(文化遺産とまち=45)沖縄県・宜野座村立博物館㊦/民話や沖縄戦史を紙芝居で継承/文化と地域デザイン研究所代表 松本茂章 #公明新聞電子版 2024年12月15日付
「八月あしび」と呼ばれる宜野座村・宜野座区の豊年祭は2年に1度、旧暦の8月15日頃に催され、地域の神に伝統芸能が奉納される。2005年には文化庁が同あしびを「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択。村教委では「次は国の無形文化財に」と期待する。
村立博物館は地域の無形文化財を調査。民話を収集して紙芝居にする取り組みを続ける。冊子「昔話編」(1985年)と同「伝説編」(87年)を発行した。村教委主幹の田里一寿(学芸員)によると、同館初代学芸員と当時の学校図書館司書らによって始められ、現在まで継続している。紙芝居は約10枚の絵で構成。計39作品を制作した。絵は主に「絵心のある村民や村の出身者にお願いしている」(田里)。紙芝居は同館講堂で上演されたり、小中学校に出向いて披露されたりする。プロジェクターで映像を投影することもある。子どもたちに村の歴史を語り継ぎたいと願うからだ。
民話に加えて、同館では沖縄戦に関連する調査を行い、当時の様子を描いた「戦争難民であふれた村」などの紙芝居も制作している。村内では米軍野戦病院や難民収容所が設けられた。同村人口は現在6000人余り。対して沖縄戦の直後は、沖縄島中南部からの疎開者や米軍の民間人捕虜が暮らしたので、「約10万人の人々が収容された」という。収容所と言っても、実態は空き家になった地元住民の民家や米軍が用意したテントなどに肩を寄せ合って住み込んだ。飢えや病気等で亡くなった人もおり、収容民の共同墓があった。共同墓地の遺骨収集では墓標等が収集され、館内に展示されている。
同博物館のそばにある野球場では、2003年以降、阪神タイガースの春季キャンプが行われ、大いに賑わう。2月には同館を訪れる野球ファンの姿が見られる。(敬称略)
「平和の文化」を沖縄から/金城氏、首里城正殿の再建後押し/那覇市で街頭演説会 #公明新聞電子版 2024年11月03日付
公明党の金城泰邦沖縄方面副本部長(衆院議員)は2日、党県本部(代表=上原章県議)が「文化の日」(3日)に先立って那覇市で開催した街頭演説会に参加し、県議、那覇市議と共に文化芸術振興への決意を訴えた。
まず金城氏は、先の衆院選で比例九州・沖縄ブロックから2回目の当選を果たしたことを報告し「沖縄人の議員として国会に戻してもらった感謝を胸に、『沖縄の声』を国政のど真ん中に届けていく」と力説した。
その上で、2019年に焼失した首里城(那覇市)の再建が進む現状に触れ、26年の正殿完成が円滑に進むよう後押しする決意を表明。さらに「沖縄の文化は『平和の文化』だ。世界に誇る文化・芸術を国内外へ発信するため、さらに力を尽くす」と強調した。
上原県代表は、琉球国王の世継ぎの屋敷であり、沖縄戦で破壊された「中城御殿」(同市)の再建工事が始まるとして「公明党が推進してきた、首里城周辺にある文化資源の段階的整備が進む。沖縄の歴史と多様な文化を発信する、より所としていきたい」と述べた。
(結党60年「日本の柱」公明党 原点から未来へ)平和の党/「非核三原則」を国是に/政党外交で対話の扉開く #公明新聞電子版 2024年09月26日付
公明党は結党以来、「中道主義」として、生命・生活・生存を最大に尊重する「人間主義」の理念を政治に反映させる闘いに挑み続けてきた。公明党が「平和の党」と言われるのは、人間主義の理念の下、生命の尊厳に対する脅威から国民を守る闘いの積み重ねがあったからにほかならない。例えば、対話外交を積極的に展開し、国際社会の平和と安定に貢献。安全保障政策では、専守防衛の理念から逸脱しないよう“歯止め役”を担ってきた。
■専守防衛の理念堅持し安保政策で“歯止め”も
平和の党・公明党の原点の一つは、1969年に本土復帰前の沖縄で実施した米軍基地の総点検だ。これにより、政府も把握していなかった基地の数や核兵器の所在が判明。総点検の結果を基に、沖縄返還協定が審議された71年の国会で、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という「非核三原則」を国是とする付帯決議を実現させた。
さらに、日中国交正常化に道筋を付けるなど独自の政党外交を展開。2013年1月に党訪中団が中国共産党の習近平総書記と会談したのは、民主党政権時に閉ざされていた日中の対話の扉を開き、首脳会談実現に向けた大きな一歩になった。
■平和安全法制で日米の信頼向上
こうした取り組みの中で、特に「平和の党」としての真価を発揮したのが2015年9月に成立した平和安全法制だ。
日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増し、一国だけでは自国の防衛を担うことができない中、足かけ3年にわたる議論を積み重ね、幅広い合意形成をリードした。
平和安全法制によって、平時から有事まで隙間のない安全保障体制を整備。日本を守るために活動する米軍部隊が攻撃を受けた場合、自衛隊が防護できるようになったことで、日米同盟の信頼性が大きく向上した。
一方で、自衛権行使の「新3要件」を規定し、憲法の下で許される「自衛の措置」の限界を明確にした。自衛隊の武力行使が「他国防衛」ではなく、あくまでも「自国防衛」の範囲内になるよう厳格な歯止めをかけた。
憲法の平和主義に基づき、現実的な結論を導いた公明党の取り組みについて、静岡県立大学の小川和久特任教授は「自衛隊が外国で戦争をすることなく、専守防衛を堅持しつつ、日米同盟をフルに機能させる方向へ大きな一歩を踏み出したのが平和安全法制だ。現実的な安全保障政策を進める公明党が連立政権にいたからこそできた」(22年5月22日付公明新聞)と評価している。
■来春をめどに党ビジョン策定
公明党は、戦後80年の節目を迎える来年春をめどに「平和創出ビジョン」を策定し、核廃絶や気候変動、国連の持続可能な開発目標(SDGs)など地球規模の課題解決に向けた道筋を示す。その中では、アジアに多国間の安全保障対話の常設機関をつくることも提案する方針だ。
公明党は紛争を防ぐための対話・外交力の強化にさらに注力し、これからも日本と国際社会の平和と安定のために取り組みを推進していく。
■主な取り組み
1968年 「在日米軍基地総点検」が各地でスタート
69年 沖縄米軍基地総点検の結果を発表
71年 第1次党訪中団が周恩来総理と会談
同年 「非核三原則」を国是とする国会決議
72年 日中国交正常化
81年 第19回党全国大会で新安全保障政策を発表
92年 国連平和維持活動(PKO)協力法が成立
2008年 クラスター弾の禁止条約が採択、日本政府も署名
13年 第6次党訪中団が習近平総書記と会談
15年 平和安全法制が成立
22年 安保関連3文書の改定を閣議決定
同年 党訪韓団、尹錫悦大統領と会談
23年 防衛装備移転三原則と運用指針を改定
(手記)韓日国会の市民社会未来対話に参加して/「核なき世界」の信念共有/秋野公造参院議員 #公明新聞電子版 2024年09月19日付
韓国国会に設置されている未来研究院などが主催し、9月3日に行われた「朝鮮半島核戦争回避の未来と国会 韓日国会―市民社会未来対話」に日本の与党国会議員を代表して出席しました。
議論の背景には、韓国国民の核武装に対する考え方に関する調査で、核保有に賛成する回答が直近で約6割を占める状況があります。しかし、経済制裁や韓米同盟の破棄などの可能性を示すと、核保有に賛成する割合はおよそ37%に下落します。無論、核保有は韓国が批准する核不拡散条約に反することになります。
それでも、この数字は唯一の戦争被爆国・日本にとっては極めて高く感じる一方で、隣国が核戦争の脅威を身近な問題として捉えていることを理解する必要があります。
■非人道性など「被爆の実相」土台にした議論呼び掛け
私は、「東アジア核戦争予防のための未来戦略」と題し、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の川崎哲国際運営委員が座長を務めたパネルディスカッションに、韓日国会議員とNPOの代表者らと共にパネラーとして登壇。被爆の実相を踏まえた議論の必要性を訴えました。
主には、①一瞬で全てを奪う核兵器の残虐性②強い熱線と爆風、その後の放射線障害を伴う原爆の非人道性③国史跡・城山小学校などの被爆遺構が物語る科学で説明できない不条理――などを説明。さらに、核兵器がある限り、間違って使用され得る可能性について、キューバ危機の際には、沖縄に配備された核ミサイル発射施設で発射寸前に至った史実を通じて伝え、「核兵器のない世界」の重要性を強調しました。
日本にいると知り得ないことですが、韓国は北朝鮮と誠実に対話する準備を整えていました。NPOの代表から、日韓が力を合わせることを期待する発言もあり、心通わせる対話の力を実感しました。公明党の一員として、日韓友好と核兵器のない世界の実現に力を尽くす決意です。
平和創出は公明の使命/党委員会、ビジョン策定へ議論開始/山口代表が出席 #公明新聞電子版 2024年08月29日付
公明党平和創出ビジョン策定委員会(委員長=谷合正明参院幹事長)は28日、衆院第2議員会館で初会合を開き、「戦後80年」の節目を迎える来年の春をめどに発表をめざす同ビジョンの策定に向け議論を開始した。
会合の冒頭、山口那津男代表は、ビジョン策定の意義を確認し「平和は、公明党が結党以来、追求してきた大きな政策目標の一つだ」と強調。これまで党が核廃絶や気候変動、国連の持続可能な開発目標(SDGs)の達成に取り組んできたことに触れ「それぞれの要素を深める“縦糸”と、これらを総合する“横糸”を紡ぎ出していく必要がある。『戦後80年』をターニングポイント(転換点)にできるよう全力を尽くす」と訴えた。
その上で、具体的な検討テーマとして、公明党が長年推進してきた地雷除去支援や、アジア諸国の海上保安職員の能力向上を支援する「海上保安政策プログラム」の継続・強化を加えるよう提案。さらに、「多国間の安全保障対話の枠組みは、これからの時代、極めて重要だ。アジアにも、欧州諸国を中心に米国やロシアも加盟する欧州安保協力機構(OSCE)をモデルにした対話の常設機関を公明党の推進でつくっていくべきだ」との考えを示した。
会合では、ビジョン策定に関連する各委員会などが、これまでの取り組みや今後の課題などについて報告した。
(戦後80年)平和創出ビジョン策定へ/核廃絶、気候変動、SDGsなど地球規模の課題道筋示す/党ビジョン検討委員長 谷合正明参院幹事長に聞く #公明新聞電子版 2024年08月26日付
公明党は、戦後80年の節目を迎える来年の春をめどに、核廃絶や気候変動などを柱とする「平和創出ビジョン」を策定する。ビジョン策定の意義や取り組みについて、谷合正明・党平和創出ビジョン検討委員長(参院幹事長)に聞いた。
■経験と実績を基に10年先の時代展望
――なぜ党としてビジョンを策定するのか。
谷合正明委員長 近年、国際社会は、戦争による人道危機や核兵器使用リスクの増大、気候変動など、人間の生命や尊厳を脅かす複合的な危機に直面しています。複雑化する地球規模の課題解決には多国間の協調が不可欠ですが、ルールに基づく国際秩序の根幹が揺らぐ厳しい状況です。
そうした中、非軍事による国際協力に徹し、国際社会から厚い信頼を得てきた日本の役割、期待は大きくなっています。その日本の政権与党である公明党が、10年先の時代を見据えた総合的な外交ビジョンを示すことは重要です。結党以来、「平和の党」として、「人間の安全保障」に基づく平和外交に取り組んできた経験と実績を生かしてしっかりとした展望を示し、「戦後80年」「被爆80年」「国連創設80年」の節目に、今再び平和の潮流をつくり出していきたいと考えています。
――ビジョンの柱は。
谷合 ①核廃絶②気候変動③国連の持続可能な開発目標(SDGs)④人工知能(AI)⑤教育・若者・女性――を中心とする五つです。
核廃絶に向けては、核軍縮こそ最大の安全保障であることを論理立てて訴えていく必要があります。そのためにも核兵器不拡散条約(NPT)の2026年再検討会議に向けて、核保有国による「核の先制不使用」や、非保有国を核攻撃しない「消極的安全保障」に関する議論を促していきたいと考えています。
同時に、日本政府もゴールと位置付けている核兵器禁止条約への関与を核保有国にも広げていくことが重要です。まずは日本自身が締約国会議にオブザーバーとして参加し、核保有国と非保有国の橋渡し役を果たしていくことを強く求めます。
――気候変動やSDGsについては。
谷合 気候変動対策は一刻の猶予も許されず、今後10年の取り組みが最も重要です。2050年までに温室効果ガスの排出量を実質ゼロにする「カーボンニュートラル」の実現に向け、次期削減目標に関する議論も踏まえつつ、中期的なビジョンを提示していきます。
SDGsについても党として推進本部を設置し、これまで国と地方を挙げて取り組みを進め、力を入れる自治体も広がってきました。しかし30年の目標達成には、もう一段ギアを上げなければなりません。9月に行われる国連の未来サミットでの議論も踏まえ、「ポストSDGs」を含む具体的な取り組みを進めていきたいと考えています。
■党ネットワーク生かし青年・女性の声を反映
――どのように策定作業を進めていくのか。
谷合 平和創出に向けた取り組みにおいて、若者や女性は重要なステークホルダー(利害関係者)であり、アクター(主体者)です。多様性、公平性、包摂性を重要な理念とし、党青年委員会で実施している「ユースディスカッション」などと連動して、青年や女性と対話し、NGO(非政府組織)や企業など市民社会の声も反映させながら、一緒にビジョンを作り上げていきたいと考えています。
また、公明党のネットワークを生かし、広島・長崎・沖縄など各都道府県本部と連携して、地方自治体による平和への取り組みも推進していく予定です。来春をめどにビジョンを取りまとめていきます。
(土曜特集)ODA70年、日本の歩みとこれから/政策研究大学院大学 大野泉名誉教授に聞く #公明新聞電子版 2024年08月10日付
貧困や病気、インフラ整備など途上国が抱えるさまざまな課題の解決をめざすODA(政府開発援助)。日本がODAを開始してから今年10月で70年を迎える。昨年にはODAの指針となる「開発協力大綱」が改定され、日本の強みを生かした協力を積極的に提案する「オファー型協力」を強化した。ODAのこれまでの成果や今後の展望について、政策研究大学院大学の大野泉名誉教授に聞いた。
■(成果)共に学び寄り添う協力/国際社会で信頼を築く
――ODAの70年を振り返って。
大野泉名誉教授 日本の国際協力は途上国の経済発展や人材育成に大きく寄与した。何よりも、戦後、平和国家として再出発した日本が、国際協力を通じて国際社会における信頼を築いたことは特筆すべき成果だ。
日本が援助を始めたのは1954年。第2次世界大戦が終わってサンフランシスコ平和条約を締結し、国際社会に復帰するという過程だった。日本は戦争で近隣のアジアをはじめ、諸外国の国民に多大な苦しみを与えた。深い反省のもと、ODAは非軍事的な手段で国際貢献する重要な役割を担ってきた。
戦後賠償期、ODA拡充期、最大の援助国となりアフリカなどアジア以外の地域への開発協力も積極化するようになった時期、そして世界の相互依存が進む今日など、国際協力の背景は時代ごとに変化したが、日本は一貫して、世界の繁栄と安定、平和に貢献してきた。シンガポールの研究所の調査によれば、日本は6年連続で東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国から最も信頼できる外国パートナーとみられている。他の多くの国々でも日本への信頼は厚い。
――日本の開発協力の特徴は。
大野 途上国の固有性を重視していることだ。具体的には、途上国の発展に向けて特定のモデルを当てはめるのではなく、技術や制度をその国に合うように修正して適応していく手法だ。いろいろな選択肢を示し、その国に適した政策を共に考えていく。私はこれを「翻訳的適応」と呼んでいる。
現場主義で寄り添い型の協力も強調したい。物事が起こる現場に入り、上から目線ではなく相手と共に解決策を考える。こうしたアプローチは高く評価されている。私は2008年から23年にかけて、エチオピアで産業発展の支援に携わってきたが、現地の人は政策アドバイスに加え、“カイゼン”のようにボトムアップ、全員参加で生産現場を良くしていく日本ならではのやり方に関心を持っていた。
――そうした特徴の背景は。
大野 開発を学び、伝えてきた日本自身のユニークな視点と経験がある。
日本は自らが後発国で「学ぶ側」としての経験を蓄積してきた。古くは幕末・明治維新に海外から知識や技術を学び、自分たちの文化を維持しながら日本流にアレンジしてきた。戦後は焼け野原からの復興過程で世界銀行や米国から援助を受けて学びながら、同時に途上国への援助を始めた。
70年にわたる途上国協力を通じて、開発のやり方を「伝える側」としても豊富な経験を持ち、相手国の人材育成や人脈の構築を進めてきた。
開発にとって重要なのは何の政策を打ち出すか(WHAT)よりも、効果的な政策の作り方(HOW)についての助言だと思う。日本は、学び伝える“二重の経験”から生まれた翻訳的適応の視点を、効果的な国際協力に向けて途上国や国際社会に積極的に発信していくべきだ。
■(課題)気候変動、災害など複雑化/発想を援助から“共創”に
――今後の課題は何か。
大野 ODAの主目的は途上国の開発や持続可能な社会構築への貢献だが、援助から“共創”へ大きな発想の転換が必要だ。三つの理由がある。
一つ目は「南北問題」を超えた関係構築の必要性だ。気候変動や災害、感染症など開発課題が複雑化、広域化している。もはや先進国が過去の経験だけで途上国にアドバイスできる時代ではない。またデジタル技術を使えば、いろいろなことを途上国で社会実装でき、先進国もそこから学ぶことができる。対等なパートナーとして共に学び合う時代になっている。
二つ目が社会課題の解決における民間アクター(主体)の役割の拡大だ。政府や自治体など伝統的な公共セクターのみならず、企業や市民、NPOの活動が盛んになっている。社会起業家に関心を持つ人たちは世界中で増えており、日本でも、例えば海外協力隊の経験者で起業、活躍している若い世代によく会う。官民が協働する場が広がっており、このチャンスを生かすべきだ。
途上国に流れる資金の量的にもODAより民間資金の方が多くなった。先日、有識者で取りまとめた政府への提言でも、ODAを触媒として、途上国の社会課題解決に向けて民間の投資活動が活発になるような仕組みの創設を提案している。多様な民間アクターとどう良い連携を図るかが重要だ。
――三つ目の理由は。
大野 国際協力と多文化共生の接点の広がりだ。少子高齢化が進行する日本にとって、外国人材は共に日本の社会や経済を支えていく存在でもある。語学や生活面のサポート、災害対応をはじめ、外国人が日本で働き、生活しやすい環境づくりが求められている。
国際協力は遠い途上国でやるものと思われがちだが、その現場は国内でも広がっている。地域や市民が主体となった国際協力をもっと進めていくべきだ。
■(展望)人材のネットワーク生かし、平和構築へ支援の輪広げよ
――国際協力の展望をどう考えるか。
大野 日本がこの70年で培ってきた現地の人とのネットワークは財産だ。そうした人たちと一緒に、他の国にも協力していく新しい仕組みを作るべきだ。長年の国際協力で人脈と信頼を築いてきた日本だからこそ、できる取り組みではないか。
先月、上川陽子外相、公明党の山口那津男代表が訪問したカンボジアと日本政府は、第三国での地雷除去を進めるため国際協力チームを新設し、ウクライナへの地雷除去支援を共同で行うことになった。これは、かつて日本が平和構築支援で地雷除去を行ったノウハウがカンボジアに蓄積されているからだ。
日本単独でなく、日本と過去に協力してきた国々と一緒になって今の世界の課題や平和構築に取り組んでいく。これも共創だ。そういう仕組みを作っていけば、日本と共に世界のために行動したいという国々が増えるだろう。特にASEANには長年築いてきた信頼の歴史があるので、できるところから戦略的に考えていくべきだ。
――政府への要望は。
大野 ODAに対する国民の理解度・認知度を高める取り組みを求めたい。SDGs(持続可能な開発目標)と比べてもODAの認知度は低いのが現状だ。
ODAに関する世論調査を見ても日本の景気状況によって評価が左右される。東日本大震災の時、途上国を含む多くの国が日本を支援してくれた。一方で、その信頼がODAによって築かれてきたことが十分に認識されていない。ODAが果たしてきた役割やその意義を国民にしっかり発信する必要がある。
また、国際協力の現場が国内にも広がる今、市民が提案し参加しやすい仕組みづくりなど、工夫してはどうか。気候変動や感染症など、途上国と日本が共通に直面する課題が増えている。海外と日本の市民・NPOが解決策を共有し、お互いに学び合うことをODAで支援することも重要だ。
おおの・いずみ 国際協力事業団(現在のJICA)、世界銀行、海外経済協力基金、国際協力銀行で途上国の国造りを支援する仕事に携わった後、2002年から政策研究大学院大学教授。24年4月から現職。18年から2年間、JICA緒方貞子平和開発研究所長。外務省「開発のための新しい資金動員に関する有識者会議」座長。
(解説ワイド)核軍縮の機運、醸成できるか/NPT(核兵器不拡散条約)再検討会議へ準備委開催 #公明新聞電子版 2024年08月14日付
世界のほぼ全ての国が参加し、核軍縮を進めていく国際的な枠組みである核兵器不拡散条約(NPT)の運用状況を見直す、5年に1度の再検討会議が2026年に開かれる。これに先立ち、第2回準備委員会が先月22日から今月2日まで、スイスのジュネーブで開かれ、再検討会議に向けた論点を整理し、成果文書となる議長総括を公表した。これには、日本の主張の多くが反映されている。
■議長総括で各国が歩み寄る
NPTの再検討会議における交渉は停滞している。
10年の再検討会議で、核兵器の非人道性に対する憂慮に加え、核軍縮や不拡散、原子力の平和的利用に関する64項目の行動計画を盛り込んだ最終文書が採択されたものの、それ以降、合意に至ることができず、交渉は決裂に終わっている。
15年の再検討会議では、核兵器を保有しているとみられるイスラエルと、秘密裏に核兵器を開発していると疑われているイランを含む中東地域において、核兵器など大量破壊兵器(WMD)のない地帯(非WMD地帯)の創設を巡り、意見が一致せず、最終文書の採択に至らなかった。
新型コロナウイルス感染症の世界的なまん延の影響で、22年8月に開催が延期された再検討会議では、ウクライナを侵略しているロシア軍が、ウクライナ南部のザポロジエ原発を占拠していることに対して、最終文書に、同原発からの「ロシア軍の撤退」と「ウクライナ当局による管理の確保」を求める文言が盛り込まれたことにロシアが反発。またしても、最終文書を採択できずに終わった。
それだけに、26年の再検討会議では、最終文書を何としても採択することがめざされている。
再検討会議に先立ち、3年間にわたり、毎年1回の準備委員会が開かれる。
昨年の第1回準備委員会では、再検討会議での議論のたたき台となる成果文書である議長総括をまとめられなかった。今回の第2回準備委員会では、カザフスタンのラフメトゥリン外務第1次官が議長を務め、議長総括を公表することができたという点で、各国が歩み寄れたと評価されている。
■ウクライナ巡りロシア難色も
ただ、議長総括には、ザポロジエ原発がロシア軍に占拠されていることに対する懸念も明記されており、ロシアが難色を示している。
そのため、ロシアの提案により、議長総括の冒頭に「この文書は合意された文言を盛り込んでおらず、各国の合意を反映しているわけでもなく、合意が得られたと見なすこともできない」との一文が挿入されている。
■「誠実な交渉義務」の履行強調
今回の議長総括で、特に強調されているのが、全ての締約国に「誠実に核軍縮交渉を行う義務」を課したNPT第6条の確実な履行である。
今や、核兵器保有国は、速やかに核兵器を使用できる態勢を整えることに力を入れている。その背景には、ウクライナへの侵略に伴い、ロシアが核兵器の使用も辞さない構えを見せており、米国などが対応を迫られていることがある。また、中国も核戦力の増強を進めている。
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の推計によると、今年1月の時点で、米国、ロシア、英国、フランス、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮の9カ国が保有する核弾頭の総数は1万2121発に上るという。ただ、米国などが老朽化した核弾頭の解体作業を進めている影響で、世界の核弾頭の総数は減少傾向にあるとSIPRIは指摘している。
問題は、ミサイルに搭載されるなどして、すぐにでも使用できる状態にある配備核弾頭の数が増えていることだ。
SIPRIの推計では、今年1月の時点での世界の配備核弾頭の総数は3904発で、米国が1770発、ロシアが1710発と際立って多く、フランスが280発、英国が120発、中国が24発と続いている。
21年1月の時点で3825発だった世界の配備核弾頭の総数は、22年1月の時点で3732発といったんは減ったものの、同2月24日にロシアによるウクライナへの侵略が始まり、23年1月の時点で3844発と増加に転じた【グラフ参照】。
このような状況の中、核軍縮に向けた国際的な機運を、あらためて醸成していくことが喫緊の課題となる。
■日本、新規製造防ぐ条約推進
NPT第6条の履行につながる「現実的かつ実践的な取り組み」として、▽あらゆる場所での核爆発を伴う実験を禁じた「包括的核実験禁止条約」(CTBT)の発効▽核兵器の製造に用いられる高濃縮ウランやプルトニウムなどの生産を禁じる「核兵器用核分裂性物質生産禁止条約」(FMCT)の成立――の二つがある。
CTBTが発効し、核実験が禁止されれば、新型の核兵器開発や老朽化した核兵器の改良などが行えなくなり、核兵器の質の向上を阻止できる。一方、FMCTは新規の核兵器製造を不可能にさせる条約であり、核兵器の数量の増加に歯止めをかける。
CTBTの発効要件は、核兵器保有国と潜在的な核兵器開発能力を持つ全ての国の批准である。しかし、米国、中国、エジプト、イラン、イスラエルはCTBTに署名しているものの批准はまだで、北朝鮮、インド、パキスタンは署名もしていないため、未発効となっている。
ロシアも昨年11月、CTBTの批准を撤回した。
第2回準備委員会で日本は、CTBTを早期に発効させるための外交努力の必要性を訴えるとともに、いまだに始まっていないFMCTの成立に向けた国際交渉の開始を強く求めた。来月には、米ニューヨークの国連本部で、FMCTの成立に賛同する国の首脳級会合が日本の主催で開かれる予定だ。
■多くの国が先制不使用求める
議長総括には、第2回準備委員会で、多くの国が「先制不使用」など、核兵器の使用を抑制するための公約を掲げることを核兵器保有国に要請したことが明記されている。
先制不使用は、核兵器で攻撃されない限り、保有国は核兵器を使わないとする原則だ。公明党創立者である池田大作創価学会第3代会長が22年7月に、同8月開催のNPTの再検討会議に向けた緊急提案の中で、先制不使用の明確な誓約を行うことを米英仏ロ中の核兵器保有5カ国に求めたことが想起される。
また、核兵器禁止条約が、核兵器の使用や実験による被害者の援助と放射能汚染地域の環境修復を義務付けていることについても、第2回準備委員会で議論になった。被害者の援助と環境修復は、昨年12月に採択された国連総会決議でも要請されており、実施することが重要であるとNPT締約国の多くが指摘していたことも議長総括で示されている。
(土曜特集)世界遺産に佐渡島の金山/17世紀、世界有数の生産量/幕府の財政支え国外にも影響 #公明新聞電子版 2024年08月24日付
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は7月27日、新潟県佐渡市の「佐渡島の金山」を世界文化遺産に登録した。登録を巡っては、韓国から「朝鮮半島出身者らが強制労働させられていた場所だ」との反発もあったが、最終的には日韓で合意を得て、全会一致で採択された。同金山の概要などを紹介するとともに、今回の登録の意義や世界遺産が果たす役割などについて、元ユネスコ事務局長の松浦晃一郎氏に聞いた。
<概要>
佐渡島の金山は17世紀に、世界有数の質と量の金が生産された日本最大の鉱山遺跡で、「西三川砂金山」と「相川鶴子金銀山」から構成される。江戸幕府の管理の下、19世紀半ばまで手作業による鉱石採掘や小判製造などが行われた。鎖国下で国外からの技術や知識が制限された中、日本各地から鉱山の専門技術者を集めて技術を結集した。
鉱床が山に対して横向きに分布する西三川砂金山では、砂金を含む山を人力で掘り崩した後、堤にためた水を一気に流して土砂を洗い流す「大流し」の手法で砂金を採取した。
これに対して鉱床が縦に広がる相川鶴子金銀山では、排水や換気などの課題を解決する掘削・測量技術が発達。人々が競い合って山を削った跡がV字型で残る「道遊の割戸」は象徴的な光景だ。
文化庁によると、佐渡島の金山の金の生産量は17世紀前半に世界の1割を占め、最高純度は機械や化学薬品を用いた西洋のものよりも高い99・54%。「伝統的な手工業による金生産システムの最高到達点」と称される。佐渡島の金山で生産された金は、江戸幕府の財政基盤となり、さらに世界経済にまで影響を与えていたという。
世界文化遺産の登録に向けては、2010年に国内推薦候補の「暫定リスト」入り。21年末に国の文化審議会が推薦候補に選んだものの、戦時中に朝鮮半島出身者が過酷な環境で働いていたことから、韓国政府が撤回を求めていた。
<インタビュー>
■(登録の意義は)元ユネスコ事務局長 松浦晃一郎氏に聞く
■伝統的な手工業が評価
――佐渡島の金山が世界文化遺産に登録された意義は。
松浦晃一郎・元ユネスコ事務局長 世界遺産に登録されるためには「顕著な普遍的価値」、つまりは「誰が見ても人類共通の宝として納得できる世界的な価値」があると認められなければならない。佐渡島の金山は、世界各地で鉱山の採掘が機械化されていく中で、日本の伝統的な手工業による生産技術を極限まで高めた点が評価された。
江戸時代の17世紀前半には世界の金の約1割を生産したとも言われ、人類の歴史の中で非常に大規模な金山と位置付けられる。
さらに、ヴェネツィアの商人マルコ・ポーロが著書『東方見聞録』に記した「黄金の国ジパング」というイメージにも合っているので、国際的に注目されているのではないか。
■地域住民の主導で登録の機運高める
素晴らしいと思ったのは、佐渡島の金山の価値を認識した住民の有志が「世界遺産にする会」を立ち上げ、地元主導で佐渡市や新潟県、政府を巻き込みながら登録への機運を高めていったことだ。私もユネスコの事務局長を退任した後に現地を視察したが、地域で盛り上げていこうという熱意を強く感じた。
次のステップとしては、遺産を保全するとともに国内外への広報宣伝活動を通じて、佐渡島の金山の価値をより多くの人に知ってもらう努力が必要になるだろう。
■日韓政府の合意に安堵
――当初反発していた韓国とは、朝鮮半島出身者を含めた鉱山労働者の過酷な環境を説明する展示を設けることで合意した。
松浦 世界文化遺産としての対象期間は江戸時代までだが、金山での作業はその後も続けられており、特に第2次世界大戦中は朝鮮半島出身者が厳しい環境で働いていた歴史的な事実がある。
ユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議」(イコモス)からは、世界遺産としての価値が認められる期間以外も含めた「フルヒストリー」で金山の歴史の展示や説明をするように勧告されていた。
私も、世界遺産登録に当たっては客観的な資料に基づいた説明が必要と表明してきたので、日韓の交渉が合意に至ったことに安堵している。韓国の賛同を得られたおかげで、慣例である全会一致での登録決定が実現し、完全な形で世界的な価値が認められたと言える。
■フルヒストリーで金山の歴史伝えよ
一方、今後の取り組みには注意が必要だ。2015年に世界文化遺産に登録された「軍艦島」の通称で知られる長崎市の端島炭坑を含む「明治日本の産業革命遺産」では、フルヒストリーでの展示をすると約束したにもかかわらず、21年にユネスコの世界遺産委員会から対応が「不十分」との決議を採択されてしまった。同様の事態は避けたい。
佐渡島の金山は軍艦島に比べてデータがかなり残っているようなので、日本にとってマイナスと捉えられかねない内容も含めて客観的な説明・展示をしていくことが大切になる。
■文化と平和が密接に関係
――世界遺産が果たしている役割は。
松浦 ユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」との有名な一節に続いて、「相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった」と記されている。
世界遺産には、多元的な文化の相互理解を促進することで、国家間対立の緩和や戦争の防止につなげる狙いがある。過去には、偶像崇拝を認めないイスラム主義組織が世界文化遺産であるアフガニスタンの巨大石仏を爆破した悲劇もあった。文化と平和は密接に関係している。
■登録を契機に相手の意見理解する努力を
今回の例で言えば、佐渡島の金山は日本にとっては世界に誇る黄金の国ジパングの象徴であるポジティブな遺産だが、韓国にとっては過酷な環境での労働を強いられた負の遺産となる。
登録を契機として改めて金山の歴史と価値を学ぶとともに、自分たちの言い分を主張するだけでなく、相手側の意見を理解する努力が進めばと思っている。
まつうら・こういちろう 1937年生まれ。東京大学法学部を経て外務省入省後、香港総領事、駐フランス大使などを歴任。99年11月から2009年11月まで、アジア人初のユネスコ事務局長を務める。著書に『世界遺産-ユネスコ事務局長は訴える』など。
■公明、魅力発信へ尽力
佐渡島の金山に関して公明党は、中川宏昌・北陸信越方面本部長(衆院議員)と竹内真二・新潟県本部顧問(参院議員)が昨年6月に現地を視察するなど、世界文化遺産登録の意義を確認するとともに魅力発信に取り組んできた。
登録決定後の今年7月27日には、山口那津男代表が祝意を示した上で、「世界文化遺産に認められた意義を日本のみならず、世界の人々と共有できるよう、広報や遺産の生かし方についても政府や自治体、地元と共に前向きに進めていくべきだ」と述べている。