小島かずよし 
江東区議会議員

耐震・防災のプロ 防災士・一級建築士

プロフィール

●3期12年、区民相談1万件を超えました!
●一級建築士。防災士。区議会公明党幹事長。
●2007年、江東区議会議員選挙に初当選。2011年、当選 2015年、96票差で落選。2019年、再び当選。現在3期目。
●昭和33年(1958年)10月生まれ。新潟県長岡市出身。
金沢工業大学大学院修士課程修了、耐震工学専攻。
建設会社で建築現場を経て、建築技術の研究と開発に従事。8年間勤務
その後、都内の建築専門学校の専任教員として建築業界を担う若き世代の育成に全力で取組む。16年間勤務。

●家族は妻とインコ。好きな食べ物は豚汁です。 座右の銘は「千里の道も一歩から」。

 

学 歴

  • 昭和46年3月 長岡市立 四郎丸小学校 卒業
  • 昭和49年3月 長岡市立 南中学校 卒業
  • 昭和52年3月 新潟県立 大手高等学校 普通科 卒業
  • 昭和56年3月 金沢工業大学 工学部 建築学科 卒業
  • 昭和58年3月 金沢工業大学大学院 建築学専攻
    修士課程修了耐震工学専攻

職 歴

昭和58年4月 新潟県内の建設会社に入社

3年間 建築施工管理に携わる昭和61年2月 東京支店に転勤
情報開発室、技術研究開発室に配属

建設省(当時) 鉄筋コンクリート造建築物の超軽量・超高層化技術の開発総合技術開発プロジェクト参加 建築業協会BCS)の一員として参加。

平成3年4月 東京都内の建築専門学校 専任教員

平成19年4月 江東区議会議員選挙 初当選

公明党江東総支部 南部地域マンション対策委員長。

資格 その他

  • 一級建築士 第201151号
  • 防災士 登録No.021799
  • 救命技能認定証(自動体外式除細動器業務従事者)
  • 福祉住環境コーディネーター3級 証書番号 16-3-03249
  • 建設機械小型
  • コンクリート技師 19003198 合格
  • 剣道初段
  • 東京都防災ボランティア登録 (建築物の応急危険度判定)
    NO。07-1-14606
  • 甲種防火管理講習修了 第4201754215号

 

所属委員会等

  • 医療介護保険制度特別委員会委員(平成20、22、25年度)
  • 区民環境委員会委員(平成22年度)
  • 文教委員会(平成21年度)、文教委員長(平成23年度)
  • 南北交通、放置自転車対策特別委員会(平成21年度)
  • 防災、まちづくり、南北交通対策特別委員会(平成26年度)
  • 企画総務委員会副委員長(平成20年度)
  • 清掃港湾・臨海部対策特別委員会(平成19、20年度)副委員長(平成24年度)
  • 建設委員会委員(平成19年度)、副委員長(平成26年度)
  • 防災対策特別委員会委員(平成23年度)
  • 厚生委員会委員(平成24、25年度)
  •  議会運営委員(平成23年度、平成26年度)
  • 平成23年度予算審査(補正)特別委員会 委員長
  • 平成24年度予算審査特別委員会 副委員長

 

附属機関等委員会

  • 防災会議(平成22年度)
  • 都市計画審議会(平成22年度)
  • 表彰委員会(平成21年度)
  • 国民保護協議会(平成21年度)
  • 住居表示協議会(平成19、20、21年度)
  • 青少年問題協議会(平成20年度)
  • 土地開発公社評議委員(平成19年度)
  • 民生委員推薦会(平成19年度)
  • 奨学資金貸付審査会(平成23年度)

 

人物紹介

  • 星座:天秤座
  • 血液型:A型
  • 特技:エクセルで図面を書く
  • 趣味:散歩、映画鑑賞(ビデオ 特に洋画が好きです。)
  • 好きな曲

サイモン&ガーファンクル  「明日に架ける橋」
友情のすばらしさを歌い上げた曲

ABBA  「ダンシングクイーン」
大学生時代、一人暮しをはじめて最初に買ったレコード

ヴァンゲリス  「炎のランナー」
大学院時代、徹夜をしていたときにラジオから流れていた曲

  • 好きな作家:吉川英治
  • 好きな本:三国志
  • 宝物:ノミ(大工道具) 大工をしていた亡くなった父が使っていたもの。
    何年も使いこみ、砥石で研いで短くなっている。
  • 尊敬する人物:野口英世 人々の為に尽くした姿勢が尊いと感じます。
  • 好きな食べ物:ミネストローネ  豚汁  ギョーザ  カレー
    のっぺ汁(新潟の郷土料理)
  • 苦手な食べ物:タコ:子供の頃、蛸を食べてジンマシンになり、以来苦手になりました。
  • 健康のために ダンベル体操をしています。
  • 座右の銘 「千里の道も一歩から」
    地道な積み重ねが大切だと実感します。

 

小島かずよし ストーリー

 幼少時代

昭和39年、新潟地震が起きました。長岡市は震源の新潟市からずいぶん離れていましたが、建物が大きく揺れてとても怖かったことを今でも思い出します。

父が大工さんだったので、身近にはいつも木材がありました。木片を組み合わせて飛行機を作ったりして遊んだ思い出があります。小学校の時の夢は大工さんになることでした。亡くなった父が使っていた「ノミ」を今でも大事に持っています。

 

 

 

 

 

 

(雪が残っている長岡の実家の前で撮影。道路は砂利道、時代を感じます。)

 

中学校時代 鍛えというイジメに耐えて
中学校では、剣道部に入り心身ともに鍛えました。わざと防具のないところを打ってくる先輩がいて、1,2年の頃は肘やわき腹はいつもアザだらけでした。体の痛みとともに辛い思い出として記憶に残っています。辛いながらも3年間続けられたのも、良き友人がいたからです。

  • 冬の雪下ろしは家族総出で行いました。2階の屋根で多く積もった所は、胸の辺りまでありました。最近は、雪下ろしをするほど積もらないとか。地球温暖化の影響でしょうか?

    (道路に積もった雪を、除雪車が通ると写真のようになります。)

 

高校時代  「団結」と「基本」が大事!

高校時代は、以前水泳部だった姉の勧めがあったので、水泳部に入りました。
浮き方から練習→面かぶりクロール→クロールへと「基本の大切さ」を教わりました。
水泳は個人競技ですが、選手とマネージャーが一丸となってクラブ活動に励みました。
すばらしいクラブの顧問の先生と先輩・後輩に恵まれたことに感謝しています。 (水中から少し顔を出しているのが私です。)

 

 

 

大学へ   「資格をとるように」

高校3年生の夏。卒業後の進路を考え、「大工になる」と父に言うと、「これからは資格が大事だから大学に行って勉強してこい!」といわれました。
大学では建築の構造系を中心に勉強しました。授業のあるときは勉強と製図、レポートと忙しい毎日。夏休みには友人と土方等のアルバイトをしました。

良き学校と良き友人に恵まれて、充実した4年間でした。

(大学のキャンパスで友人達と歓談)

 

大学院に  「現場が大事」

その後、大学院に進学。 修士論文のテーマは、子供の頃に体験した新潟地震の影響もあり、耐震工学を専攻しました。 建設中の木造住宅60棟を耐震性能の観点から調査。机上 の勉強ではわからないことを沢山学びました。 自分で現場に行き、自分の目で現場を見る大切さを実感しました。大学院でも、良き担当教授とゼミ生に恵ま れ、多忙ながら楽しい2年間でした。

  • 奨学金を利用

    い つも元気だった父が体調を崩し、日本育英会(現日本学生支援機構)の奨学金制度を利用させて頂きました。研究のためにアルバイトも出来なかったので、大変 に助かりました。当時の審査は大変に厳しかったのですが、今は保護者の収入が限度以下でしたら、多くの学生は奨学金を利用できるようになりました。これも 公明党の実績です。

    (ブロック塀の調査をしているところを、地元のテレビ局が取材にきました。)

「挫折を経験して」
子供の頃の大工さんになる夢から、教員にと方向転換をしたのも、人生の師の書物を読んでからでした。工業高校の教諭採用試験を3校受験しましたが、全て失敗!大学院で勉強と研究で忙しかったこともありましたが、ショックでした。

大学院修了後、新潟県内の建設会社に勤務しました。

(新入社員研修のヒトコマ。作業着も新品)

 

「人から学ぶ姿勢」と「人の和」の大切さ

3 年間、建築の現場監督を経験。設計図から建物を作るには、多くの人々の協力が必要であることを実感しました。学校で建築を勉強してきたとはいえ、現場は初 めて。親子ほども年上の職人さん達に怒られながらも技術的なことも多くを教わりました。必至に仕事をして、建物が完成した時の喜びは大変に大きいです。

印刷工場新築工事 新潟市 病院新築工事  新潟県柏崎市

割烹 増築工事 新潟県長岡市 石油各抗防雪ハウス新築工事 新潟県長岡市

(現場監督をしているときの写真です。ヘルメットもなじんでいます。)

柏崎の現場写真です。工期も短く、しかも大雪の年に行った工事。

二人の上司が入院したり、体調を崩したりと何かとキツイ現場でした。工期内に無事完成。

 

 

 

 

 


急な転勤で東京へ 昭和61年2月
ある日、建築部長に呼ばれて本社に行くと、「来週から東京支店に行くように。」と言われました。
現場の残務整理があったので、2週間後に東京に来ました。
情報開発室に配属となり、建設業界の動向等調査したり、建設最新技術の資料収集をする仕事です。その後、技術研究開発室に配属となりました。会社の代表とし て建設省(当時) 鉄筋コンクリート造建築物の超軽量・超高層化技術の開発に建築業協会(BCS)の一員として参加し、今では一般となった、鉄筋コンク リート造の超高層建物の研究に携わったことも良い経験です。

(東京支店技術研究開発室にて。少し太っていましたか?)

「一級建築士試験」 持続の大事さを実感!
入社の年に初めて挑戦した一 級建築士の一次試験。入社後3ヶ月目に受験しました。自己採点では合格でしたが、待てど暮らせど合格の通知はきませんでした。2回、3回とも惨敗。4回目 の試験で一次・二次試験に合格!地域の皆さんも大変に喜んでくださいました。諦めずに続けることの大切さをあらためて実感しました。

 

建築の専門学校教員に

平成3年4月から都内にある建築専門学校の教員として教鞭を握りました。

高校を卒業した学生、会社を定年後に入学してきた年上の学生、会社を辞めてまで建築を学びたいという熱意ある人が多くいました。貴重な16年間でした。

  • 1958年生まれ。48歳。新潟県長岡市出身。
  • 金沢工業大学大学院修士課程修了、耐震工学専攻。
  • 一級建築士。
  • 建設会社で建築現場を経て、建築技術の研究と開発に従事。
  • その後、都内の専門学校講師として建築業界を担う若き世代の育成に全力で取組む。
  • 座右の銘は「千里の道も一歩から」。
  • 建築士としての知識と経験を安心で安全な住みよい街づくりのために生かします。
  • 妻と二人暮らし。

  • 学歴

    昭和46年3月 長岡市立 四郎丸小学校 卒業
    昭和49年3月 長岡市立 南中学校 卒業
    昭和52年3月 新潟県立 大手高等学校 普通科 卒業
    昭和56年3月 金沢工業大学 工学部 建築学科 卒業
    昭和58年3月 金沢工業大学大学院 建築学専攻
    修士課程修了耐震工学専攻

  • 職歴

    昭和58年4月 新潟県内の建設会社に入社
    3年間 建築施工管理に携わる
    昭和61年2月 東京支店に転勤
    情報開発室、技術研究開発室に配属
    建設省(当時) 鉄筋コンクリート造建築物の
    超軽量・超高層化技術の開発
    総合技術開発プロジェクト参加 建築業協会
    BCS)の一員として参加

    平成3年4月 東京都内の建築専門学校 講師

  • 公明党江東総支部 南部地域マンション対策委員長。

 

資格 その他

  • 一級建築士 第201151号
  • 防災士 登録No.021799
  • 救命技能認定証(自動体外式除細動器業務従事者)
  • 福祉住環境コーディネーター3級 証書番号 16-3-03249
  • 工業高校教員免許2級 昭五五高二普第252号
  • 建設機械小型
  • コンクリート技師 19003198 合格
  • 剣道初段
  • 東京都防災ボランティア登録 (建築物の応急危険度判定)NO。07-1-14606
  • 甲種防火管理講習修了 第4201754215号

 

 

人物紹介

1、 星座 天秤座
2、 血液型 A型
3、 特技 エクセルで図面を書く
4、 資格 別紙
5、 趣味 散歩  映画鑑賞(ビデオ  特に洋画が好きです。)
6、 好きな曲
サイモン&ガーファンクル   「明日に架ける橋」
友情のすばらしさを歌い上げた曲

ABBA  「ダンシングクイーン」
大学生時代、一人暮しをはじめて最初に買ったレコード

ヴァンゲリス  「炎のランナー」
大学院時代、徹夜をしていたときにラジオから流れていた曲

7、 好きな作家 吉川英治
8、 好きな本 三国志
9、 宝物
ノミ(大工道具) 大工をしていた亡くなった父が使っていたもの。
何年も使いこみ、砥石で研いで短くなっている。
10、 尊敬する人物
野口英世 人々の為に尽くした姿勢が尊いと感じます。
11、 好きな食べ物
ミネストローネ  豚汁  ギョーザ  カレー
のっぺ汁(新潟の郷土料理)
12、 嫌いな食べ物 タコ
子供の頃、蛸を食べてジンマシンになり、以来苦手になりました。
13、健康のために ダンベル体操をしています。
14、 座右の銘 「千里の道も一歩から」
地道な積み重ねが大切だと実感します。

 

.

幼少時代

昭和39年、新潟地震が起きました。長岡市は震源の新潟市からずいぶん離れていましたが、建物が大きく揺れてとても怖かったことを今でも思い出します。

 

小学校時代   夢は大工さん

父が大工さんだったので、身近にはいつも木材がありました。木片を組み合わせて飛行機を作ったりして遊んだ思い出があります。小学校の時の夢は大工さんになることでした。亡くなった父が使っていた「ノミ」を今でも大事に持っています。

(雪が残っている長岡の実家の前で撮影。道路は砂利道、時代を感じます。)

 

 

.
  • 中学校時代 鍛えというイジメに耐えて

    中学校では、剣道部に入り心身ともに鍛えました。わざと防具のないところを打ってくる先輩がいて、1,2年の頃は肘やわき腹はいつもアザだらけでした。体の痛みとともに辛い思い出として記憶に残っています。辛いながらも3年間続けられたのも、良き友人がいたからです。

  • 冬の雪下ろしは家族総出で行いました。2階の屋根で多く積もった所は、胸の辺りまでありました。最近は、雪下ろしをするほど積もらないとか。地球温暖化の影響でしょうか?

    (道路に積もった雪を、除雪車が通ると写真のようになります。)

 

 

.

高校時代  「団結」と「基本」が大事!

高校時代は、以前水泳部だった姉の勧めがあったので、水泳部に入りました。
浮き方から練習→面かぶりクロール→クロールへと「基本の大切さ」を教わりました。
水泳は個人競技ですが、選手とマネージャーが一丸となってクラブ活動に励みました。
すばらしいクラブの顧問の先生と先輩・後輩に恵まれたことに感謝しています。

(水中から少し顔を出しているのが私です。)

 

.

大学へ   「資格をとるように」

高校3年生の夏。卒業後の進路を考え、「大工になる」と父に言うと、「これからは資格が大事だから大学に行って勉強してこい!」といわれました。
大学では建築の構造系を中心に勉強しました。授業のあるときは勉強と製図、レポートと忙しい毎日。夏休みには友人と土方等のアルバイトをしました。

良き学校と良き友人に恵まれて、充実した4年間でした。

(大学のキャンパスで友人達と歓談)

 

.
  • 大学院に  「現場が大事」

    その後、大学院に進 学。 修士論文のテーマは、子供の頃に体験した新潟地震の影響もあり、耐震工学を専攻しました。 建設中の木造住宅60棟を耐震性能の観点から調査。机上 の勉強ではわからないことを沢山学びました。 自分で現場に行き、自分の目で現場を見る大切さを実感しました。大学院でも、良き担当教授とゼミ生に恵ま れ、多忙ながら楽しい2年間でした。
  • 奨学金を利用

    い つも元気だった父が体調を崩し、日本育英会(現日本学生支援機構)の奨学金制度を利用させて頂きました。研究のためにアルバイトも出来なかったので、大変 に助かりました。当時の審査は大変に厳しかったのですが、今は保護者の収入が限度以下でしたら、多くの学生は奨学金を利用できるようになりました。これも 公明党の実績です。

    (ブロック塀の調査をしているところを、地元のテレビ局が取材にきました。)

 

.

 

「挫折を経験して」
子供の頃の大工さんになる夢から、教員にと方向転換をしたのも、人生の師の書物を読んでからでした。工業高校の教諭採用試験を3校受験しましたが、全て失敗!大学院で勉強と研究で忙しかったこともありましたが、ショックでした。

大学院修了後、新潟県内の建設会社に勤務しました。

(新入社員研修のヒトコマ。作業着も新品)

 

.

 

「人から学ぶ姿勢」と「人の和」の大切さ

3 年間、建築の現場監督を経験。設計図から建物を作るには、多くの人々の協力が必要であることを実感しました。学校で建築を勉強してきたとはいえ、現場は初 めて。親子ほども年上の職人さん達に怒られながらも技術的なことも多くを教わりました。必至に仕事をして、建物が完成した時の喜びは大変に大きいです。

 

印刷工場新築工事 新潟市
病院新築工事  新潟県柏崎市
割烹 増築工事 新潟県長岡市
石油各抗防雪ハウス新築工事 新潟県長岡市

(現場監督をしているときの写真です。ヘルメットもなじんでいます。)

 

.

柏崎の現場写真です。工期も短く、しかも大雪の年に行った工事。二人の上司が入院したり、体調を崩したりと何かとキツイ現場でした。工期内に無事完成。

 

.

急な転勤で東京へ 昭和62年2月
ある日、建築部長に呼ばれて本社に行くと、「来週から東京支店に行くように。」と言われました。
現場の残務整理があったので、2週間後に東京に来ました。
情 報開発室に配属となり、建設業界の動向等調査したり、建設最新技術の資料収集をする仕事です。その後、技術研究開発室に配属となりました。会社の代表とし て建設省(当時) 鉄筋コンクリート造建築物の超軽量・超高層化技術の開発に建築業協会(BCS)の一員として参加し、今では一般となった、鉄筋コンク リート造の超高層建物の研究に携わったことも良い経験です。

「一級建築士試験」 持続の大事さを実感!
入社の年に初めて挑戦した一 級建築士の一次試験。入社後3ヶ月目に受験しました。自己採点では合格でしたが、待てど暮らせど合格の通知はきませんでした。2回、3回とも惨敗。4回目 の試験で一次・二次試験に合格!地域の皆さんも大変に喜んでくださいました。諦めずに続けることの大切さをあらためて実感しました。

(東京支店技術研究開発室にて。少し太っていましたか?)