いました。
1日も早い復興をお祈り致します。













