阪神・淡路大震災から30年を刻みました。1995年の春、当時17歳だった公明党の山根悟・郡山市議が神戸でボランティアに参加した時の手記を紹介します。
私は神戸の東灘区で生まれ、そこに暮らす祖父母の家へ小学生の頃は毎年夏休み、泊まりに行くのが楽しみでした。神戸には、幼心にも良い思い出が残っています。
30年前の1月17日早朝、母に起こされるとテレビには変わり果てた神戸の光景が映っています。当時、私は17歳で宮城県名取市に家族と暮らし、宮城工業高等専門学校(現・仙台高専)2年生。「神戸に恩返しがしたい」。春休み、祖父母が住む東灘区へボランティアに行こうと決めました。
<3月11日。2時間遅れで、夜行バスが到着。(JR大阪環状線)内回りに乗って天王寺~大阪まで出て、神戸線で住吉まで出てきた。芦屋あたりから壊れている家が目立ってきた……>。あの時、書いた日記【<>に一部抜粋】を大事に持っています。
東灘区役所でボランティアに登録。渦が森小学校の避難所を担当することになり、電話番や炊き出し、子どもの遊び相手などをしました。
全国から真心の支援物資が数多く寄せられた一方、仕分けと配布が追いつきません。粉ミルクや生理用品、食料を必要とする避難者へお届けできないこともありました。
<3月27日。山根家も解体した。無残だった。おじいちゃんは悔しそうだった>。
祖父の顔を見て悲しくなりましたが、親戚全員が無事で安心しました。27日間を通して命の大切さを強く実感。日記の最後には、活動させていただいたことへの感謝をつづりました。
大学卒業後、ラーメンチェーン大手の「幸楽苑」に就職。2011年3月11日、東日本大震災が発生した時は、京都に勤務していました。「東北復興の一助に」との思いで働き、14年には福島へ。15年8月の郡山市議選で初当選。その後、同市議会議員初となる防災士を取得しました。
阿武隈川流域にある郡山市は、水害のリスクと隣り合わせ。私は神戸でのボランティア経験を生かし、避難所の備蓄品管理体制の整備や災害弱者の支援強化、防災アプリ導入を進めてきました。
1・17、3・11を忘れることなく自然災害から住民の命を守る防災・減災対策、コミュニティー構築に注力します。
掲載日:2025/01/26
