(結党60年「日本の柱」公明党 原点から未来へ)平和の党/「非核三原則」を国是に/政党外交で対話の扉開く #公明新聞電子版 2024年09月26日付
公明党は結党以来、「中道主義」として、生命・生活・生存を最大に尊重する「人間主義」の理念を政治に反映させる闘いに挑み続けてきた。公明党が「平和の党」と言われるのは、人間主義の理念の下、生命の尊厳に対する脅威から国民を守る闘いの積み重ねがあったからにほかならない。例えば、対話外交を積極的に展開し、国際社会の平和と安定に貢献。安全保障政策では、専守防衛の理念から逸脱しないよう“歯止め役”を担ってきた。
■専守防衛の理念堅持し安保政策で“歯止め”も
平和の党・公明党の原点の一つは、1969年に本土復帰前の沖縄で実施した米軍基地の総点検だ。これにより、政府も把握していなかった基地の数や核兵器の所在が判明。総点検の結果を基に、沖縄返還協定が審議された71年の国会で、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という「非核三原則」を国是とする付帯決議を実現させた。
さらに、日中国交正常化に道筋を付けるなど独自の政党外交を展開。2013年1月に党訪中団が中国共産党の習近平総書記と会談したのは、民主党政権時に閉ざされていた日中の対話の扉を開き、首脳会談実現に向けた大きな一歩になった。
■平和安全法制で日米の信頼向上
こうした取り組みの中で、特に「平和の党」としての真価を発揮したのが2015年9月に成立した平和安全法制だ。
日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増し、一国だけでは自国の防衛を担うことができない中、足かけ3年にわたる議論を積み重ね、幅広い合意形成をリードした。
平和安全法制によって、平時から有事まで隙間のない安全保障体制を整備。日本を守るために活動する米軍部隊が攻撃を受けた場合、自衛隊が防護できるようになったことで、日米同盟の信頼性が大きく向上した。
一方で、自衛権行使の「新3要件」を規定し、憲法の下で許される「自衛の措置」の限界を明確にした。自衛隊の武力行使が「他国防衛」ではなく、あくまでも「自国防衛」の範囲内になるよう厳格な歯止めをかけた。
憲法の平和主義に基づき、現実的な結論を導いた公明党の取り組みについて、静岡県立大学の小川和久特任教授は「自衛隊が外国で戦争をすることなく、専守防衛を堅持しつつ、日米同盟をフルに機能させる方向へ大きな一歩を踏み出したのが平和安全法制だ。現実的な安全保障政策を進める公明党が連立政権にいたからこそできた」(22年5月22日付公明新聞)と評価している。
■来春をめどに党ビジョン策定
公明党は、戦後80年の節目を迎える来年春をめどに「平和創出ビジョン」を策定し、核廃絶や気候変動、国連の持続可能な開発目標(SDGs)など地球規模の課題解決に向けた道筋を示す。その中では、アジアに多国間の安全保障対話の常設機関をつくることも提案する方針だ。
公明党は紛争を防ぐための対話・外交力の強化にさらに注力し、これからも日本と国際社会の平和と安定のために取り組みを推進していく。
■主な取り組み
1968年 「在日米軍基地総点検」が各地でスタート
69年 沖縄米軍基地総点検の結果を発表
71年 第1次党訪中団が周恩来総理と会談
同年 「非核三原則」を国是とする国会決議
72年 日中国交正常化
81年 第19回党全国大会で新安全保障政策を発表
92年 国連平和維持活動(PKO)協力法が成立
2008年 クラスター弾の禁止条約が採択、日本政府も署名
13年 第6次党訪中団が習近平総書記と会談
15年 平和安全法制が成立
22年 安保関連3文書の改定を閣議決定
同年 党訪韓団、尹錫悦大統領と会談
23年 防衛装備移転三原則と運用指針を改定